気とは精神で有り、心の動きで有り、生命の原動力で有り、自然の脈動で有り、宇宙の脈動なのです。そして、術でも有ります。
人間の気とは、丹田を中心として発する生体エネルギーと、前頭部を中心として発する想念エネルーギーの2つが有ります。此を自由に身体から外に向かって出させる術を「体術」、「想念術」と言います。心身共に充実した食生活を送る(内臓諸器官が丈夫で無ければ成りません)と自然と安定した気を発するものなのですが、意識した稽古をしないとなかなか自由に発する事は出来ません。技の中の気は、生体律動と呼吸がバランス良く合わさった時に現れるものです。
技と言うものは、一切の我を捨てて、宇宙と調和し、自然の理と合気した所に完成をみるもので有る。正しい想いと思い、姿勢、呼吸、中心力、瞬発力、見計らい等が最高の条件で発揮され、均衡が取れた状態の技の中に最高の気を発します。其の気は精神力です。
空手では相手と立ち合った時に十分な気を発揮出来なければ意味が有りません。禅、這、揺、犬歩き、呼吸法、自己浄霊等を行うと気の養成を行う事が出来ます。体術、想念術が身に付くと宇宙の脈動を感じる様に成ります。此は厳しい稽古や実戦での経験を何十年と積んで会得するものです。相手と立ち合った時に自然に手足が出る様に成ります。此は気が先で、行動が後で有り、思考は其の後と言う事です。技を極めると此の様に成ります。
道場では対気と合気の稽古をします。こういう稽古を重ねて気を養成して行くと相手の思いや行動が予測出来る様にも成り、又、相手の気を押さえる事も出来る様にも成ります。気とは、筋肉や運動神経を超えた目に見えない力です。例えば、自然の木立囲まれた中で稽古をすると身体は自然の中に溶け込み、自然の気と同調して一体と成る様で無ければ成りません。気を入れる、出すと言う操作が自然の中で自然に行われる様に成る事が大切です。そうすると自然の力を一気に味方にする事が出来ます。そして、手は天を受け、足は地を受け宇宙と調和し一体と成ります。言わば、気とは宇宙との結集です。
心の通った人間は誰もが気を発します。其の気は誰にも優しさと温か味を与え和を成します。気の充実とは心も身体も全てが満たされている状態の事です。