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明日香村のページ

国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区
所在地  高市郡明日香村豊浦。近鉄南大阪線橿原神宮前駅下車、東出口より東へ徒歩20分。東出口よりバスも出て居ますが、本数は少いです。西名阪郡山ICより国道24号線を車で吉野、橿原方面へ南下し、兵部町交差点、又は、四条町交差点(橿原警察署前)を左折して国道169号線に入り、明日香方面へ約5分。
史蹟・甘樫丘(あまかしのおか)
 高さ148mの小高い丘。かつて、飛鳥時代には蘇我蝦夷、入鹿親子の大邸宅が有ったと言われて居ます。展望台からは明日香村と橿原市内が一望出来、其処から眺める大和三山はとても美しい!現在は公園整備化されて居り、万葉の歌に関連する植物が植えられてハイキングコースと成って居ます。甘樫丘は、此の辺りでは一番見晴らしの良い丘で、高くは有りませんが、頂上からは奈良盆地一帯を見渡す事が出来ます。飛鳥時代には麓の平野部に天皇の宮殿が有りました。目と鼻の先で、皇居を見下ろす絶景の場所に邸宅を建てて居た蘇我氏の勢力が当時絶大で有った事が想像出来ます。写真は、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)伝承地から見た甘樫丘      
 甘樫丘から西を眺めると畝傍山が見えます。  甘樫丘から北西を眺めると耳成山と香具山が見えます。  甘樫丘から東を眺めると山に囲まれた飛鳥地区が見えます。  「やまとには むらやまあれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は けぶり立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづしま 大和の国は」

 『万葉集』の第一巻第二首に此の様な歌が有ります。私が小学生か中学生だった頃、初めて此の歌に触れ、小高い丘の上から庶民の暮らしを眺めている天皇の歌で有るとの解釈から、丘の上に立ち、眼下に広がる甍から夕餉、朝餉の竈の煙が立ち上る様子を見ている統治者の絵が私の頭の中に広がり(もしかしたら、其のようなイラストが教科書に描かれて居たのかも知れませんが・・・)、何故か大変懐かしい様な気持ちになり、強いノスタルジーを感じて居ました。此の歌は、舒明天皇が甘樫丘から北へ約1qの所に有る香具山に上り、国見の歌として詠まれたそうですが、当時の私は、何故か甘樫丘のイメージが浮かび、以来、甘樫丘に対して強いロマンを持って来ました。今の住まいに越して来て、甘樫丘が我が家から歩いて15分程の所に有ると知った時は、昔、感じた郷愁を思い出して大変興奮した物です。実際に上って見ると、展望台まで5分とかからない程のそう高くない丘ですが、頂上からは、奈良盆地の中に大和三山がまるで雲の上に浮かんで居る様に見え、其の眺めは大変素晴らしいです!甘樫丘の西側の麓を少し歩けば橿原市に入ります。頂上から眺めると、遠くにはビルやマンションが立ち並ぶ橿原の都会の風景と、麓には軒並みグレーの同じ甍が連なる明日香村の風景が対照的です。明日香村にも新築の家は有りますが、村の風景とマッチする外観で造られて居り、其のお陰で、上から見た時に、其の景観は今でも万葉の時代を少しだけ彷彿とさせてくれます。    

 明日香村の西北部の此の一帯は、丘陵地の多い村に有っては唯一の平地で長閑な田園地帯です。此処から北へ橿原市、田原本町、天理市、奈良市へ掛けて約二十数qに渡って平地が続いて居り、奈良盆地と呼ばれて居る所です。甘樫丘から1q程東には多武峰(とうのみね)山系が迫って居ますので、甘樫丘の東から1q以内の限られた平野部で、飛鳥時代に歴代の天皇の宮殿が建てられて居ました。593年に推古天皇が豊浦宮(とゆらのみや)で即位してから694年に都が藤原京へ移るまでの約100年間、天皇が即位する度に宮殿が移されましたが、其れ等の殆どが此の甘樫丘の東側1q以内の平野部に集中して居り、明日香村の中でも特に歴史に残る舞台と成った場所でも有ります。発掘調査は現在も続けられて居ますが、一帯は民有地の為に、発掘と埋め戻しの作業が繰り返されて居り、全容が解るまでには未だ長い時間が必要だと思われます。歴史上重要な場所では有りますが、看板等は殆ど出て居無くてひっそりとして居ます。付近を歩いてみて初めて1400年前の歴史のロマンを感じる事が出来ると思います。は飛鳥時代の宮殿跡。白い平野部は現在の明日香村飛鳥地区と其の近辺。左の写真は、飛鳥資料館の展示資料を撮影した物。

史蹟・雷丘(いかづちのおか)
所在地  明日香村雷。県道15号線沿い、雷の交差点の北西に隣接して居ます。
 甘樫丘の直ぐ北に有る小さな丘で、『万葉集』の中でも、「おほきみは 神にしませば天雲の 雷の上に 庵せるかも」と歌われて居ます。柿本人麻呂が天武天皇を讃えて詠んだ歌だと言われて居ます。甘樫丘に比べて可成り小さいです。
豊浦宮(とゆらのみや)跡と史蹟・豊浦寺(とゆらでら)跡と難波池(なにわのいけ)
所在地  明日香村豊浦。甘樫丘の北西側の麓に有ります。
 向原寺  593年、推古天皇が即位して政治を行ったのが豊浦宮です。603年、推古天皇は豊浦宮から北の小墾田宮(おはりだのみや)へ皇居を移しますが、其の時に豊浦の宮殿を蘇我馬子へ譲り、蘇我馬子は其処へ百済の聖明王から朝廷を経て譲り受けた金銅の釈迦佛を安置して其れが豊浦寺(尼寺)の起源だと言われて居ます。しかし、其の後疫病が流行ったので、災いは仏教の崇拝に因るとの理由で排仏派の物部尾興が仏像を豊浦寺の側の難波池へ捨てて豊浦寺を焼却。後に寺は向原寺(むくはらでら)として再興されました。又、信濃の国の本田善光と言う人が難波池で仏像を発見して持ち帰り、家に安置して礼拝供養した事が信州の善光寺の起源だとの伝承が有り、其の為に向原寺元善光寺(もとぜんこうじ)とも呼ばれて居ます。
 難波池  1985年、向原寺庫裡の改築工事に伴い発掘した所、7世紀前半建立の豊浦寺の講堂と推定される瓦葺き礎石建物跡が見つかり、さらに其の下層から石敷を伴う掘建柱建物跡が掘り出されました。建物は南北三間(5,5m)以上、東西三間(5,5m)の高い床張り。飛鳥の宮殿は、建物の周りに河原石を敷いて舗装されて居るのが特徴です。学術調査を終えた後、遺構は埋め戻されましたが、一部が向原寺にて保存されて一般公開されて居ます。
 豊浦宮の石畳と柱の跡   発掘された豊浦寺の基壇   難波池から発見された百済大仏  小墾田宮伝承地から見える畝傍山
 推古天皇や聖徳太子が歩いて居たと思われる石畳です。難波池で発見された仏像は、552年、百済の聖明王から朝廷に献上された金銅の釈迦佛で、日本に初めて入って来た仏像だと言われて居ますが、残念ながら盗難に遭い、現在は所在不明だそうです。
甘樫坐神社(あまかしにいますじんじゃ)
所在地  明日香村豊浦。向原寺の南に隣接して居ます。
 『日本書紀』によると、第19代允恭天皇(在位412年〜453年)の時代に氏姓を偽る者が多く出て世の中が乱れたので、其れを正す為に、煮え立ったお湯の中に石を落として素手で拾い、火傷の程度で裁くと言う盟神探湯(くがたち)甘樫丘にて行われたとの事です。現在は、毎年4月の第一日曜日に、大きな釜で湯を沸かし、笹を浮かべて無病息災をお祈りする神事が行われて居ます。祭神は推古天皇。
史蹟・飛鳥板葺宮(あすかいたぶきのみや)伝承地と飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)
所在地  明日香村岡。甘樫丘の東側の麓を下りて飛鳥川の東の一角に有ります。
 飛鳥板葺宮(あすかいたぶきのみや)伝承地甘樫丘の東の田圃の中に有ります。第35代皇極天皇(在位642年〜645年)の宮殿で、其れまで藁葺きだった屋根を初めて板葺きにして大々的な工事を行なって造営された宮殿です。645年、三韓からの貢ぎ物受け取りの際、此の大極殿で蘇我入鹿が倒されて、大化改新の舞台と成った宮殿でも有ります。此の地からは他にも時期の違った複数の遺構が発見されて居ますので、其の中の一つとして、此処は後に第40代天武天皇(在位672年〜686年)の時代の飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)も造営された場所ではないかとも言われて居ます。背後に見えるのは甘樫丘です。
 壬申の乱で勝利した大海人皇子は、都を近江から飛鳥へ戻し、672年、飛鳥浄御原宮で天武天皇として即位します。後に飛鳥浄御原令が試行され、律令国家の基礎が固まった此の時代にふさわしく、此の宮殿には大極殿、大安殿、朝堂が備わり、周囲には都市(京)が発達し始めて市内を治める役所(京職)も置かれて居ました。其れを裏付ける様に、此の遺構からは、地方から都へ物品を納めた際の荷札らしき多数の木簡が出土して居ます。又、「大津皇子(=天武天皇の皇子)」「辛巳年(=天武10年=681年)」「阿直史(=天武朝の書記職に有った人)」と書かれた木簡が発見された事からも、此処が同時に飛鳥浄御原宮跡でも有るとの味方が現在有力です。飛鳥浄御原宮は、飛鳥に築かれた最後の都でも有ります。
 「おほきみは 神にしませば 赤駒の はらばう田井を 都となしつ」(『万葉集』第4260首、大伴御行の歌)
 「おほきみは 神にしませば 水鳥の すだく水沼を 都となしつ」(『万葉集』第4261首)
 寂れた土地に都を築き、神の様に崇められた天武天皇では有りますが、中央集権体制が整って来るに連れて、多数の貴族、役人や其の家族が生活出来るより壮大な都城が必要に成り、遷都を計画します。686年、志半ばで天武天皇は亡くなりますが、其の遺志は皇后に受け継がれ、皇后は即位して第41代持統天皇(在位686年〜697年)と成って藤原京の造営を図り、694年、藤原京の完成と共に都は飛鳥から藤原京へ移ります。都が移された後、飛鳥は歴史の檜舞台から消えて再び田圃に覆われて行きますが、古都を想う歌が『万葉集』の中に幾つか見られます。
 「采女の 袖吹きかへす 明日香風 都を遠み いたづらに吹く」(『万葉集』第51首、志貴皇子の歌)  
 「飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ」(『万葉集』第78首、元明天皇の歌) 
 「明日香風 川淀去らず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋あらなくに」(『万葉集』第325首、山部赤人の歌)
 飛鳥板葺宮飛鳥浄御原宮が有っただろうと推定されて居る真神原(まかみのはら)と呼ばれて居る地区からは、年代の違う複数の遺構が発見され、其れ等をまとめて飛鳥京跡と称して居ますが、其の仕組みは複雑です。飛鳥板葺宮飛鳥浄御原宮の他にも、第34代舒明天皇(在位636年〜642年)の宮で有る飛鳥岡本宮(あすかおかもとのみや)、第37代斉明天皇(在位655年〜661年)の後飛鳥岡本宮(のちのあすかおかもとのみや)も同地区に築かれて居たのではないかとも言われて居ます。地形的に見て、西に甘樫丘、東に多武峰山系、南に丘陵地、北は香具山に挟まれた1q〜2q四方以内の限られた平地に、仏教伝来以降、確認されて居るだけでも飛鳥寺川原寺豊浦寺等の大寺院の他にも豪族の氏寺が建って居ましたので(飛鳥周辺には天武天皇朝の680年の時点で、24の寺院が有ったと言う記録が残って居ます。)、大密集地帯の平野部において宮殿を営むには、同じ土地に重複して建てられて居たとしても不思議では有りません。694年、飛鳥浄御原宮から藤原京へ遷都された後、寂れて行く古都を詠んだ歌です。家が無いので雪の日の寒さが辛いと言って居ます。
 「大口の 真神の原に 降る雪は いたくな降りそ 家もあらなくに」(『万葉集』第1636首、舎人娘人の歌)

 

史蹟・飛鳥寺と飛鳥大仏 
所在地  明日香村飛鳥。甘樫丘の東の麓から約300m程東に有ります。バスで行く場合は、橿原神宮前駅東出口から岡寺行きの奈良交通バスに乗り、飛鳥大仏前で下車、又は、JR、近鉄大阪線桜井駅から岡寺行きの奈良交通バスに乗り、飛鳥大仏前で下車、バス停より直ぐの所に有ります。
  
 飛鳥寺

 

 
 飛鳥大仏

 

 587年、蘇我馬子の発願により百済から技術者を招いて造られ、606年に完成しました。本格的な建造物の寺院としては日本最古の寺。本元興寺(もとがんごうじ)法興寺(ほうこうじ)とも呼ばれる。現在は真言宗安居院(あんごいん)。新西国第九番霊場。聖徳太子遺跡第十一番霊場。609年には鞍作止利(くらつくりのとり)作の金銅の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)が完成し、聖徳太子によって開眼供養が行われて居ます。此は、東大寺(奈良市)の大仏よりも150年以上古く、現存して居る中では日本最古の大仏です。修繕箇所が多いですが、顔と手の一部と台座の柄穴(ほぞあな)は当初の物で有り、特に台座は創建当時から移動して居ない事も判明して居ます。飛鳥大仏は重要文化財。この飛鳥寺の庭で蹴鞠の会が催されて中大兄皇子と中臣鎌足が出会い、蘇我入鹿討伐の密談が成されました。又、大化改新で蘇我入鹿を討った直後、中大兄皇子が蘇我蝦夷の反撃に備えて一時立て籠もった寺でも有ります。蘇我入鹿の首塚は飛鳥寺を出て100m程西へ行った所に有ります。
 現在の本堂  当時の飛鳥寺の想像図
 当時の伽藍配置図  創建当時の礎石  蘇我入鹿の首塚
 心礎の周辺からは、勾玉、金銀の小粒、赤瑪瑙、水晶の切り子、金銅の鈴等が発見され、此等は古墳の埋葬品と極めて似て居る事からも、飛鳥寺の創建が古墳時代と重なって居た事が想像出来ます。発掘調査の結果によると、塔を中心として三金堂を配置する一塔三金堂式。此の伽藍は極めて珍しく、「飛鳥寺式」伽藍配置と名付けられました。此は、高句麗の清岩里廃寺とほぼ同じ造りで、高句麗の建築様式も取り入れた様です。又、寺域は東西200m、南北300mに及んで居た事が判明し、此は、後に建てられた法隆寺(生駒郡斑鳩町)伽藍の約三倍の広さに相当する大寺院でした。皇居と言えども土の中に直接柱を打ち、屋根は藁葺きで有った当時、基壇を造り、礎石の上に高層建築で有る塔を配置した初の瓦葺きの本格的な大寺院は、人々の目には異国情緒を醸し出す豪華絢爛たる建造物に映った事だと思います。瓦を焼いて居た窯跡が飛鳥寺の南東で発見されて居ます。710年、藤原京から平城京遷都に伴い、飛鳥寺も平城の地へ移されましたが、飛鳥の元興寺は此の地に残り、其の為に、飛鳥寺本元興寺とも呼ばれて居ます。平城京遷都後、平城の地の元興寺も飛鳥の元興寺も良い物だと『万葉集』で詠われて居ます。飛鳥寺は1196年に焼失し、金堂を失った飛鳥大仏は長い間野晒しの状態でしたが、1826年に再建されました。
 「古里の 明日香はあれど あをによし ならの明日香を 見らくし好しも」(『万葉集』第992首、大伴坂上郎女の歌)
 
ひょうひょう  
所在地  明日香村飛鳥。飛鳥寺の北東の方向(飛鳥寺を出て左手)に直ぐの所に有ります。
 趣の有る店構え  自然食品  雑貨も置かれて居ます  軽食喫茶も戴けます
 こぢんまりとした可愛い自然食品のお店ですが、キャロブパウダーとか、他では中中手に入らないオーガニックの商品が結構置いて有りますので、重宝して居ます。私は、除虫菊の蚊取り線香や雑穀、穀物コーヒー等を買う為に立ち寄って居ます。最近は、玄米麦芽水飴に填って居ます。店内に入ると「あれも欲しい。これも買おう!」と色々な物が欲しく成って、つい買って仕舞います。オーナーの女性は、若くてとても綺麗な方です。比較的安価で、オーナーのお気に入りの商品だけを扱って居られるとの事で、雰囲気の良い素敵なお店です。店内では飲み物も戴けますので、歩き疲れて一寸一服をしたい時に立ち寄るのも良いですね。天然酵母パンも美味しいです!生駒郡斑鳩町の樸木と言うお店で作られたパンを仕入れて居られるそうで、天然酵母の割には柔らかくて香りがとても良いです!パンの入荷は土、日のみですが、直ぐに売り切れて仕舞うそうです。樸木さんでは、パンの地方発送も行って居られます。卵、牛乳、バターを使わず、干し葡萄と杏から出来る果物酵母と爪哇薯と人参から出来る野菜酵母の二種類の酵母を使用し、ライ麦や全粒小麦粉は石臼による自家製粉、材料は全てオーガニックの物ですので、美味しいですよ。
史蹟・飛鳥水落遺跡
所在地  明日香村飛鳥。甘樫丘の東の麓。明日香村埋没文化財展示室の直ぐ南に有ります。
 水落遺跡  水時計の想像図  660年、中大兄皇子(後の天智天皇)は、日本で初めて水時計を作って人々に時刻を知らせたと、『日本書記』には書かれて居ます。『日本書紀』には、其の場所が記述されて居ませんが、1981年、飛鳥にて発掘されました。此処では、水時計建物と、建物内の中央で黒漆塗りの木製水槽を使った水時計装置とが見つかりました。水時計建物を中心として、水を利用した様々な施設が有る事も分かりました。1階には、時計装置。2階には、都に時刻を知らせる鐘や太鼓が有ったと想像出来ます。水時計建物は、塀で囲まれた一角に有りました。時計を管理し、天文、暦、呪い等も担当した役所だったのかも知れません。
明日香村埋没文化財展示室
所在地  明日香村飛鳥。甘樫丘の東の麓、飛鳥川を渡って直ぐの所に有ります。
 平成10年12月に、旧飛鳥幼稚園リズム室を改修し、明日香村で出土した埋蔵品を展示する施設と成りました。縄文、弥生時代の土器、古墳時代、飛鳥時代の出土品と時代背景が簡潔に解り易く展示説明されて居ます。明日香村は、村全体が埋蔵品に覆われて居る為、此の様な施設で、遺構と時代の流れを知っておくのも良いかも知れません。高松塚古墳、キトラ古墳の壁画の写真、調査報告書も展示されて居ます。目立たないけれども、穴場の施設かも知れません。入館無料。
 国営飛鳥歴史公園高松塚周辺地区
所在地  高市郡明日香村平田。近鉄吉野線飛鳥駅下車、東へ徒歩10分。西名阪天理ICより県道11号線を桜井方面へ南下し、国道165号線を経て国道169号線で吉野方面へ、飛鳥駅前交差点を東へ直ぐ。
 国営飛鳥歴史公園とは、豊かな自然と文化的遺産の保存と活用を図る目的で建設省が整備した全国で初めての公園。明日香村には、石舞台祝戸甘樫丘高松塚周辺地区の4地区が指定されて居ます。飛鳥歴史公園高松塚周辺地区には、飛鳥歴史公園館(入館無料)、高松塚古墳、壁画館が有ります。飛鳥歴史公園館には、明日香村の遺跡がパネルで展示されて居ます。
 歴史公園の中は緑がいっぱい。いつもそよそよと風が吹いていて大変心地良いです。此処でお弁当を食べるととても美味しい!食後はゴロリと寝ころんで昼寝をしたくなります。高松塚古墳は小高い丘の上に有り、中には入れませんが、丘の上からは明日香村が一望出来、その眺めは大変素晴らしいです!
特別史跡・高松塚古墳と壁画館
 高松塚古墳は飛鳥地方の西南部に位置し、此の一帯は特に渡来人が居住したと言われ、周辺には天武・持統天皇欽明天皇文武天皇の各陵や中尾山古墳岩屋山古墳等が築かれて居ます。地元の人が噴丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘った所、凝灰岩の切石を発見。此が切っ掛けと成って、昭和47年3月に壁画発見に至りました。今日、高松塚古墳壁画は国宝に指定され、文化財保存上一般公開する事が出来ませんので、国が記念郵便切手を発行した寄付金で壁画館が建てられ、原色、原寸大の模写模型や古墳内部の様子が忠実に再現されて居ます。高松塚古墳壁画には西壁に4人の男子群像、4人の女子群像、白虎、月像。北壁には玄武。東壁に4人の男子群像、4人の女子群像、青龍、日像が描かれて居ます。天井には1m四方に28の星宿が描かれて居り、どの像も優れた筆致で細かく描かれ、我が国美術、絵画史上優れた作品と評価され、同時に出土した数々の副葬品と共に被葬者の尊貴性がうかがえます。(高松塚壁画館パンフレットより抜粋)
 飛鳥歴史公園館  高松塚古墳  公園内
特別史蹟・キトラ古墳
所在地  明日香村安部山。高松塚古墳より南へ約1、5qの所に有ります。
 
 朱雀画
 キトラ古墳
 
 高松塚古墳と同様に壁画古墳で、我が国で壁画古墳が確認されて居るのは、高松塚古墳キトラ古墳だけです。四神(東に青龍、南に朱雀、西に白虎、北に玄武)が揃って描かれて居る事が今年に成って確認され、話題に成りました。高松塚古墳の南壁画面は盗掘の際に崩落した模様で、描かれて居たであろう朱雀が確認されて居ません。天井には大きな三重の同心円(内規、赤道、外規)と、中心の異なる円として黄道が描かれて居り、其の他、500個の星、30以上の星座が描かれて居り、今の所、東アジア最古の天文図だと言われて居ます。古墳の中には入れません。

 

あすか夢販売所
所在地  明日香村御園。国道169号線沿い、飛鳥駅前交差点の南東に隣接して居ます。
 村の野菜直売所。朝、取れたての野菜が此処で販売されて居ます。とても安いので近隣の常連客や観光客に大人気です。今年の春は、此処で、筍や山菜、村のブランドの苺「あすかルビー」をよく買いました。漬け物、油揚げ、お菓子など手作りの加工品も美味しいです。私は草餅がお気に入り。あすか夢販売所って名前が素敵ですね。
 野菜類  鉢植え等花類  ジュース等の加工品
 明日香村には、田畑の中に小高く盛り上がって木が生い茂った丘が点在して居ますが、それらはたいてい古墳か天皇陵です。未だ発掘調査されて居無い物も有りますので、今後も新たな発見が続くと思いますが、地元の人達は、古代遺跡と共存して居る事を特別な事だとは思っていないみたいです。遺跡巡りも素敵ですが、明日香村の良さは、なんと言っても美しい景色、空気の美味しさ、土の香り、心地よい自然の音です。今の時期は、新緑が鮮やかで、蓮華、菜の花やツツジが美しいですし、ホーホケキョと鶯の鳴く声、澄んだ水の流れる音、農作業の音が心地よく聞こえます。風に吹かれながら歩いているだけでも和みます。飛鳥駅前にはレンタサイクル所が有りますので、サイクリングをするのも楽しいです。
 文武天皇陵  天武・持統天皇陵  高松塚古墳より東を眺めて  菜の花畑と橘寺
 

 

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最終更新日: 2006/12/29 金曜日