空手は何も持たなくても強い!然し、何か持てば最強になる!
今迄に武器を持った馬鹿者達と素手で戦った事が何度か有ります。其の中で思い出に残るものとして、短刀との喧嘩を2回、角材や鉄パイプや木刀等との喧嘩(相手が複数)を2回遣った。何れも相手を倒したが、2回目の短刀を持った相手は短刀を逆様に持ち、鞘をフェイントにして、短刀を続けて出して来たのでかわすタイミングが少し遅れて右脇腹を皮1枚掠った。角材や鉄パイプや木刀等を持った複数相手との対戦は、後を壁にして後からの攻撃が出来無い様にした事と、同時に複数を相手にするのでは無く、1対1の喧嘩になるようにした。喧嘩というのは好機、速度、破壊力が勝利への鍵です。複数の場合、瞬間的に1人を倒すと残りの人は戦意を失う場合が多いものです。
何れも、武器が長くなる程動きは遅くなり動きは単純になるが、攻撃を真面に受けて仕舞っては痛手です。だから、裏構えで相手に対して投影面積を小さくして致命傷を負う部分を隠します。其の場合、間合いを広く取らなければ相手の間合いに入って仕舞います。短刀等の凶器の場合も少し広めの間合いを取ります。失敗は即自分の命に関わるからです。後は、相手の間合いの中に入って自分の間合いにして攻撃するのは勘と経験です。
然し、武器を持った相手が其の武器に精通していれば状況は変わります。出来れば逃げるが勝ちです。然し、戦わなければならない状況になった時には勝つ事だけを考えます。武器を持った相手に対しては武器を持つ事によって対等になります。技量で相手に勝てれば其れに越したことは有りませんが、武器を使用すると言う事は間合いが広くなります。普段よりも動きが遅くなるし、其の重量分だけ疲労します。私は、勝つことを最優先に考えますが、相手を殺めようと迄は考えたことは有りません。
私は何時も武器を携帯している訳では有りません。ですから、その場の状況により、周りに有るもの全てを武器として使用出来ないかと考えます。先ずは相手の武器を封じるもの、効力を無効にするものを探します。出来ることなら相手の武器を破損させ、「物で相手を叩くと痛いよ!」という事を身をもって体験させて遣りたいと思います。
聖士會館では、基本的に10種類の武器を使用しますが、ヌンチャク、サイ、トンファー、六尺棒、杖、棍棒、木刀を主に使用します。そう言う武器を自由に操ることが出来るようになると、例えば、周りに有る机を楯に、椅子を武器にする等の戦法を応用とした稽古も行います。此は、木刀で相手を斬りつけ様としても、椅子の足を此方に向かって構えられると意外に攻撃が出来ません。この様に戦いという状況になった時には、瞬時に周りの状況を把握し、自分を優位に立たせる事を考えなければなりませんし、反撃の好機を狙い的確に相手を仕留めなければなりません。
武器の稽古は、身体のバランスを養い中心力を高める効果が有ります。
武道を追求する上で、武士の器と書く武器は必ず体得するものだと考えています。実戦を考えると、本物の刀とか鉄砲を相手に稽古をする事が本当の武器稽古だろうが・・・・・・
空手の道を歩む途上に遭遇した、喧嘩で受けた傷が身体には無数に残っている。其れも今では1つ1つが実戦を体験した記録として考えています。
武道とは心を磨いて生きて行く術であり、其れ故武道家は平和主義者である。