武道空手は、心を追求するもので有り、暴力を目的として肉体を鍛え、人を騙し脅かす知恵を付けるものでは無い。武道空手家は平和主義者で有る。健康で平和な生活を求めるには、平素の心掛けが大切で有り、心の平安に務める生活を送る事で有る。又、喧嘩に成ら無い様な体術、想念術が自然と身に付かなければ行けません。社会とは共同生活で有るが、平和を維持するのには助け合う心が大切で有る。
武道空手は、生涯を掛けて修業して行く内に、殺法としての技術は常に向上して行きますが、其の技術は秘めて置くもので無闇に使用するものでは無い。いざと言う時に家族を守り、迫害を受けて居る人を守り、自分を守る時に使用する。あく迄も防御(守り)で有り、人を殺める事が目的では無い。然し、受即攻撃的要素の空手道で有るが、いざと言う時には先手必勝で有り一撃必殺を狙うのは言う迄も無い。此の先の先の見分けは心の確立が出来無いと判断出来無い。最高の判断力は正しい食生活を通じて学ぶもので有り、武道空手とはそう言うもので有る。
稽古は、礼節を学び、基本をしっかり会得し、無駄な動きを無くし円の動きを極めるもので有る。心法、術法は皆以心伝心で有り、教外別伝で有る。師範が弟子に極意や真髄を授けるものでは無く、心や術を習得し、其れを後輩に伝えて行く内に、意を発見し、自己を見出し確認し悟って行くもので有る。
目線は高く頭は低く、考を巡らせ、冷静な判断と行動を行い、自己を見詰めて精進し、生涯を以て心を究め、技を極める事を目標にして行く。「空手に先手無し」とは暴力を排除し平和を願う事で有り、そう成るには未来を見渡す事の出来る最高の判断力を養う事で有る。
空手に先手無しとは心の平安の事を言うので有って、悪心を持っては行けない事です。浄化された平安な心は平安な社会を生みます。