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明日香村のページ
『万葉集』の第一巻第二首に此の様な歌が有ります。私が小学生か中学生だった頃、初めて此の歌に触れ、小高い丘の上から庶民の暮らしを眺めている天皇の歌で有るとの解釈から、丘の上に立ち、眼下に広がる甍から夕餉、朝餉の竈の煙が立ち上る様子を見ている統治者の絵が私の頭の中に広がり(もしかしたら、其のようなイラストが教科書に描かれて居たのかも知れませんが・・・)、何故か大変懐かしい様な気持ちになり、強いノスタルジーを感じて居ました。此の歌は、舒明天皇が甘樫丘から北へ約1qの所に有る香具山に上り、国見の歌として詠まれたそうですが、当時の私は、何故か甘樫丘のイメージが浮かび、以来、甘樫丘に対して強いロマンを持って来ました。今の住まいに越して来て、甘樫丘が我が家から歩いて15分程の所に有ると知った時は、昔、感じた郷愁を思い出して大変興奮した物です。実際に上って見ると、展望台まで5分とかからない程のそう高くない丘ですが、頂上からは、奈良盆地の中に大和三山がまるで雲の上に浮かんで居る様に見え、其の眺めは大変素晴らしいです!甘樫丘の西側の麓を少し歩けば橿原市に入ります。頂上から眺めると、遠くにはビルやマンションが立ち並ぶ橿原の都会の風景と、麓には軒並みグレーの同じ甍が連なる明日香村の風景が対照的です。明日香村にも新築の家は有りますが、村の風景とマッチする外観で造られて居り、其のお陰で、上から見た時に、其の景観は今でも万葉の時代を少しだけ彷彿とさせてくれます。
明日香村の西北部の此の一帯は、丘陵地の多い村に有っては唯一の平地で長閑な田園地帯です。此処から北へ橿原市、田原本町、天理市、奈良市へ掛けて約二十数qに渡って平地が続いて居り、奈良盆地と呼ばれて居る所です。甘樫丘から1q程東には多武峰(とうのみね)山系が迫って居ますので、甘樫丘の東から1q以内の限られた平野部で、飛鳥時代に歴代の天皇の宮殿が建てられて居ました。593年に推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位してから694年に都が藤原京へ移るまでの約100年間、天皇が即位する度に宮殿が移されましたが、其れ等の殆どが此の甘樫丘の東側1q以内の平野部に集中して居り、明日香村の中でも特に歴史に残る舞台と成った場所でも有ります。発掘調査は現在も続けられて居ますが、一帯は民有地の為に、発掘と埋め戻しの作業が繰り返されて居り、全容が解るまでには未だ長い時間が必要だと思われます。歴史上重要な場所では有りますが、看板等は殆ど出て居無くてひっそりとして居ます。付近を歩いてみて初めて1400年前の歴史のロマンを感じる事が出来ると思います。■は飛鳥時代の宮殿跡。白い平野部は現在の明日香村飛鳥地区と其の近辺。左の写真は、飛鳥資料館の展示資料を撮影した物。