世の中は平和を望んで居ます。然し、此は表向きで裏では戦争を望んで居ます。先進国でも、後進国でも機会が有れば戦争をする機会を狙って居ます。武の道は人の道です。聖士會館の空手道を皆遣ったら絶対に戦争は無くなると思います。
武道空手と言う地道な稽古は、基本技を何万回何十万回と反復して、其の技を頭に身体に覚え込んで行く。長い時間を掛けて完成された基本技には時空を超えた歴史と意味が含まれて居り、伝統(選りすぐって、又、改良されて研ぎ澄まされた技術を後世に残すと言う意味)が有る。其の中には、生涯に於いて気付く技術と先人の心が含まれて居ます。
聖士會館の空手は両利きの空手で有り、偏りが無く中庸にものを見る為に最高の判断力が付く。中庸と言う意味は陰性の要素も陽性の要素も同じだけ持ち合わせて居ると言う意味で、其の容量は、経験等に因ります。
道場の稽古では、全てに於いて礼節を重んじます。礼をもって始まり、礼をもって終わる。社会を作る人間は、御互いを敬って行かなければ必ず心に歪みが生じます。「御願いします。」と言ってから教えて戴き、終わったら「有り難う御座いました。」此は基本的な生活の自然な約束事で有り、其れ故秩序が保たれる。
本来、躾は乳児の授乳時からしっかり教えるのだが、現代人は躾が無い。だから、武道場では躾を行う。例えば、敷居は踏ま無い。履き物の脱ぎ方、履き方、履き物は揃えて隅から並べ真ん中は御客さんの為に空ける。入室の方法。礼の仕方。道着の着用方法、畳み方。掃除の仕方等。そして、先輩や後輩の関係では、先輩には敬語を使って話し、普段は先輩因りも必ず一歩下がった言動行動をするが、必要とあらば先輩の手や足に成る言動行動を取ります。武道は封建社会で有り、其れ故、個人の尊厳を保って居るから組織統制が取れて安定して居る。上下の関係は武道社会では秩序を保つ上では最も大切で有る。
此の様な教育下の安定した組織の中で稽古をして居ると人格が出来て来て、心が平和に成って来る。そして、現実社会を見ると非常に不安定な秩序の元に成り立って居ると感じます。個人の尊厳は崩壊し、無秩序な考え方の者(利己主義)が多いから氾濫するので有る。武道教育とは本来の人間の尊厳を尊重した自然な秩序を学びます。
我を発しなければ、心の中に対立する者と物を意識しなければ、対立は存在しない。対立する者や物が無ければ対立しないし、争い事も存在しない。心と心が同調し、和に成る事が自然の理です。武道を志す者は心の稽古(行)をし、心を育てて(浄化)行かなければ成らない。