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2,000年7月20日(木)〜2,000年11月4日(土)

 11月4日(土)

 お土産 其の一

 主人は時々お土産持参で帰宅します。先日、研修のセミナーを終えた主人は、通常の終業時間よりも早く終わったので近くの百貨店に入り店内を見て回り、「百貨店で美味しそうなパンを売って居たから。」と言ってパンを三個買って帰宅しました。私がパンが好きな事を知って居るのです。私にはお気に入りのパン屋が幾つか有ります。どれも天然酵母のパン屋で、小麦粉其の物と酵母に味が有り大変美味しいのです。化学イーストを使用したパンは小麦粉の味が余り無く、柔らか過ぎて空気や調味料だけを食べて居る感触ですが、天然酵母のパンはパンの力を感じます。天然酵母使用と言っても、化学調味料や乳製品も併せて使用して居る物が多いですが、添加物を全く使わず、卵、牛乳、バター等も使用し無いパンも最近は出回って居り、其の様な小麦粉、天然酵母、塩や他の自然食材だけで作られた物程パン本来の発酵の旨味を感じ、時々お気に入りの天然酵母のパン屋で購入するのが私の楽しみと成って居ます。主人が百貨店で買って来てくれたパンは、ふわふわして居らず感触は天然酵母に近い物でしたが、恐らく一般の多くのパン同様に添加物や乳製品は含まれて居そうです。「う〜ん、あんまり一般のパンは食べたく無いのだけど・・・。」と思いましたが、外見はどっしりとして居り美味しそうです。私は夕食を食べ終えた直後で有ったにも拘わらず其の中のフランスパンを「味見だけ。」の積もりで食べました。矢張り天然酵母では無い様ですが、噛み応えが有り味も余り付いて居無くて美味しく感じ一本を全部食べました。こうなると味を占めて仕舞い拍車が掛かりもう一つのパンも続けて食べて仕舞いました。其れは薩摩芋が入って居り、少し甘味が強かったですが、美味しく感じて仕舞いました。主人は流石に私の好みを良く知って居ます。三個の内一個は主人が自分用に買った物なので、其処で私は食べるのを止めましたが、此の様にパンを食べ出すと私はなかなか止まりません。「一般のパンは一寸・・・。」と思って居ながらも食べてみると案外受け入れられる事も有り、そうすると私の頭に記憶されて仕舞います。翌日も主人は研修の終了後に彼方此方のお店を見て回った後に帰宅しましたので、つい、「今日もパンのお土産は有るのかな。」と期待をして仕舞いました。

 11月3日(金)

 研修 其の十

 身内が症状を訴える度に、私は愁訴の原因を説明し、痛みが出て居る間は動物性食品は止めて食事に気を付ける様に言いますが、病院へ行き受診時に食事との関係を医師に確認の質問をして、「全く関係が有りません。」と返答されると、其方の方を信じて仕舞います。しかし、TVの健康と食事に関する情報番組は大変興味を持って見て居り、番組中で、「○○は身体に良い。」と放送されると、其れから暫くの間は其の食品をせっせと摂って居ます。医師やテレビでの話しだと信じて仕舞う様です。多分、一番のネックは玄米が好きでは無い上に動物性食品、特に乳製品崇拝主義から抜けられ無いので食生活を根本から変えられ無いのだと思います。動物性食品を摂ら無いと力が出無いと考えて居り、好物でも有る事から特に乳製品は人並み以上に摂取して居ます。動物性食品は摂り過ぎると良く無いと言う事は世間でも言われて居ますが、完全悪だと言い切るメデイアは全く無く、摂り過ぎ無ければ大丈夫と自分なりの判断を下し、其の判断が好物で有るが故に可成り甘い基準で、毎日決まった量を摂取し続けると言う習慣が出来上がって居り、結果として私から見れば恐ろしく多量に見えます。粗食とは貧しい食事だと言う観念を持って居る世代の方なので、なかなか健康の為とは言え食生活を根本から変える事が出来無い様です。其れは主人も同様で、体調が悪い時にお粥や野菜だけの食卓にした所、体調不良で有るにも拘わらず、「こんな食事だと心まで貧しく成り、情け無く成る。」と言います。本来の道とは何かと言う事に気付き、実践を始めた後でも誘惑や欲がちらついて完璧に行うのはなかなか難しいですが、紆余曲折で有りながらも本来の姿に近づく事は出来ると思います。気付くと気付か無いとの差は、次元が違う程の大きな差だと思います。主人は今回の研修は面白かったと言って居ました。二日目の研修は労働関係の講演で、主人にとっては医療よりも此方の方が仕事上関係が有ると思うのですが、二日目は眠くて内容を覚えて居無いとの事です。正食の良さに気付くのは未だ先の様ですが、少無くとも病院の怖さ、不自然な手術や投薬に因る治療の恐ろしさを理解してくれたのなら良かったと思います。

 11月2日(木)

 研修 其の九

 何十年もの間、寝込んだ事も無く非常に元気だった身内ですが、数年前に足の手術をしてからは身体の彼方此方に色々な愁訴が出る様に成りました。可成り昔から骨格は大きく歪んで居り不調を覚えて居た筈だと思うのですが、骨身を削ってでも働くと言う世代の方ですので、もしかしたら、此の程度なら具合が悪いうちに入ら無いと自分に言い聞かせて此処迄来たのかも知れません。此の様な方は多いと思います。其れが積もり積もった或る日、足が痛いと言い出し、手術を受ける事に成りました。痛みが出て居るのは足なのですが、本人の背骨は誰が見ても明らかな位大きく前後左右に歪んで居ますので、其の歪みが痛みを作り出して居るので有り、骨格の歪みを正さ無い限り、将来別の愁訴が出て来る事が目に見えて居ますし、手術をして人工関節を身体に埋め込めば其の歪みを固定させて仕舞い、本来の姿に戻る可能性を奪って仕舞うので反対をしましたが、本人は診て貰って居る医師が其の道の名医だからと言う理由で手術を強く希望し、結局人工関節を入れました。其の後は、矢張り不自由な生活をして居ます。外れると言う事態を体験しましたので、再び外れるかも知れ無いと言う心配を常にして居ますし、動きが制限されますので昔程自由に身体を動かす事が出来ず、運動不足にも成り其れが追い打ちを掛けるのか、定期的に様々な別の愁訴を訴え、屡々病院通いをして居ます。其れ迄は病院とは無縁の方だったのですが、急に老け込んで仕舞いました。其れ迄の何十年の間にも身体の不調は有ったと思います。其の時に修正をして来無かった分を最近に成って穴埋めするかの様に病院の御世話に成って居ます。其の都度修復して置くか、溜めて置いて一気に修復するかは個人の選択の自由ですし、此迄愁訴を感じて居無い元気だった間は大変幸せな期間で有ったと思います。何に幸せを感じるかは人それぞれですので、愁訴を感じ無かった事は身内にとって有り難い事で有り、其の間充実して居たので有れば本人は今の現状をも納得して居るかも知れず、「楽しい人生だった。」と思って居るかも知れません。手術以外の方法で治すとは考えもし無い人達にとっては、寧ろ手術をする事に因って取り敢えず其の病巣は無く成りますので、大変有り難いと思って居る様です。過去に小さな症状に気付き治して居れば、手術を行い身体に人工器具を埋め込むと言う事態は避けられたかも知れ無いと思うと私としては残念です。少々の痛みを堪えて頑張る事は美徳で有り、其れだけ精神力が強い証明だと思いますが、頑張って仕事を終えた後でも良いですから、其の分自分の身体を労って上げて居れば結果は違って来ると思います。

 11月1日(水)

 研修 其の八

 始めは、「此で健康に成れる。」と思って飛び込んだ玄米正食の道ですが、健康を目的とした単なる食事法に止まらず、知れば知る程に奥が深く、肉体面だけでは無く精神性をも高め、秩序有る社会を形成して最適な環境を作り出し、人間として最高な生き方が出来る素晴らしい道だと言う事が分かって来ました。宇宙は何故存在して居るのだろう、地球はどうして誕生したのだろう、自転、公転の周期は何故決まって居るのだろう、大気圏内ではどうして空気と水が確保されて居るのだろう、花はどうして何時も同じ時季に咲いて散って行くのだろう、そして何故我々は此の地球に時と環境を選んで生まれて来たのだろう・・・。大宇宙には、統一性の有る秩序が存在し、核と成る所から発せられる非常に緻密で壮大なプログラムの元で、人間、物質や見え無いエネルギー等全ての存在が生かされて居るからだと思えて成りません。其の秩序に沿った生き方をするのが自然な姿で有り、自分成りに最高な生き方が出来ますが、其処から外れて行く事に因って不自然な状態が肉体に現れ、其れが病気と呼ばれる物だと思います。本来、我々には宇宙の法則に従った生き方をして行けば、最高に幸せだと思える状況が常に待ち受けて居り、其の様な体験をさせて頂く為に肉体を持って生まれて来たのだと思います。我々の一つ一つの細胞の核には此の宇宙の法則が刻み込まれて居り、自然に同調した生き方をすると我々自身の内部から喜びが溢れ、胸の奥から身体が震える様な感動が沸き起こって来るのを体験します。心の目で眺めて見ると、自分自身の奥深い所に記憶されて居る宇宙の秩序に触れる事が出来、何をすれば真に心体が喜ぶかが見えて来ますが、其れを感知させ無くして居るのは、頭の極わずかな領域だけで知り得た固定観念と目先の欲の様な気がします。病気とは怖い物では無く、自分の考え方や生活態度を含めた生き方が唯肉体上に現れた状態で有ると言うだけの事で、其れに気付けば自分の細胞の核に刻み込まれて居る人間として最高の生き方をすると言うプログラムが起動を始め、同調した行動を取る事に比例して其の結果も瞬時に肉体に現れて来る事だと思います。病気、特に大病とは長年の自分の不摂生が愁訴と成って身体へ現れた物ですが、何十年も掛けて作り上げて来た愁訴で有っても、人間の気付きや想いは時間と空間を超越し、想いが強い程加速して愁訴を消滅させる事が出来るのだと思います。其処に大いなる愛と御慈悲を感じ、大宇宙の秩序其の物を見る事が出来ます。治療とは、幸せとは外に求める物では無く、自分の中に見付けられる物だと思います。

 10月31日(火)

 研修 其の七

 以前は私も病気こそ罹った事は有りませんでしたので元気を自認して居ましたが、一方、頭痛、肩凝り、酷い肌荒れと目の下の隈等は常時持ち合わせて居り、其れ等は元々の体質と不規則な生活が原因だろうと思って居ました。暴飲暴食の直後は肌荒れも更に酷く成りましたので、食事との関係は其の程度にしか考えて居ませんでした。無双原理に出会い、人間の身体にも食物にも陰陽が有り、陰性の物を摂取すると心体は陰性に傾き陽性の物を摂取すると陽性に成ると言う具合に常に変化して居ると言う事を知った時は目から鱗が落ちました。其の時の身体の状態に合う食物を摂取する事で良い体調を保つ事が出来、身体を作る為には主食として精製して居無い全粒穀物を摂り、動物性食品の摂取を止める事に因って血液が綺麗に成ると言う理論は私に希望を与えてくれました。更に、心と身体は一体で、肉体の不健康は当然精神面にも悪影響を及ぼし、血液の浄化は肉体と共に心の浄化にも繋がると言う事にも納得出来ました。摂取した食物に因って健康を保てたり体調を崩したりと言うのは、食べた物が消化されて血や肉と成って身体を作って行くので当然ですが、更に心も大きく左右され、精製食品、加工品や血液を汚しDNAも置き換えて仕舞う動物性食品を摂ると言うのは自然な行為では無く、当然の報いとして身体も心も崩壊して行くのだと思います。当時は若かったので病気らしき物に未だ罹ら無かっただけで有り、もし、此等の事に気付か無ければ相変わらず暴飲暴食を続け、もう少し年を取った時に或る日大病に倒れて仕舞うと言う近未来が待って居たかも知れません。私にとって無双原理は、其れ迄長い間謎、疑問に思って居た事を全て解決してくれた唯一の理論で有り、此を境に生きる事に大きな希望が持てました。どうして風邪を引くのだろう、頭痛が起きるのだろう、他の人に比べて何故肌が汚いのだろう・・・其れ等の原因が全て自分に有るのだと分かった時、少なくとも食生活を正せば健康を手に入れる事が出来ると言うのは非常に励みに成ります。自分の行為に比例した分だけ結果と成って帰って来るのは当然で、自分の力で未来を明るい物に変える事が出来ると言うのは、努力したにも拘わらず原因も前触れも無く病気や不幸が突然襲って来ると考えるよりも、はるかに自然で健全だと思います。

 10月30日(月)

 研修 其の六

 食べる、動く、寝るの三原則が健康の基本だと言う事は世間でも言われて居る事で有りますが、其の内容に於いて、特に、食べる事に関しては間違いだらけの知識を礎にして居ますので、其れを見習って居たとしても、多くの人はやがて健康を損なって行きますが、信じて居る知識の方が間違って居るとは思わ無いので、「何故?」と頭を捻る事に成ります。治療の代表者と信じて居る西洋医も、「原因不明」「現在の科学では分かって居ない」「何らかの原因により・・・」等の言い訳を頻繁に使用しますので、患者本人も自分が原因を作って居るとは全く思わず、病気とは突発的に起こる災難の様な物だと言う確信を益々深める事に成ります。単純に考えてみても、原因が有るから結果が有り、結果を遡って行けば原因が見つかる筈で、原因が分から無ければ治療法も見えて来無いではないかと思います。詰まり多くの医者は、原因を探る事無く暗中模索の治療をして居ると言う恐ろしい事に成ります。私は時々身内の付き添いで病院へ行き医者の説明を聞く事が有りますが、医者の診断の甘さには驚きます。医者は、「此の病気(腰痛、神経痛)は食生活とは全く関係が有りません。」ときっぱりと言います。そして治療と言っても投薬だけで、其れが効か無ければ違う薬を使用すると言う事の繰り返しで、骨格の歪みを矯正すると言う治療は見られず、此では治療では無く薬に因って痛みを麻痺させて居るだけではないかと思って仕舞います。患者も骨格の歪みを正そうとは全く思わず、唯痛みだけが取れる事を願って居り、食事には全く気を付けません。結局、患者自身も医者任せで努力を怠り、医者も其の場限りの投薬のみですので、根本原因が解決される事は無く、たとえ其の愁訴が取れたとしても、月日を経ると別の箇所に別の愁訴が現れたり別の病気に成ったりと言う事を繰り返して居ます。此が何十年もの間、風邪で寝込んだ事が無く、頭痛、肩凝り、腰痛、食欲不振等の身体の不調を全く経験した事が無いと自慢する程元気だった人の現在の状況です。結局、解決を先に延ばせば其れだけ自分が苦しむ事に成るのに・・・と残念に思います。

 10月29日(日)

 研修 其の五

 実際は自分が作り出した物で有るにも拘わらず、病気は或る日突然降りかかって来る災難だと考えて居る人が殆どです。「今迄元気で何処も悪く無かったのに、検査をすると重病が発見された・・・病気って怖いねぇ。」と言う会話を頻繁に耳にします。私は、食べ過ぎたり外食をしたりすると肩が凝ったり胃や身体全体が重く成ったりしますし、其れ程の邪食で無くても、摂取した物によって身体が冷えたりポカポカしたり、肌に艶が出たりカサカサして来たりと、口に入る物によって心身が微妙に変化をするのが分かります。ですから、外食をした後は正食に戻し、胃が凭れたら食事を減らすと言う事を行います。もし、其の儘修正し無い状態が続けば、私の場合は、体内に溜まった毒素を排出しようとして酷い排泄作用が起こり、大変な苦しみを味わう事に成ります。酷い時には下痢と嘔吐が同時に一日中繰り返され、其の日は起き上がる事が殆ど困難な状態ですが、翌日は生まれ変わった様にすっきりとします。其の様な排泄を起こす前に正しい食生活に戻せ無かった自分の責任なのですが、身体は持ち主の粗雑な扱いに対しても無視をする事無く、身体自身の力で防衛してくれます。身体が警告を発してくれるのは大変有り難い事で有り、無視される様に成ったらお終いだと思い、出来るだけ同じ過ちは繰り返さ無い様に気を付けて居ます。此の様に食生活が乱れると様々な症状が出るのが当たり前で、病気に至る前に自覚症状を感じ無いと言うのが不思議で成りません。実は慢性に肩が凝って居るにも拘わらず本人は気付いて居無かったり、骨格が大きく歪み腰痛等を抱えて居そうなのに全く身体の不調を感じた事も無く健康体を自認して居る人も居ます。「便秘なんて経験無いのよ。お通じは毎日必ず有るから。」と言って居る人でも、腹部を触ってみると皮膚の下は石の様に固く冷たく成って居り腸の動きが悪い状態であったりします。此の様な人達は、症状が無いので健康体だと思い込み、勿論、間違った食生活を其の儘続けて行く事に成り、愁訴が出た時には可成り深刻な状態で病院へ駆け込む事に成ります。始めは身体からの訴えは必ず有った筈だと思うのですが、其れに気付か無かった、若しくは無視をし続けた結果、警報機が働か無く成った様です。

 10月28日(土)

 研修 其の四

 私は正食を始めた時から病院とは縁を切り、風邪を引いたり怪我をしたり急病に成った事も有りましたが、病院へは行かずに手当法で回復して来ましたし、主人も私がして居る事を見て来ました。怪我をしたり急病に成った時には、家族にとっては、一刻も早く病院に行って欲しいと思うのが心情だと思います。其れにも関わらず患者自身がキャベツを巻いたり、里芋を摺り下ろした物を貼ったり、おまけにシールを貼ったり身体に絵を描いたりと言う不思議な行動を取ると、端で見て居て気が気では無いのも当然です。始めの頃は怒られて居ました。「そんな変な事して無いで、早く病院へ行こう。」と言われた物ですが、其の内に、「又、変な事やって居る。」と言いながらも黙って見て居てくれる様に成り、今では可成り信用してくれて時々手当を頼まれる様にも成りました。昔は、私自身も半信半疑で恐る恐る実践して居ましたし、診断を誤って逆の手当を行い症状を悪化させて仕舞ったりと言う事も屡々でしたので、此等の不思議な治療を認めて貰うのは時間が掛かりました。私自身が徐々に食養、手当法やビームライト治療法の真意を理解して来るに連れて効果が現れ、幸い最近は御陰様で、私自身が体調を崩す事も無く成り何時も元気で居ますので、其れが家族には安心な事で有り実践して居る事の証明と成って居ます。多くの失敗を経験し、難しいと頭を抱えながらも此処迄続けて来られたのも、病気は自分自身で作った物で有り、自分の蒔いた種は自分で刈り取らねば成らず、自分の思いや行動が未来を決定すると言うのが此の世の法則で有る事だけは強く信じて疑わ無かったからです。自己管理をし、自分に責任を持つと言うのは、此も仕事や人間関係を含めた生き方全般に通じる法則で有り、自分の身体に対しても例外では有りません。世間に蔓延って居る医療、健康についての常識と言われる物は、どれも抜け道や言い訳を沢山作った例外だらけの空論です。此の事に気付いて嫌気が差し、じゃあ真実は何か・・・本物を辿って行けば其の根底に有る核が存在する筈で、其れこそが揺るぎ無い宇宙全体の法則で有り其れを知りたいと思い続けて来た結果、見付ける事が出来ました。何か可笑しいと疑問を持ち続けて居られる方は、発想の転換をしてみれば自力本願に気付く事だと思います。

 10月27日(金)

 研修 其の三

 「じゃあ、其の人は病気に成ったらどうしなさいと言ってるの。」と聞いた所、具体的な処置法等は話され無かったそうです。多分、世間の人達が一番知りたいのは其処だと思います。薬や病院での治療に代わる適切な治療法を知ら無いので、つい、病院へ行って仕舞うのだと思いますが、健康への関心は高く、其の様な情報には興味を持って居る人は多いと思います。巷に健康法と呼べる物は溢れて居ますが、どれも一つの視点で捉えた物でしか無く、多様に変化する身体に適応出来る物では無いので、たとえ始めは其れで調子が良かったとしても、体質が変化して行った時には当然合わ無く成りますが、其の点を考慮し無いので、今度は違う健康法に飛び付き再び同じ結果と成ります。結局、どれも万能では無いではないかと言う事に成り、長続きし無い様です。当然、体調を崩したり病気に成ったりした時には、其の人達は大抵病院へ行きます。巷の健康法はあくまでも健康法で有って治療法では無いので、最終的には薬や病院に頼って仕舞う現状です。最近は医療ミスや病院を舞台にした事件等のニュースを頻繁に聞く様に成り、此迄以上に病院に対する失望が広まり、出来れば行きたく無い所だと思って居る人は多いと思います。薬に頼りたく無いと言うのは既に多くの人が思って居ますし、医療関係者の方からも其の様な意見が出て来るのは、其れが真実で有るだけに歓迎するべき事で、此からも増えて行く現象だと思います。西洋医学以外での他の治療院に於いても、有る特定の症状に関しては良い治療だと思える物は既に存在して居ますが、其れ等が此迄余り日の目を見無かったのは、西洋医学至上主義だけでは無く、民間治療も万能な物では無かったからだと思います。其れは、我々が視点を外に向けて居たからで有り、本当の治療と健康法は同一の物で、其れは自分で自分を管理し時には治療をするのが本来の姿で有り、其の為には食物が心身に及ぼす影響を知り、正しい食生活を送ら無ければ成ら無いと言う事に気付く事だと思います。

 10月26日(木)

 研修 其の二

 「病気に成っても、病院へ行ったらあかんねんて。熱が出ても、薬を飲んだらあかん。熱が出るのは身体がウイルスと戦って居るからで、熱を出す事によってウイルスも死んで仕舞うから薬で下げ様としたらあかん。薬を飲んだら免疫力も低下するから飲ま無い方が良いんだって。」と主人は聞いて来た事を説明してくれました。主人もどちらかと言えば病院嫌いで、風邪を引いたり急病に成ったりした時にも即病院へ行くと言うタイプでは有りません。出来るだけ我慢して様子を見て、次に薬局の薬を試し、其れでも効か無い時に初めて病院へ行きますが、其処で貰った薬も効か無いと言って屡々怒って居た物です。其処で私の手当法やビームライト治療を施して回復して来ましたので、病院が全てでは無いとは思って居る様ですが、元西洋医だった方が此の様に病院を否定されると言うのは主人にとっては重みが有ったのかも知れません。手当法やビームライト治療も実際に体験をすると身体で納得出来るのですが、何故効くのか分から無いので、効果を認めつつも摩訶不思議な治療・・・もしかしたらお呪い?と半分考えて居た様です。主人に限らず、仕組み、理論が分から無いと、信じられ無いと言うのは当然だと思います。食物が身体に及ぼす影響、相似、四面性理論、波動が及ぼす影響等を話して来て居ますが、一般常識とは大きく違って居る為に理論自体をなかなか受け入れられ無い様です。主人の混乱して居る様子は昔の私も経験が有りますので良く分かりますし、一、二度体験しただけでは真意を理解するのは難しいと思います。おやっと思った時に、もっと深く知りたいと興味を持てば結果が違って来ますが、一般常識の方に付いて居た方が無難だと思って居る様です。其の医療コンサルタントの方が説明された事は、過去に私が言って来た事でも有りますが、其の方がお話されると納得した様です。今迄、私の説明には馬耳東風だったのですが、私と同じ事を言って居ると思いながら講演を聴いて居たそうです。余りにも身近な人間が言う事は俄には信じられ無いが、周りで同じ事を言う人が出て来ると、「へ〜、そうなのか。」と改めて実感する様です。此迄の説明が無駄では無かったのだと思いました。

 10月25日(水)

 研修 其の一

 主人が、職場の研修で二日間のセミナーを受講して来ました。一日目は、医療コンサルタントをされて居る方の講演で、帰宅後、面白かったと言って内容を話してくれました。其の方は元々西洋医だったのですが、身内の方を癌で亡くされた事を切っ掛けに其れ以前から抱いて居た西洋医学の矛盾点を確信し、今では医者と言う職業を捨てて西洋医学を否定する講演を各地で行って居るそうです。手術で臓器を切り取った後に強い薬の投薬で更にガン細胞を攻撃する状況は、治療と言うよりも患者自身を攻撃して居る姿にしか見え無かったそうで、身内の方は加速して悪く成られて術後はあっと言う間に亡く成られたそうです。癌の治療のみ成らず、殆どの入院患者は退院時よりも入院する前の方が元気だったのでは無いか・・・と思える状態を私も何度も見て居ます。退院後何年経っても、「体力が落ちた。」「昔の様な力が出無い。」等、殆どの方が病巣自体が無く成っても身体全体の機能低下を必ずと言って良い程言って居ます。癌と言う程の大病で無ければ・・・其れ程の大手術で無ければ、術後長い年月を経て身体の機能回復に至る様ですが、其れでも完璧と言う訳では無く無意識にメスを入れた所をカバーしながらの生活をして居ます。「身体にメスを入れる物じゃ無い。」と患者自身は口を揃えて言って居ますが、其れでも病巣を切り取ると言う行為を選択して仕舞うのは、病巣と言う目に見える形の物を残存させながらの治療は不可能だと言う固定観念で有り、目に見える病巣は結果で有って結果自身を消滅させても根本原因を知り病気に至った経過を修正して行か無ければ再び同じ結果に陥ると言う真実に気付いて居無いからだと思います。心を落ち着けて考えてみれば、原因を知り其処から軌道修正をして行く方が一から生まれ変われると言う事は、病気に限らず仕事、家計の遣り繰り、人間関係や他のあらゆる生活全般に通じる法則で有り常識です。現在の西洋医学に於ける治療法に対しては誰もが一度は疑問に思った事が有る筈で、本来、実際の症例、現場を見て居る医療関係者自身が矛盾点に一番に気付くべき事だと思います。寧ろ其の医療コンサルタントの方の方が真ともだと思いますが、真ともな事が目立って仕舞うのは世の中が虚偽だらけだと言う事だと思います。

 10月24日(火)

 来客 其の九

 私は、結婚する前は気が向けば作ると言った程度で、料理を殆ど作りませんでした。両親が仕事で不在だった土曜日のランチ等は、妹と二人で宅配のピザを注文したり、近くのお店に外食に出たりして居ました。毎週違うお店へ行くのが楽しみで、二人で休日のお昼をのんびりと楽しく過ごした物です。何時も誘うのは私の方で、妹はそんな私に付き合ってくれて居ました。妹は、食に関して淡泊で、どちらかと言えば無関心です。質より量が充実して居れば満足で、美味しい白い御飯さえ有れば副食は何でも良いと言ったタイプです。間食もしませんし、お酒も甘い物も好みません。もしかしたら、私よりも欲が無いかも知れ無いと思う時も有ります。料理を作る事が好きに成って来ると、自分の味に拘り視野が狭く成る危険性が有ると思います。料理が好きな人、グルメ志向の人、舌が肥えて居る人は、兎角お料理の批評をしがちで其の事によって美味しさを半減させて仕舞い、折角のお食事も楽しく戴け無いと言う皮肉な結果に成って居ると思います。私も、心を込めて作って頂いた物は、其れだけで何時も美味しく戴きたいと思って居ます。妹は昔から、偶に私が作った料理を何時も美味しいと言って沢山食べてくれるので嬉しく思いましたが、反面、「妹の味覚は当てに成ら無いからなぁ。」と苦笑して居ました。食に拘るのが良いのか、無関心な方が良いのか分かりませんが、妹の様に何でも美味しいと言って食べてくれれば作り手は嬉しく思いますし、何を食べても美味しく思えると言うのは幸せだと思います。食に無関心な妹は、料理を作る事も苦手として居ますが、舌が肥えて居られる旦那様は料理を作るのが大好きで、好みの調味料を揃えて居られ、実際に台所で腕を振るわれるそうです。妹が調理中でも様子が気に成って仕方が無いらしく、交代して料理を作る事もしばしばだそうです。味に関して色々注文が多いので大変だけど、代わりに作ってくれるのでラッキーだと妹は言って居ます。そう言えば、私は今迄一度も妹の手料理を食べた事が無い事に気付きました。昔から、料理が苦手だと言って全く作った事が無く、主婦と成った今も私は未だ御馳走に成った事が有りません。妹夫婦と一緒に夕食を囲んでの団欒は非常に楽しく、今度は私がお宅へ伺って妹の手料理を是非味わってみたいと思って居ます。

 10月23日(月)

 来客 其の八

 初対面の人でも、「あれっ、此の人知って居る。」と思う事が偶に有ります。本当に初対面なのですが、会った瞬間に胸の奥から懐かしい様な感情が沸き起こって来て、遠い昔からの知人に出会った様な気がします。出会う事を待ち望んで居た相手に長い年月を経て対面した様な懐かしい感情です。其の様な人は、其の後のお付き合いが進むに連れて矢張り出会うべくして出会った相手だと確信が深まり、実際に人生に於いて重要な人達と成って居ます。逆に、お付き合いを進めて行くと全く合わ無くて意地悪な行為をされると言う特別嫌な相手も居ますが、其の場合でも反面教師として多くの事を其の人から教わり、其れが転機と成って進路が大きく変わったと言う体験も有ります。良くても悪くても、自分の人生で或る時期、後に重要な役割を果たしてくれる人達と言うのは初対面の時に何か感じる物が有ります。まるで自分の奥深い所に有る意識が、気が付か無い間に時空を越えて旅をして居り、重要な人達に出会う事によって眠った記憶が一瞬呼び起こされるかの様です。其れは人物に限らず土地に対しても抱く場合が有ります。私は子供の頃から、NARA、ASUKAと言う音の響きに非常に郷愁を感じて居ました。日本人で有れば多くの人が此等の地名に対して同様な感情を抱くのかも知れませんが、訪れた事の無い其れ等の土地に懐かしさを覚え、頭の中に浮かんで来る情景を温めながらずっと訪ねてみたいと思って居ました。其れから可成りの年月を経た現在、偶然其の土地に住んで居ます。初めて此の地へ来た時も矢張り此処は初めてでは無いと言う気がして居り、散歩をする時に目にする風景が想像して居た通りの物で、住むべくして移り住んだ土地だと思いました。此の土地にやって来て10年近く経ちます。時折、我が家から一般の観光客の様に観光コースを徒歩で散策を楽しむ事が有ります。何度同じコースを巡っても飽きず、とても安らぎを覚えますが、まだまだ知ら無い所も沢山有りますので、今度妹夫婦の様にサイクリングで一日掛けて村中を回るのも素敵だろうと思いました。お決まりのコースでは無く、山の麓や脇道へ入って見る事によって、又、再び胸の奥から何か沸いて来る物が有るかも知れ無いと期待して居ます。

 10月22日(日)

 来客 其の七

 私と妹の両親や旦那様の実家は農家で、時々、農作物を送って戴いて居ます。旦那様の実家からは主にカボスを、母の実家からは季節の農作物が送られて来ますが、其の中でも私が一番重宝して居るのが天日干し椎茸です。母の実家では様々な農作物を作って居り、椎茸も其の一つですが、天日で干した物が一年に一度、母の元へダンボール箱で送られて来ますので、我が家も其のお零れを頂戴して居ます。お零れと言っても、ボストンバッグが一杯に成る位の可成りの量です。両親の郷里ではどんこ椎茸が名産品で有り、売り物をこんなに沢山戴いて良いのかしらと恐縮して居ますが、最近は中国産の物に圧されて余り売れ無いそうです。送って戴いて居る物は大きい物も有りますが小さ目の物が多く、形が整って居無く、傘が割れて居たりして居ます。きっと商品として販売出来無い物なのかも知れませんが、家で使用するには全く問題は有りません。其ればかりか、商品価値が十分有るだろうと思われる程の大きさの物、形が綺麗な物や調理し易い様に予めスライスされて居る物も含まれて居ますので本当に有り難いです。水で戻すと非常に肉厚で良い出汁が採れますし、調理してもつるんとした感触と強い味が何時までも残って居ますので、美味しく戴いて居ます。一般の椎茸は、育てる段階で薬品を多量に使用して居ると言う事を聞いて居ましたので、祖母からの物もそうかも知れ無いと思って居たのですが、祖母の畑の農作物は無農薬だと言う事を最近母から聞きました。確かに戴いた物は薬品臭がしませんし、自然食品店で購入する物と比べても全く遜色が無く大変美味しい天日干し椎茸です。昔から母は故郷の野菜は美味しいと度々言って居ましたが、私も自分で彼方此方で買い物をする様に成って其れを実感しました。私は普段は自然食品店から無農薬・無化学肥料の野菜を購入して居ますが、其れ等と比べても両親の里から送られて来る野菜は生命力に溢れて居り大変美味しいです。きっと空気、土、人間、育て方が良いのだろうと思います。母は故郷から送られて来た物を我が家と妹宅とに振り分けますが、妹は天日干し椎茸は要ら無いと言いますので、其の分も我が家が頂戴して居ます。毎日数枚を使用して居ますが、一年の内半年以上は両親の里の物を使用出来、大変有り難く重宝して居ます。御陰様で、干し椎茸昆布玉葱エキスを安心して毎日飲む事が出来ます。

 10月21日(土)

 来客 其の六

 妹に料理の感想を聞いた所、「美味しかったよ。御腹が一杯に成った。御味噌汁は濃いね。」と言って居ました。旦那様が濃い味噌汁が好きだと聞いて居ましたので、其の日は何時もよりは若干濃い味付けにしたのですが私には其程濃く感じませんでした。私の母の料理は全般に非常に薄味なのですが、逆に母方の祖母の料理は味噌汁に限らず全体的に色も黒っぽくしょっぱい味付けです。私は母とも祖母とも又違う味加減で、親子でも環境が違うと味付けが変わって来る様です。妹は料理が苦手で、料理好きな旦那様が代わりに作る事も有るそうで、妹は、旦那様が作る方が美味しいと言って居ます。旦那様に、「どんな料理が好きですか。」と聞いた所、中華料理やパスタ等のイタリアンが好きで、家で作るのももっぱら其れ等だと答えられました。男の人がパスタ好きと言うのは珍しいと思いますが、現代的な食事を好んで居られる様子が伺えます。九州へ里帰りをされた時には、実家の方達の作られる家庭料理を懐かしい想いで食べられるのかと思ったのですが、妹夫婦が行くとお家の方も焼き肉や唐揚げ等の御馳走を作って持て成されるとの事です。私は実家へ帰ると、昔から全然変わって居無い母の味が大変懐かしく、美味しく思います。我が家で作って居る様な正食料理では有りませんが、母の手料理は全てが美味しく感じます。私は子供の頃は可成り好き嫌いが有りましたが、今では母の味付けと言うだけで何でも大好きで、実家では御馳走では無く普段の食事を出して貰う様にして居ます。昔は嫌いだったお総菜も此の様な想い入れが有る為に今は美味しく感じられるのかも知れませんが、妹の旦那様は逆に田舎料理は今では却って好ま無いのだそうです。大人に成ると嗜好も変わり、料理を作る様に成ると自分独自の味を形成して行きます。私の母は、「田舎ン衆の味は辛い。」と言って祖母の味を受け継がず、私も正食料理の道を選びましたので母の味付けとは違って居ますが、母の味は永久に覚えて居たいと思って居ます。男の人はなかなか粗食は好ま無いのかも知れませんが、もう少し年を取れば嘗て食べて居た田舎料理も懐かしく思われるのかも知れません。普段は現代的な食事を採って居ても、実家の味は味わえる内に堪能して置いた方が良いのに・・・と思いました。

 10月20日(金)

 来客 其の五

 妹夫婦は御飯を沢山食べます。一ヶ月に二人で十五キログラムの白米を消費して居るそうです。旦那様は一日の内一、二回を職場の食堂で食事をされますし、休日は二人で外食をして居るにも関わらず此の数字ですから多い方だと思います。昔から妹はお米が好きで、白い御飯を茶碗に二、三杯は食べて居ましたし、旦那様も大食家だそうです。此の日の御飯は、白米に稗、蕎麦等の雑穀と根菜類を一緒に合わせた炊き込み御飯にしました。普段の我が家では、私用として四分の一合の玄米、主人用として一合程度の白米を毎回炊いて居るのですが、今回は四人と言う事で三合のお米を炊きました。何時もならば米も水加減も目分量なのですが、一度に此程の量を炊く事が滅多に有りませんので、計量してから圧力鍋で炊きました。少々心配でしたが上手く炊き上がり、妹も柔らかくて美味しい御飯だと言ってくれました。一人分より一度に三、四人分を炊く方が美味しく出来る様です。普段我が家では白米を厚い鍋で炊いて居るのですが、今回圧力鍋で炊飯してみると、玄米に比べると柔らかいながらも白米とは思え無い程もっちりとして何時もよりも力が籠もった御飯に成って居り、一膳で御腹が膨れました。圧力鍋を使用した事によって陽性化された事と、雑穀を2割混ぜた為御腹が温められたのだと思います。主人は雑穀は食べ無いのですが、色や味が付いた炊き込み御飯でしたので、主人も妹夫婦も雑穀が混ざって居る事に気付か無かった様です。主人はお肉と言う陽性の副食を摂る事が多いので、此の上、白米に圧力を加えて陽性化すると身体が更に陽性化するのでは無いかと思い、此迄圧力鍋は使用して居ませんでした。然し、圧力鍋で炊飯する事に因って少しは力に成り、食べ過ぎを防げるのでは無いかと思い、以後使用して居ますが、今の所主人は炊き方を変えた事に気が付いて居ません。主人は御飯を沢山食べる方では有りませんが、少しでも力に成る物を食べると副食の量も減るのではないかと期待して居ます。妹夫婦も力に成る主食を摂れば、食べ過ぎが緩和されるのに・・・と思います。

 10月19日(木)

 来客 其の四

 団子汁が嫌いだったと言うよりも、私は子供の頃は御味噌汁が嫌いでした。御味噌汁には葱が必ず入りますし、母は具として玉葱も頻繁に入れて居ましたので、私が葱や玉葱と言う匂い物が嫌いだった事も理由の一つだと思います。母は何処にでも売られて居る市販の御味噌を使用して居り味付けも可成り薄味でしたが、九州の母の実家へ行った時に出された御味噌汁は、匂いが強く味も大変濃くしょっぱかった事を覚えて居ます。其れはほんの数回しか味わって居ませんが、今でも彼の強烈な香りと味は覚えて居ます。そう言えば祖母の家全体に何となく御味噌の匂いが染み付いて居り、田舎の物はなんて強烈な味だろうと思った物でした。今思えば、恐らく手前味噌だったのでは無いかと思います。今は私も御味噌が大変好きに成り、常時数種類を用途に応じて使用して居ます。八丁味噌、豆味噌、玄米味噌、麦味噌、白味噌、合わせ味噌、雑穀で作られた五穀味噌等も使用して居ます。どの食品もそうですが、御味噌も即席に大量生産で作られた物と、伝統的な方法で時間を掛けて作られた物とでは味も身体効果率も全く違って来ますので、出来るだけ添加物の無い伝統的製法で作られた物を自然食品店で購入する様にして居ますが、私の記憶に有る祖母の家の御味噌は、我が家に有るどれよりも香りも塩気も強かった様な気がします。妹の旦那様が愛用されて居る御父様の手製の御味噌も、祖母の家の物と似て居るのかも知れません。一度、是非味わってみたいと思って居ます。夏の間は御味噌汁が欲しく無く、時折飲む場合も、冷たくした物を具を控え目にして戴いて居ましたが、今は美味しく感じられる季節に成りました。私は御味噌汁はどちらかと言うと濃い味付けにする方が良く、根菜類をたっぷり入れたり饂飩を入れたりするのが好きです。特に昨日は炬燵が恋しく成る様な急な冷え込みで、こんな日には味噌煮込み饂飩が美味しく感じられます。此からの季節は味噌煮込み饂飩が我が家の食卓に頻繁に登場しそうです。

 10月18日(水)

 来客 其の三

 私と妹の両親や旦那様の里の郷土料理に、団子汁が有ります。団子と言うのは饂飩の様な棊子麺の様な細長い手製の麺の事で、其れを根菜類等の具と一緒に味噌汁に入れて戴きます。特徴は、麺を伸ばすのに麺棒を使わず、又、包丁で切り分ける事もしないで、全て手で行います。子供の頃から私の両親は、頻繁に此のお料理を作って居ました。饂飩と違って短時間で出来、麺を寝かす時間も含めて30分も有れば出来上がります。寝かせた麺を適量取り、其れを指先でほんの一瞬の間に薄く細長く伸ばして鍋に入れて行く作業は凄い技だと思います。主に母が料理をして居ましたが、父も此の団子汁作りは大変上手で、麺を伸ばす作業も、空中で瞬時に数十センチにまで伸ばして次から次ぎへと鍋に入れて行きます。なかなか真似が出来ない巧みな手捌きですが、郷土料理なので彼方では何処のお家の人でも出来るとの事です。私は子供の頃は此のお料理が好きでは有りませんでしたが、今では大変好きで、実家へ帰った時には何時も作って貰います。私も家で作ろうと試みますが、空中で麺を指で伸ばす作業がなかなか両親程器用に出来ず、つい麺棒を使って伸ばした後包丁で切って行く方を選択して仕舞います。指で伸ばすのと包丁で切るのとでは味が全然違い、矢張り手で行った方が滑らかな平たい麺に仕上がりますが所々団子の様なモチモチ感が残り、「成る程、だから団子汁と言うのかも・・・。」と思って納得して居ます。私の作る物は、結果として団子汁では無く味噌煮込み饂飩に成って仕舞うのですが、其れは其れで私は好物です。本当は団子汁を作った方が良かったのでしょうが、上手く作る自信が有りませんでしたので此の日は味噌煮込み饂飩にしました。妹の旦那様は、「此は手作りの味噌ですか。」と聞かれました。私は、「いえ、お店で買って来た物ですよ。」と答えた所、意外だと言う表情をされました。其れは自然食品店で購入した物で、極力伝統的な製法で作られた玄米味噌を使用しましたので、御父様の手製の御味噌を愛用されて居る旦那様のお口に合った様です。

 10月17日(火)

 来客 其の二

 妹夫婦も子供が居りませんので、二人で豆に彼方此方へ出かけ、都会に住んで居ると言う利点も有って、散歩として都心へ出向き外食も多い様で舌が肥えて居ます。此の日のお料理も豚カツは私以外の皆が食べますので、一番早く無く成りました。彼らは精進物のカツや野菜コロッケは食べて居ましたが、煮物や生野菜や果物には箸を付けませんでした。妹は子供の頃からお肉が好きで、母は妹にはお肉を多く盛り付けて居り、野菜だけの食卓の時でも、妹だけにはお肉料理を特別に作って上げる事も有りました。然し、大体田舎料理を作る母の食事に親しんで育って居ますし、野菜も食べる方で、特に好き嫌いが激しい訳では有りません。一方、妹の旦那様のお父様は大正生まれの方で、色々な物を手作りして居られます。梅干し、味噌は勿論ですが、昔は海水を汲んで来て塩も作って居られましたし、現在も醤油は自家製だそうです。旦那様は其の様なお父様の元で、又、自然に囲まれ農作物が美味しい所で育って居ますので、私が作る粗食も懐かしく思われるかも知れ無いと思って居ましたが、此の日は妹も旦那様も煮物には手を伸ばさず、専ら私と主人の二人で食べました。主人は煮物を食べながら、「優しい味がする。こんなのを食べたら健康に成りそう。」と言って居ました。主人の口から其の様な形容の言葉が出て来るのは珍しい事です。御客様の手前だったのかも知れませんが、嫌々食べて居る顔では無く、畏敬の表情をして居ます。主人は元々素直で非常に純粋な性格で、心配りに優れて居る点は私も普段から見習いたいと思って居ますが、何かの折りに時々畏敬の表情をします。素直な気持ちに成って居る時で有り、気付きの瞬間で、其の様な時は話し掛け無い様にして居ます。多分、深い所では何が本物なのか解って居るのだと思いますが、其れを日常に活かす事が出来無いのは、顕在意識が日常生活の中で欲や既成概念で多くを占められて居るからだと思います。欲は誰もが持って居る物で、其の奥に存在して居る真実と同調した心を思い出し、実行する事で世界が変わって来ます。主人の気付きを今後も見守って行きたいと思うと同時に、すっかり現代的な食事に慣れて仕舞って居る妹や旦那様に、子供の頃食べて居た素朴な食事を思い出して欲しいと思いました。

 10月16日(月)

 来客 其の一

 妹夫婦が遊びに来ました。妹は此迄も何度か訪れて居ますが、夫婦で見えるのは初めてです。旦那様は遺跡を見て回るのが好きとの事で、以前から我が家の近くの古墳巡りをしたいと言って居ましたが、今回念願が叶い、近隣へ二人でハイキングに来た帰りに立ち寄ってくれたのでした。お客様をお迎えするのはワクワクします。我が家は普段は飾り気が無く殺風景ですので、此の様な時は部屋を飾ったり、献立を考えるのも楽しい物です。どんなお料理を作ろうかしら・・・と散々考えましたが、野菜だけの食卓だと主人の食欲が失せますし、お客様も寂しいだろうと思い、お野菜中心の献立にしてお肉料理も添える事にしました。白米と雑穀に根菜類を混ぜた炊き込み御飯、味噌煮込み饂飩、豚カツ、味付けした高野豆腐や蒟蒻をお肉に見立てた精進物のカツ、野菜だけのコロッケ、煮物、生野菜と果物の盛り合わせと言う献立にしました。妹夫婦はお酒を殆ど飲ま無いのは分かって居ましたが、形だけでも・・・と思い、主人にお酒の購入を頼んだ所、「前菜は何にするの。」と聞かれて初めてお食事しか考えて居なかった事に気付きました。「いきなり食事と言うのは不細工や。先ず、前菜を摘みながらワインで微酔いに成った所で食事に移る方が盛り上がる。」と言われて、成る程と思いました。主人はお酒を飲みませんが、良く気が付く物だと感心しました。結局、主人はビールとワインを買って来てくれましたが、先ず、手製の薩摩芋の羊羹と御茶を戴きながら四人で暫く話した後での夕食では、妹夫婦はビールもワインも飲みませんでしたので、我々だけお酒を飲みながらお料理を戴きました。二人は、駅前で自転車を借りてサイクリングを楽しんだ事を話してくれました。自然の風景を満喫した様子で、「此方は想像以上に田舎であり、こんなに多くの緑に出会ったのは夏休みに実家へ帰った時以来だ。」と言って居ました。旦那様の実家は私や妹の両親と同郷で、実家同士が知り合いでも有ります。私は旦那様の里へは伺った事は有りませんが、山奥に有る母の実家や辺り一面に田畑が広がって居る父の実家を思い浮かべて、「彼処まで田舎では無いつもり・・・。」と思いましたが、都心の近くに住む二人にとってはカルチャーショックだったのかも知れません。

 10月14日(土)

 村の野菜直売所 其の七

 直売所への道の両側には田圃が有り、今の時期は稲穂が垂れてそろそろ刈り入れを待って居る物や既に刈り取られて天日に干されて居る所も有ります。其の田圃の畦道には、今年も彼岸の頃に彼岸花が咲いて居ました。何時も彼岸に成ると一斉に咲く様子を眺めて居ると、自然の営みは本当に不思議だとつくづく思います。彼岸の時期にしか咲か無い・・・少し毒々しいですが、とても綺麗で魅力的な花です。以前ビームライト講座で、里芋パスタに彼岸花の球根の摺り下ろしを混ぜると、パスタが深部へ浸透し排毒が加速すると習った事を思い出し、スコップを持って買い物へ行き、帰り道に球根の採取を試みました。直ぐに採れると思って居たのですが、根が深く、おまけに地中で周囲の根が密集して居り、傷付けずに掘るのは困難でした。球根が見えましたが、土の中にしっかりと埋まって居り、可成り姿を現して来たにも関わらず土に貼り付いて抜く事が出来ません。想像以上に頑丈で十分以上格闘した末に諦めました。此の様な土に貼り付く力強さがパスタの効果を高めて居るのかも知れ無いと思いました。又、折を見て採取させて頂こうと思って居ます。直売所までの二十分の道程は、目を凝らせば様々な自然と触れ合え、季節感を味わう事が出来ます。春には桜、初夏には新緑が美しく、時には蓬を摘んで帰り入浴剤にしたり手当に使用したりして居ます。然し、私が其の村について先ず思い浮かべるのが、柿が実って居る風景です。勿論、私個人の好みなのですが、日が落ちるのが速く成って来た季節、夕暮れに柿を実らせた家々から夕餉の香りが漂って居ると言う光景を思い浮かべると、懐かしい様な恋しく成る様な暖かい気持ちに成ります。直売所にも柿が出回って来ました。此から益々其の村は良い季節を迎えます。

 10月13日(金)

 村の野菜直売所 其の六 

 昨日も栗を買って来ました。固くて艶が有り、見るからに美味しそうで、実際に茹でてみても矢張り実が詰まってホクホクして居り大変美味でした。本当に美味しい物程、余り手を加え無いシンプルな食べ方が良い様な気がします。栗も色々な食べ方が有りますが、私は茹でた物を丸ごと戴くと言う食べ方が、栗本来の味が堪能出来て一番好きです。一方、主人は栗を好みません。「食べ難いからかしら・・・。」と思い、剥いて上げても余り食べません。美味しく無いからだそうです。私は、甘味を感じるのですが、確かに南瓜や薩摩芋等に比べれば甘味が弱く、水分も少無くてぱさつくので嫌なのかも知れません。「スープにしたら食べてくれるかも。」と思い、昨夜は栗のスープを作ってみました。初めて作りますので、出来上がりの味が想像出来無かったのですが、作ってみると栗とは思え無い位に非常にコクと深味が有り、牛乳で作ったポタージュの様な味がしてビックリしました。豆乳を加えてコクを出そうと思って居ましたが、全く必要有りませんでした。薩摩芋や南瓜程の甘味が無い事が逆に良かった様で、とろみ加減も丁度良く濃厚な味で期待以上に大変美味でした。私の最近の思いつき料理の中では最高作で、今後も癖に成りそうです。然し、主人は普段濃厚な味の物を食べて居ますので、コクも旨味も感じ無かった様です。主人は食わず嫌いの傾向が有り、初めて見る料理やお馴染みの食材であっても味付けが違って居れば余り食べません。ですから、食卓に見慣れ無い料理が置かれると、四方八方から眺め、箸で散々つつき、匂いを確かめてから恐る恐る食べますが、大体一口食べて残して仕舞います。今回も「要らない。」と言うので栗の効用を話した所、珍しく残さずに全部飲んでくれました。「牛乳の様な味がするでしょう。」と聞きましたが、其れは思わ無かった様で、首を傾げながら「珍味だ。」と言って居ました。詰まり、味が無いと言う意味だと思います。同じ料理を戴いても、私達は此の様な両極端な意見です。

 10月12日(木)

 村の野菜直売所 其の五

 其の直売所へ向かう途中に、屋台のラーメンの仕込みをして居るお宅が有ります。丁度、其のお宅に隣接した空きスペースに屋台を数台止めて、昼間、数人の方達で仕込みの作業を行って居ます。今は少し、涼しく成りましたが、日中は未だ汗ばむ程ですし、今年の暑い夏の時期でも屋外で作業をされて居ましたので、側を通る度に私は、「炎天下で調理なんて大丈夫なのかしら。」と何時も思って居ました。家の中の台所よりも外の空き地の方が広いですし、水道も備わって居る為に屋外で作業をされるのだと思いますが、仕込みを終えた後もゴミが散乱して居り、其れが毎日続くのですから肉汁やスープや洗剤等が染み込んで地面も変色して居ます。おまけに其の付近は、生ゴミの匂いや獣臭で私は何時も其処を通る度に吐きそうに成ります。仕込みをされて居る方達は、マスクを装着して居る訳でも有りませんし、彼の獣臭に良く耐えられる物だと感心して居ます。其れともラーメンが大好物だと言う人達にとっては、彼の匂いが良い香りに思えるのでしょうか・・・。日本人はラーメンが大好きと言う人が多く、通の人程、スープや手間を掛けて作られたチャーシューにも拘って居ます。然し、実際、仕込みの様子は凡そ多くの家庭での調理とは全く異なり、実際に目の前で見て居ると凄まじい状況です。剥きだしの生肉の塊や出し殻の骨を大きな刃物で捌いて居る光景は、見て居て余り気持ちの良い物では有りませんが、ラーメン大好きと言う人にとっては、其の様な作業も美味しそうと思うのかも知れません。其のお宅の方達は、数台の屋台を歩道へ駐車して仕込みをされて居ますので、通り抜けようと思えば車道へ降りなければ成らず、車が余り途切れる事の無い国道ですので大変危なく、通り抜けるのも一苦労です。私は其の間、息を止めて一刻も早く立ち去ろうと試みて居ます。

 10月11日(水)

 村の野菜直売所 其の四

 其の直売所では、非常に安価なのが魅力です。品物にもよりますが、大体スーパーの七、八割位の値段で、最近は専ら栗が目当てで通って居ます。御陰で今年は栗を沢山食べて居ます。子供の頃から此の時期に成ると、毎年田舎の祖母がダンボール箱に一杯詰めて送って来てくれた栗を母が茹でてくれて、家族で集まって食べて居ました。母の呼び声と共に家族全員が集まり、新聞紙を広げた上で栗を剥いて頭を寄せ合い、お喋りをしながら楽しく戴いた物です。栗を見れば、祖母、ダンボール箱、家族との団欒が次々と思い出されて胸がポッと暖かく成ります。秋が深まって行く中で、同じ物を家族で集まって食べて居た光景は、大変懐かしい思い出です。此の季節の食卓には常に茹でた栗が置かれて居り、毎日食べて居た物でした。其の時期にしか食べられ無い物と言うのは、大変美味しく感じますし、季節の移ろいや家族との団欒の思い出と共に記憶に残ります。祖母が送って来てくれた栗は、大きさも形も様々で、中には虫食いの物や味が薄い物も有りましたが、大体実が詰まって居り、ホクホクして甘味が強く大変美味でした。当時は其れが普通だと思って居ましたが、近年スーパーで買った物を食べてみると、昔食べて居た物程旨味の有る物に出会わず、山に囲まれて自然が沢山残って居る土地で育った作物は、大変美味しく、力に成るのだと言う事が改めて分かります。其の直売所で購入して居る栗は、種類が違うのかどうか分かりませんが、祖母が送ってくれて居た物とは味が微妙に違う気がしますが、実が詰まって居り美味しく戴いて居ます。昨年迄、私も母と同様に唯茹でただけで栗を戴いて居ましたが、今年は食材の一つとして色々なお料理に活用して、日々の食事からも秋を感じて居ます。

 9月25日(月)

 村の野菜直売所 其の三

 初めての野菜と出会った時は、わくわくします。其の野菜の名前を販売所の方に尋ねたり、料理方法を教えて戴いたりと言う遣り取りも楽しみの一つですが、偶に、販売所の方も詳しく分から無い時には、生産者の方に直接電話を掛けて教えて戴く場合も有ります。我が家から遠く離れて居無い場所で、今迄名前も知ら無かった物を含めて沢山の野菜や果物が作られて居り、長閑な風景と豊かな農作物と言う恵まれた環境に居る事は、大変有り難い事だと思います。先日、其処で見付けた素麺南瓜を買って帰りました。楕円形をして居り皮も果肉も黄色の南瓜ですが、名前の通り果肉は素麺状で、半分に切って皮毎茹でた後、果肉を掻き出すとドンドン麺状の中身が出て来ます。サラダ、酢の物、和え物等で戴くそうですが、食感も味も南瓜と言うよりは、刺身のツマの大根に似て居ます。ビーフンの様に炒めたり、煮物にして食べてみました。火を通してもシャリシャリの食感は残って居り、形状も食感も面白く、初めての味でしたが美味しく戴きました。先日、主人のリクエストでインスタントラーメンを作ろうとした時に、「野菜は入れ無いで。」と要求されました。何時もインスタントラーメンには野菜を入れる様にして居るのですが、主人はラーメンだけを味わいたいそうです。葱と大蒜以外は入れ無い代わりに、副食の素麺南瓜の炒め物を残さずに食べる事を条件とした所、綺麗に食べてくれました。ラーメンのスープも飲まずに残して居り、最近は少し御利口さんです。

 9月24日(日)

 村の野菜直売所 其の二

 其の販売所の農作物は、無農薬、減農薬の物が殆どですし、新鮮で、市場より可成り安価なのが魅力です。果物も一個から購入出来ますし、大変美味しいです。其処では、陳列される野菜で季節を敏感に感じ取る事が出来ます。春は蕨、こごみ、ウド、たらの芽等の山菜も並びました。土筆も其処で購入し、生まれて初めて調理しました。夏には、南国の野菜だと思って居た苦瓜も並べられて居ましたし、ナス科、ウリ科の多くの種類の物にも出会いました。最近スーパーで、パプリカと言うピーマンに似て一回り大きな野菜を頻繁に見掛ける様に成りましたが、其処では赤、黄色、紫色のピーマン其の物が有りました。中にはバナナピーマンと言って薄い黄緑色で太った唐辛子の様なピーマンが有り、其れは他では見た事が無い物でした。緑色の茄子も初めて見ました。南瓜の種類が多いのにもビックリしました。其れ迄、日本南瓜と西洋南瓜しか知りませんでしたが、名前は忘れましたが、瓢箪型をした大きな南瓜や、最近では素麺南瓜と言う皮も果肉も檸檬色の南瓜も其処で初めて出会いました。

 9月23日(土)

 村の野菜直売所 其の一

 私の家は、市の端に位置して居り、十分程歩くと隣村に入ります。距離的には近いのですが、其の村に入ると空気がガラリと変わります。其処は、古墳等の遺跡が点在して居り、今でも幾つかの場所で発掘調査が続けられて居る為、近代的な建造物が建てられ無い様です。其の為、山に囲まれ、田圃が広がって居り、昔ながらの長閑な風景が見られますので、其の村へ行くと安らぎを覚えます。緑が多い為に空気自体が爽やかだと言う事も有りますが、其れ等の空気も土も景色も、遠い昔から大きく変わって居無いのだと思うと、時間を超越して居る様な不思議な感覚を覚えます。其処は一年を通じて観光客が訪れますが、春や秋は特に多く、暑さが少し和らいで来た近頃は、観光客の姿を度々見掛ける様に成りました。リュックサックを背負い、帽子を被って、ズボンにスニーカーと言う格好で散策をして居る人達と出会います。特に、元気な年輩の方達のハイキング姿を見ていると、私も大変元気に成ります。此から晩秋に掛けて、益々其の様な人達が増えて、付近は賑やかで楽しい季節と成ります。其の村の一角に、野菜直売所が有ります。村で採れた米、野菜、果物、花や其の加工品の販売所で、生産者の方達が、朝採りの野菜等を直接運んで来て販売する所と成って居ます。新鮮で非常に安いので、地元の人だけでは無く、観光客の方も買い物をされますし、遠方から車で買い物に来られる方も居り、何時も買い物客が絶えません。我が家から徒歩で二十分程なので、散歩の積もりで隣村へ行き、其処の野菜を覗きに行くのが、私の日課で有り楽しみと成って居ます。

 9月22日(金)

 彼岸

 暑さ寒さも彼岸迄と言いますが、最近、朝晩は秋らしく涼しく成って来ました。日の出が遅く成って来て居り、目覚めた時は未だ暗く肌寒く感じる様に成りました。数日前、我が家では布団を出しました。夜、ひんやりした空気の中、虫の鳴き声を聞きながらお布団に入るのは大変心地良い物です。季節の移り変わりを感じ、矢張り彼岸だなぁと思います。実家に電話を掛けました。母は不在で、父が電話に出ました。家で作った御萩を近所の方達にお裾分けに回って居るとの事でした。父が大好物なので、母は昔から御彼岸の時期には必ず御萩、牡丹餅を沢山作り、其れをお食事として居たのですが、餡子が嫌いな私は不思議な食べ物だと思って居ました。私は黄粉を塗して食べて居ましたが、元々お餅や餅米系の食べ物が好きでは有りませんでしたので、食べずに彼岸を過ごす事も屡々でした。美味しいと思って食べる様に成ったのは、大人に成ってからで、其れも可成り最近です。餡子の物も、食べて見ると其程甘く無く、砂糖は入って居るのですが、程良い甘さで、市販の物に比べてずっと上品なお味で、食べ易く美味しいと思う様に成りました。母の作る御萩はソフトボール大位有り、可成り大きく、一、二個食べると御腹が一杯に成ります。日本手拭いで餡を包む母の姿が思い出され、無性に母の作った御萩が食べたく成りました。父に、「食べたいので其方に行く」と言った所、「御母さんは仕事で留守にするので、今度居る時に来たら、又作って貰うから」と言ってくれました。実家に行くのは又の機会にし、其の時に母の御萩を味わうのを楽しみにして居ます。

 9月21日(木)

 シリアル 其の七

 職場の健康診断は半年に一回行われて居り、最初に検査をした時から毎回引っ掛かかって注意をされ、一時的に気を付けますので、再検査時には健常な数値にはほど遠いにしても少し改善されて居るのですが、暫くすると又悪く成ると言う事の繰り返しをもう何年も続けて居ます。中性脂肪が多く胆肝系が弱って居り、血液中にカリウムが少無いと言う結果からも、動物性食品の過食と野菜不足で有ると思います。健常値の数倍と言う可成り病的な数字なのですが、本人には危機感は無く、正常な値にしようとする意志が希薄です。彼の食事を含めた生活態度を見れば不思議でも何でも無いのですが、どうして其の様な数字に成るのか分から無いと言って居ます。本人は野菜を食べて居る積もりの様ですが、家では殆ど食べません。検査結果が出た直後や、検査が近付いて来た時だけは比較的食べて居ます。レストランではゆっくりと味わいながら食べる主人が、顰め面で手早く流し込んで居る姿からも、努力をして食べて居るのだと言う事が分かります。人間は嫌いな物は食べようとする意識を持た無いと箸が進みません。私が見る限り、最近は野菜や果物は殆ど残す傾向に有り、身体に対する気遣いや健康に成ろうと努力をすると言った姿は見られず、好きな物ばかり食べて居る傾向に有りました。一方、其れは私も同じで、家に御菓子が有ると、ついつい摘んで仕舞います。シリアルも自然食品店で買った物だと安心してドンドン食べて仕舞います。結局都会迄出掛けて買って来た物も私が殆ど食べて仕舞いました。家に有れば食べて仕舞いますので、今後は少し買うのを控えようと思います。主人も此から朝食は、シリアルを減らして果物も食べると言って居ます。

 9月20日(水)

 シリアル 其の六

 其の洋食屋で、主人は矢張り大変美味しそうにゆっくりと味わい、お皿に残って居たソースも、名残惜しそうに丁寧に掬って綺麗に食べました。別れを惜しむと言った表情で、家では余り見られ無い顔です。家では野菜は殆ど残しますが、レストランでは付け合わせの野菜を綺麗に全部食べます。お店での付け合わせの野菜は種類が決まって居り、量的にも少無い事と、盛り付けが綺麗なので食べられるのかも知れません。主人と知り合った頃、お店で食事をして居ると、彼は何時も嬉しそうな顔をして、「美味しい」と言いながらゆっくりと味わって食べて居ましたので、なんて素直に喜びを表現する人だろうと思って居ました。何時も主人の倍近い速さで食べ終わる私は、幸せそうに食べて居る表情を眺めるのが好きで、此の人は食べ物に敬意を払って居るとさえ思って居ました。我が家の食事の時でも出来れば其の様な顔を見たいと言う気持ちは有りますが、私は手の込んだデミグラスソースは作れませんし、何時も本人の希望を優先した食事を作って居れば、今後も益々、健康診断で引っ掛かる事に成ります。幸い、今は少し反省して居る時期ですので、此を機会に、もう少し野菜を食べて貰う様な雰囲気作りをしようと思います。主人が野菜が嫌いな理由の一つに、野菜は繊維質が多いので良く噛ま無ければ成らず、飲み込み難く食べ辛いそうです。林檎や梨等の果物も固いと言って余り食べません。野菜や果物もジュースにすれば飲んでくれますが、固形で摂る事も必要ですので、今後は柔らかく煮るか離乳食の様に細かくしようかと考えて居ます。シリアルでの朝食も、果物や野菜のジュースをメインにしようと思って居ます。

 9月19日(火)

 シリアル 其の五

 数日後、主人は休日出勤をしました。出掛ける前に、夜は職場から然程遠く無い行き着けの洋食屋で食事をしたいと言いました。休日に出勤するのは可哀相でしたので、私も承知し、夕方現地の最寄りの駅で待ち合わせをしました。約束の時間迄、私は先日と同じ様に彼方此方を歩き回り、自然食品店にも立ち寄り、シリアルを今度は沢山買いました。此の日はスニーカーを履いて行きましたので、電車を使わずに広範囲に渡って徒歩で楽に移動が出来ました。夕方待ち合わせて、二人で主人のお気に入りの洋食屋へ行きました。其処は主人が子供の頃から時々家族で食事に来て居たと言う老舗の洋食屋です。元々お肉屋で、其のレストランの横は今でもお肉の販売所と成って居り、大変美味しいらしく、買い物客が絶えません。ですから、レストランの献立もお肉が中心です。私も正食を始める前は其処でお肉料理を戴いた事が有りますが、お肉がジューシーで、ソースも手が込んで居ると思わせる程大変美味しかった事を記憶して居ます。正食を始めてからも一年に一、二回程の割合で来て居ますが、其処でスパゲッテイを食べた時、トマトソースでしたが、大変コクが有り、ブイヨンがたっぷり入って居るのでは無いかと思いました。又、牡蠣フライを食べた時は、衣が動物系の濃厚な味がして、食後に気分が悪く成り、揚げ油にラードや牛脂の様な動物系の脂を使用して居るのでは・・・と思いました。此の日、主人はポークカツ、私は野菜サラダを注文しました。主人はお肉も美味しいけど、デミグラスソースが大変美味しいと言ってソースも舐める様に綺麗に食べました。何時もなら、主人は其処ではポークカツとビーフカツの両方を食べ、お店を出た後、近くの行列が出来て居る屋台のラーメン屋でラーメンを食べて帰る事を習慣として居ますが、此の日はポークカツだけに止まり、帰宅する迄他に何も食べ無いと言う御利口さんでした。前日、職場の健康診断の結果が出て、血液検査の結果、主人の血液は標準値を大幅に超えて可成り病的にドロドロ状態で、注意を要する事が数字の上で明らかと成ったばかりでした。

 9月18日(月)

 シリアル 其の四

 此の日はハイヒールを長時間履き、足の裏が可成り痛く成りましたので、夜、主人に足の裏を中心に下肢を揉んで貰いました。人に揉んで貰うのはとても心地良い物です。足の裏の痛みは無く成りましたが、腰が痛怠く、体幹背部から下半身全体が重く成りましたので、胎児運動と犬歩きをした所、重みが取れてすっきりとして可成り楽に成りました。腰の痛みが少し残って居ましたので、就寝時に腰、足の裏、肝臓に聖士會館湿布を貼って寝た所、翌朝には腰の痛みも無く成りました。目覚めた時に愁訴が無く成って居ると言うのは大変有り難い事です。此の様な手当法を知ら無かった時は、筋肉痛等は次の日に成る程酷く成って居た物でした。最近は不調を覚えても、自己治療法で早く回復する事が出来ます。少しの不調なら胎児運動、犬歩きで取れますし、静の呼吸法、動の呼吸法を行うと大抵寝て仕舞うのですが、目覚めた時はすっきりとして居ます。御風呂の中での運動、呼吸法は可成り効果が大きく、入浴後は心も身体も浄化された様な感覚を覚え、翌朝は生まれ変わる事が出来ます。又、聖士會館湿布は大変重宝して、毎日の様に使用して居ます。肝腎要(膵・脾)と足の裏は殆ど毎日貼って寝て居り、少し羽目を外した翌朝でも爽快に目覚める事が出来ます。此等の自己治療法の御陰で、少々の不調も早く回復出来ます。とても爽快感を味わう事が出来、御風呂を入ら無いと気持ちが悪い様に、此等の自己治療法を行わ無いと、忘れ物をして居る様で心地悪さを覚えます。ジョギングやスポーツジムへ通う様な一大決心をし無くても、手軽にしかも確実に効果を得ますので、是非主人にも実践して欲しいと思って居ます。

 9月17日(日)

 シリアル 其の三

 買い物を済ませて主人の職場近く迄来た私は、彼に電話をしました。御弁当を食べ終えた所だと言う主人は、外に出て来てくれました。私は食事も飲み物も欲しく無かったのですが足が疲れて居ましたので、二人で喫茶店に入り、主人はアイスコーヒー、私はアップルテイーを注文しました。主人は前日から御腹の調子が悪いと言って居ました。其の前夜に外食をして、カレー、餃子、ミニチョコパフェ、ハンバーガーの大を一個と普通サイズを一個食べて居ましたので、食べ過ぎて調子が悪いのだと思います。其の事は本人も良く分かって居るのですが、出勤の前夜はイライラして食べずには居られないと言います。私の場合も、とても充実して居る時は飲食物を欲さず、精神的に不安定でイライラして居る時程妬け食いに走る傾向が有りますので、其の事は良く分かります。主人の職場近くへやって来て、勤務中の彼と会うのは久し振りの事でした。外で会う主人は、単に服装が違うと言うだけでは無く、家に居る時とは全く雰囲気が違って居ます。私と話して居ても、目、顔の表情や話し方等、全く別人の様です。其れだけ外に出るとストレスが溜まると言う事だと思います。人間は家と外では若干違うのは当たり前だと思いますが、今仕事をして居無い私は実感が無く、其の様な事を忘れて居ました。10分程話した後、主人は「時間が無い」と言って走って職場に戻って行きました。彼が寛げるのは家だけなのだと改めて感じた私は、家でゴロゴロして居ようとも食事に関して我が儘で有っても多少目を瞑って、余り厳しくするのは慎もうと思いました。

 9月16日(土)

 シリアル 其の二

 最近主人は、食物繊維が豊富で便通が良いからと言ってコーンフレーク等を牛乳に浸して朝食や間食に屡々食べて居ます。確かに穀物の加工品で有り、中には未精製の穀物を圧縮加工して居る物も含まれて居り、食べ易いので便通も良く成るのかも知れませんが、何時も牛乳に浸すと言うのが私としては気に成りますので、時々豆乳を作り、其れとシリアルとを一緒に食べて貰って居ます。前夜から3倍の水に浸して十分にふやかして置いた大豆をミキサーに掛けてドロドロの液体にし、鍋に移して好みで更に水を足し、数分煮て手拭いで濾して出来た液体が豆乳で、手拭いに残った物が雪花菜(おから)です。何方も市販品より味が有り美味しいと思いますので、我が家では豆乳や雪花菜は此の様にして作って居ます。本物の味が嫌いな主人でも、出来立ての豆乳は、「牛乳みたいで美味しい」と言っておかわりを要求します。私も出来立て熱々の豆乳は甘味が強くコクも有り大変美味しいと思います。時間が経つに連れて分離して味も悪く成って行きますので、頻繁には作れませんが、時々作って飲んで貰って居ます。実は私もシリアルには填って居り、ついポリポリと摘んで仕舞います。スーパーで売られて居る大手メーカーの物は、食べると眠く成ったり身体の彼方此方が凝る等不調を覚えます。自然食品店で購入した物は食品添加物が少なく、砂糖を添加して居無い為か甘味が薄く、穀物の味の方が勝って居り、食べ過ぎ無ければ程良い甘味が有り私の良い御八つと成って居ます。主人の為にと思って自然食品店から買って来たシリアルですが、結局主人に食べて貰ったのは一回だけで、後は私が全部食べて仕舞い、再び買いに行きました。

 9月15日(金)

 シリアル 其の一

 用事が有って主人の職場の近くへ行って来ました。主人の職場は大都会の真ん中に有り、毎日一時間以上掛けて通勤して居ますが、私は其の様な都会へ出る事は滅多に有りませんので、其の日は行動範囲を広げて彼方此方を歩き回りました。百貨店に行ったり、雑貨屋さんを回ったり自然食品店で買い物もしました。電車を乗り換え広範囲に渡って色々見て歩きましたが正食をして居る御陰でしょうか・・・以前は人混みが苦手で買い物をすると疲れがちだったのですが、ハイヒールで足が辛かった事を除けば、思い荷物を持って居ても身体が疲れる事は無く、お昼を可成り過ぎても御腹が空く事も無く買い物だけに集中出来ました。正食をして居て強味なのは、食事の心配を気にし無くても良い事です。一食や二食を抜かしても平気と言うより其の方が疲れ無いので、効率良く行動に集中出来ます。お店から漂って来るお料理の香りを「美味しそう」と思ったり、パンや甘い物についつい目が行く時は、欲に支配されて正食の道から外れ掛けて居る時です。此の日も多くの飲食品店の側を通りましたが、食欲をそそられる事が無かったのは、正常な感覚に戻って居り有り難い事だと思います。此の日買い物をした自然食品店は比較的大きく、玄米正食者用の食材も多く置かれて居ますので、近く迄出ると必ず立ち寄って沢山買い込みます。此の日はお味噌、雑穀、穀物珈琲やシリアル等の嗜好品も購入しました。主人はシリアルがお気に入りで、其れを食べると便通が良いと言って、最近の朝食は専らコーンフレーク等を牛乳に浸して食べると言うアメリカンスタイルです。

 9月14日(木)

 奥伊勢 其の七

 奥伊勢から戻って来ても主人の休暇は残って居ましたが、何処かへ行く事も無く家で過ごしました。平日の昼間に主人が家に居ると言うのも中中良い物です。一緒に買い物に行ったり近くを散歩したりと私は大変楽しく過ごせたのですが、彼は本当は再び短い旅行に出たり大好きなドライブに行きたかった様です。折角の夏休みを家でブラブラと過ごす結果と成り一寸可哀相でしたので、休暇の最後の日に私から、「今日の夕食は外で食べよう」と誘いました。主人も望んで居たらしく大変喜び、「嬉しい」と何度も言って居ました。私達は近くのファミリーレストランでカレーを食べました。主人はとても分かり易い人で、レストランでは何時も大変美味しそうに、まるで牛が反芻して居るかの如く非常にゆっくりと味わって食べます。食べて居る時は何時も、「TVのコマーシャルに起用したい」と思う程に感無量と言った表情をして居ます。主人の2倍近くの早さで食べ終わる私は、彼が此の様にゆっくりと味わい幸せそうに満面笑みを浮かべながら食べて居る表情を眺めるのが好きです。お食事とはお料理を含めて其の時間と空間が満足出来る物で有れば大変素晴らしい事だと思います。私は少し頑なに成って多くの物を拒んで居たのかも知れません。お料理に拘る事を一時の間止めて、二人で過ごす団欒其の物の方を味わい、此の日は其の時間を大変幸せだと感じました。ファミリーレストランを出た私達は少し散歩をした後二軒目のお店へと梯子をしました。彼が好きなファーストフードのハンバーガー店で彼はハンバーガーを食べ私はポテトを食べました。結局此の日私は大食をし、帰宅後も御菓子を摘み胃腸も顔も膨張して浮腫みだらしの無い顔に成りました。此の様に成ると身体は兎も角、生活が乱れて精神的にも元に戻るのがきつく成るのですが、翌朝爽快感と共に目覚めた私の身体は不思議な事にすっきりと細く成り肌の荒れや顔の浮腫が消えて居り、羽目を外す以前の眼に戻って居ました。そして其の日から再び正常な感覚が蘇り正食で小食に戻る事が出来ました。一度羽目を外すと続けて仕舞うのが私の悪い癖なのですが、今回は前日迄の無礼講が何も無かったかの様で心も身体も別人の様にすっきりとして居り生まれ変わったみたいでした。今思えば、前夜に肝腎要(膵・脾)と足の裏に聖士會館湿布を貼って寝た事が非常に効果が有ったのだと思いますが、其の時はお料理以上に大切な事に気付いた私に神様からのプレゼントかも知れ無いと思いました。

 9月13日(水)

 奥伊勢 其の六

 旅も終わりに近付き帰宅途中で主人が、「チョコレートパフェが食べたい」と言い出しました。主人は時々甘い物が欲しく成り、ショートケーキを買って来て一人で食べる事は有りますが、此迄私の前でチョコレートパフェを食べた事は無く、少々びっくりしました。本当は偶に食べたく成る時が有るそうですが、恥ずかしいので止めて居たとの事です。「多分、男性でも同じ様な人は多いのじゃないかな」と言って居ます。確かに辛い物や脂濃い物を食べると甘い物が欲しく成りますので、男性でも洋菓子と珈琲で一服したいのかも知れません。一緒に喫茶店に入り、主人はチョコレートパフェを、私は白玉餡蜜を注文しました。私も此迄白玉餡蜜を食べた事は無いのですが、釣られて甘い物を注文しました。幸いな事に、私は子供の頃からパフェが嫌いでした。冷たい物やクリームや炭酸類が苦手だった事と、細長い大きなグラスにクリームがぎっしりと詰められ、トッピングが山に盛られて居るのを見ただけで御腹が一杯に成り、見るのも嫌に成った物でした。餡子も嫌いでした。両親はお饅頭を屡々食べて居ましたが、私は小豆自体が好きでは無く、甘い物も苦手でした。然し大人に成り色々な味を覚えると、甘い物にも填り、パフェは相変わらず苦手でしたが、冷たく無い洋菓子やケーキは大好きに成りました。正食を始めると乳製品がたっぷりの洋菓子は止めましたが、外食をすると食後に舌が甘い物を欲する時が有ります。そんな時は、普段は甘過ぎると感じて居る筈のお饅頭も其程に甘く感じ無く成り美味しいと思えて来ます。其の様に成ると要注意です。主人は、「病み付きに成ったらどうしよう」と言いながらも美味しそうにパフェを食べて居ました。私も白玉餡蜜を然程甘く感じず、「今後、此の味に溺れたらどうしよう」と思いながら美味しく頂きました。家族との旅の一時は楽しく、久し振りの外での食事も美味しく戴き、私はここぞとばかりに羽目を外しました。無礼講は雰囲気も相乗して大変楽しい物です。私の場合、其の楽しさを日常生活にも引きずる様に成ると(食)生活が崩れて行きますので、今後は生活全般にも気を付けなければと思います。

 9月12日(火)

 奥伊勢 其の五

 宿を出て帰路の途中で道の駅に入りました。周辺は山に囲まれた所で、木材の加工品の産地で其のお店にも木工品が多く販売されて居り、其の中にサイズを違えた木製の俎板が沢山陳列されて居ました。私は木製の俎板が欲しくて最近自然食品店に注文した所なのですが、其処で沢山の種類の物を見て居る内に又欲しく成り、小さな卓上の檜製の物を購入しました。其れは足が付いて居る俎板で、形も大きさも丁度男性の下駄の様です。足付きの俎板は昔懐かしく、以前から欲しいと思って居ましたので、其処で出会えて幸運でした。帰宅後早速使用して居ますが鉄の包丁との相性が素晴らしく、切れ味も良く成りお料理が美味しく出来上がります。干し椎茸昆布エキスに生玉葱の微塵切りを加えた物を飲んで居ますが、玉葱のお味が以前よりも甘く円やかに成りエキスが飲み易く成りました。以前から使用していた樹脂製の俎板は最近は使う気がし無く成り、ついつい其の小さな足付き俎板を使用して仕舞います。自然食品店に注文した普通サイズの物は今週届く事に成って居ますが、其れもとても楽しみです。

 9月11日(月)

 奥伊勢 其の四

 翌日の朝食は枸杞の実入りのお粥でした。梅干し、ザーサイ、漬け物、佃煮等の箸休めが添えられて居ましたが、其の中でも紅南乳(コウニャンニュウ)と言う豆腐を発酵させた中国の食べ物が有り、其れは強い塩気とチーズの様なコクが有り大変美味しく感じました。一緒だった主人や義母は此の独特の風味ときつい味が苦手で食べられませんでした。私は世間の人達が苦手だと言う曲の有る発酵食品が可成り好物です。鮒鮨は食べた事は有りませんが、同じ滋賀県の特産品の鯖のなれ鮨は大好きです。塩揉みした鯖の御腹に白米を詰めて長期間発酵させた物で朝市で一度試食しましたが、其の味の虜に成りました。其の朝市の方は「此は曲が有るから慣れ無い人には抵抗が有るよ」と仰って居ましたが、私は一口食べて身体に大変力に成りとても美味しく感じました。曲の有る発酵食品は昔ながらの伝統食や郷土料理と言った物が多いです。長期に渡り発酵熟成をさせるので面性移動を起こし力の有る食品に仕上がって居り動物性食品を余り食べ無かった昔の人達が生み出した知恵だと思います。普段、動物性食品を食べ無い人達が此等の発酵食品を食べると力を得、身体から美味しく感じ、動物性食品を毎日の様に摂取すると言う偽りの食生活を送って居る多くの現代人は身体に活力を与えてくれる本物の食材を受け入れられ無く成って居るのではないかと思います。沖縄に豆腐ようと言う、泡盛と餅米麹に付けて豆腐を発酵させた可成り塩気がきついと噂に聞く食べ物が有り、是非一度食べてみたいと思って居ますが、其れも紅南乳と同じ様な味ではないかと想像して居ます。以前、我が家で豆腐を八丁味噌に二ヶ月間漬け込んだ事が有りますが、矢張り可成りの塩気とチーズの様な独特の曲の味に仕上がり、家族や職場の同僚達に味わって貰った所、皆顔を顰めて「此は食べられ無い」と言って居ました。私はお酒のつまみに成るし、美味しい物だと思いましたが、其の時の味に比べると紅南乳は塩気は有る物の其程の曲が有るとは思わず、私は大変気に入りました。

 9月10日(日)

 奥伊勢 其の三

 矢張り悲しいかな・・私は現代っ子なのだ・・・と思わずには居られません。お洒落な洋館の中でガラス越しに夜景を楽しみワインを傾けながら洋食を戴くと言う雰囲気にうっとりとして仕舞います。主人の計画する旅先の宿は何時も趣の有る洋風建築で洋食が美味しい所です。現代の女性達は私の様に此の様な場所で時間を過ごす事に喜びを感じる人が多いと思います。然し、此がもし私の両親だったら多分贅沢なフルコースの西洋料理や此等の非日常的な空間に酔いしれたりしない事でしょう。彼らは外食を好ま無いし、西洋の食べ物も習慣も嫌いだからです。昔は両親を私が美味しいと思うレストランへ連れて行っても有り難迷惑な態度を示された物でしたが、其れがどうしてなのか理解が出来ませんでした。こんな美味しい洋食の味が分から無いなんて可哀相だと思った物でした。でも今は羨ましく思います。彼らはお肉や脂肪がたっぷりの食事やインスタント食品に溺れる可能性が低く、私の様に一度にパンを5個も食べたりし無いと思います。若い世代に成るに連れて洋食を好む傾向に有りますし、加工食品に馴染んで育った人が多く成ります。私も普段玄米正食をして居るとは言っても嘗てはカップラーメンや外食、特に洋食やお酒にどっぷりと浸って其れ等の物を可成り好んで摂取して居ましたので、今でも羽目を外したく成る時が有ります。もっと若い世代の人達は、より豊かな食生活の中で育って来て居ますので尚更正食への道は厳しい物かも知れません。無礼講の時以外でも日常の生活の中にも誘惑は溢れ、スーパーに行けば沢山の食材が並んで居り御菓子やお酒も買う事が出来ます。家族全員が正食をして居ると言う家庭で無い場合、正食の道から外れる食品が家庭にも存在して居る事に成り誘惑に負け無い強い精神力が必要に成ります。元々其れ等の味を知ら無ければ身近に有ったとしても食べたいと言う欲求も起こら無いのでしょうが、嘗ては好物で有り舌が未だ其の味を覚えて居る限りは要注意です。

 9月9日(土)

 奥伊勢 其の二

 此の日の夕食はパンの御代りが自由でした。私はパンが好物で、普段は食べ無い様にして居るのですが、此の様な時はつい羽目を外してドンドン食べて仕舞います。此の時は5個食べました。3個食べて御腹が一杯に成ったと言う主人に呆れられて仕舞いました。天然酵母の食パンで有っても一日で一斤を食べて仕舞いますが、イーストを使用した物だと口当たりが軽く空気を食べて居る様で物足り無いのでもっと食べる傾向に有ります。以前パンの御代りが自由なレストランでは11個食べた事も有ります。ですから家ではパンは出来るだけ買わ無い様にして居ます。時々巨大な胃袋が底力を発揮して食欲旺盛なのが私の場合非常に問題なのですが、此が玄米の様に力が有る物だと私でもそんなに食べる事が出来ません。玄米以外の穀物加工品や副食・・・詰まり玄米程力の出無い物だからドンドン御腹に入って仕舞います。そして其れが体調を崩して行く原因と成ります。子供の頃は此程大食する事は有りませんでしたし、パンも余り好きでは無く身体に良く無い物は不思議と本能的に嫌いだった事を振り返っても、純真な子供程神に近い存在だと言う意味が良く分かります。イーストを使って居るパンは空気みたいだとは言っても体内で膨張しますので、口当たりは軽くても胃腸が非常に膨らみ、私の下唇の下方も腫れて膨らんで仕舞いました。非常に締まりの無い口元に成り間抜けな顔に成って仕舞い下顎には吹き出物が数個出来て仕舞いました。

 9月8日(金)

 奥伊勢 其の一

 主人が遅い夏季休暇を取ったので、家族で奥伊勢へ行って来ました。主人が予約してくれた宿は山に囲まれた所に有り、空気も清々しく、薬草を入れた温泉も心地良い物でした。夕食はフランス料理のコースだったのですが、私は事前に申し出てお肉と乳製品を外して戴きました。宿の方が快く承諾して下さったので、お陰様で家族とは別の献立では有りましたが楽しい夕食の一時を過ごす事が出来ました。私は此の様に度々レストランや旅先で献立の内容を変更して戴いて居ます。仕方が無いとは言え、お店の方が承知して下さると矢張り大変有り難く感謝の気持ちが湧いて来ます。其処の従業員の方も応対が丁寧で、お料理も見た目に清潔感が有り味付けも濃い物では無かったので、久し振りにワインを飲みながらの雰囲気に酔った事も有って、洋食のコース料理を堪能しました。自然に囲まれた所でテレビやパソコン等とは無縁の時間を過ごし、日常生活を忘れさせてくれる一時を過ごす事に因ってとてもリラックス出来ました。主人は何時も心身共に寛げる旅先を見付けてくれます。私は久しぶりにお魚料理を戴きました。お魚を食べると陽性に成り身体がカーッと元気に成りました。本を持って行ったのですが、目がパッチリとして深夜迄読書をして居ても中中眠たく成りませんでした。逆に主人は一寸お疲れの様子です。私はうっかりとして居り、主人にビームライトバーコードを持たせるのを忘れて居たのでした。

 9月7日(木)

 第26回聖士會館研究発表会 其の三

 午後の部は大前洋子先生の発表から始まりました。「環境問題にたずさわって」と題してゴミを減らす工夫をされた体験談をお話して下さいました。正食をして居ても生ゴミは少しずつ出ますが、其れを一ヶ月間溜めて微生物発酵助剤で発酵させると、腐った嫌な匂いでは無く糠床の様な発酵食品の馨を放つ様に成り、分離した液体を排水口に流すと排水溝に付着したヘドロの様な物質が溶けて綺麗に成るとの事でした。台所やトイレの洗剤としても利用出来るとの事で合成洗剤に変わる物として普及されれば良いと思います。又、最近の無秩序な人間の出現は食事、家庭環境が大きな原因で有り食生活を基本としたライフスタイルの見直しを強く提言されて居ました。続いて「歪みと波動の展開」と題して河合立江・聖士會館瓦町支部長の研究発表でした。河合さんは此迄も言霊から発せられる波動エネルギーが身体に及ぼす研究をされて居ましたが、今回は其れが時空を超えた時のエネルギーの流れの変化を検証すると言う大変興味深い内容でした。私は河合さんのご配慮でモデルをさせて戴くと言う光栄に与りました。過去を視点として未来を見た場合、未来を視点として過去を見た場合の現在の自分をモデルにさせて戴いたのですが、自分の中心からエネルギーが沸き起こり身体の周りを増幅して波打って居る感覚が有りました。過去や未来を視点としても現在に大きな影響を及ぼし修復が出来ると言う事なのだと思いました。貴重な研究内容を自分の身体で体感出来、大変有り難く思います。其の後犬歩きを前身時に「あいうえお」と唱え、後退時に「おえういあ」と唱えて行って居ますが回り易く犬歩きを辛いと感じ無く成りました。次に岩田由彦・聖士會館植田支部長の発表でした。「身体機能とビームライトエネルギー」と題して骨法の観点からモデルの方の身体で分かり易く説明をして戴きました。骨法の実演を拝見する機会は滅多に有りませんので私にとっては大変有り難い物でした。忘れない内に日常に生かしたいと思って居ます。ビームライトウルトラエネルギータワーの実験でも身体が温かく成りました。最後に鈴木礼音・聖士會館館長の「一条の光と波動」と題しての発表でした。一番印象に残ったのは、病気とは重度、軽度に全く関係が無く気付く事が大切で有り、心が修正されれば加速して治って仕舞うと言う事で、其の事を実際の治療の事例を揚げて説明されました。想いの結果が身体に現れ、想いの世界が如何に重要で有るかと言う証明で有り、恐らく存在の根源で有るのだろうと思います。此の見えない世界が肉体や現象と言う見える世界を支配し、自分を知り改心すれば自然に其れが肉体にも結果と成って現れると言う事です。結局全ての責任は自分に有り、厳しいけれども自分次第で生きる事が楽しく成ります。より多くの人達が此の法則を理解すれば、病気や犯罪が無く成り平和な世の中に成るのだろうと思います。前回に続いて二回目の受講でしたが、講義内容も以前より理解出来る様に成りました。矢張り会場に実際に足を運んでこそ貴重な体験が出来、勉強に成りました。今後も益々楽しみです。有り難う御座いました。

 9月6日(水)

 第26回聖士會館研究発表会 其の二

 玄米弁当を予約した時から「料理長やワーゲンさんの手製の正食料理が食べられる!」と大変ワクワクして居ましたが、実際想像以上の物でした。玄米御飯の御握り、梅干しと漬け物、煮物、焼き物、揚げ物、サラダ、フルーツと言うフルコースの御料理が綺麗に盛り付けられて居り、御弁当と言うよりは一寸した会席料理でした。先ず、御弁当の蓋を開けた時、其の美しさに感動しました。玄米と御野菜だけの料理と言うと、全体に色が茶色や黒っぽくて暗く成りがちなのですが、目の前のお料理は色合いも綺麗で生き生きして居ました。彩り豊かで秩序良く盛り付けられて居り、控え目ながらも一品一品の存在感が有りました。お味も大変上品で、噛めば噛む程美味しさを味わう事が出来るお品ばかりでした。特に梅干しのお味には感動しました。市販されて居る物は赤くしっとりとして居り、酸味が有りますが、此処で出会った梅干しは乾いて全体にうっすらと潮が噴いて居ましたが、味はマイルドで思った程塩辛さがきつく有りません。大変上品なお味ながらも生きて居るかの様な生命力を感じました。此の様な梅干しには市場では全く出会いません。此が本物なのだと思いました。8年物だと伺いましたが本当に優しく且つ力強いお味でした。其れ以外にも、煮物は真似が出来ない程上品なお味付けでした。私はつい塩の味が前面に出て仕舞いがちなので、少し反省させられました。大蒜の茎の炒め物も油っぽく無く優しいお味で、黒胡麻が振って有りました。揚げ物として、煮含めて味付けされた高野豆腐の磯辺揚げが有りましたが、此の様な揚げ物が有ると豪華で嬉しい物です。でも、全く油っぽく無くカラリとして居ました。子供さんが喜ばれる様にと、ウインナー擬きの植物性蛋白質のリンケッツが有り、私もリンケッツは久し振りに戴きましたが美味しかったです。此の様な小麦粉の加工食品や大豆製品を工夫して料理すれば動物性食品は欲しく無く成って来ます。お酢が効いた春雨のサラダも美味でした。世間では酢の物はお砂糖が沢山使われて居ますが、砂糖無しの酢の物は大変美味しい物です。正食料理では砂糖での味付けは全く合わない事が良く分かります。最後に戴いた葡萄は生き生きして居り元気な果物でした。此の様に多種の食材を様々な調理法で戴き、薬効等も考慮して全体としてバランスがとれて居り、大変心体が喜ぶお食事でした。食後に喉が乾く事が無いと言うのも正食料理ならではだと思います。御料理は食材を洗って、切って、調理を終えて盛り付け迄、作り手の心が反映されます。私はつい、自分が食べるのだから・・・と、盛り付けがぞんざいに成って居る事が多いのですが、見栄えは出来映えですから大変重要で、盛り付けや配膳が疎かだと結局はお粗末な御料理でしか無いと改めて気付きました。此の様に見た目にも美しいお料理は思わず感謝の気持ちが湧いて来ます。調理された方達のお心使いが其処に溢れて居ますから・・・。実際に見た目を裏切る事無くお味にも其の優しさが反映されて居ます。こんな豪華なお食事には滅多に出会える物では在りません。魂が喜ぶお料理で、此が真の正食料理だと思いました。此のお味の良さやお料理から滲み出て居る優しさを有り難いと感じ取れる人達は世の中には残念ながら少無いと思います。食材の値段で優劣を判断したり自己主張が強い料理が殆どです。今回、矢張りお料理は心其の物だと実感し、此の御弁当から多くの事を学びました。研究発表が行われて居る時間に調理に携わり、後片付けもして戴いた方達には感謝の気持ちで一杯です。御馳走を有り難う御座いました。

 9月5日(火)

 第26回聖士會館研究発表会 其の一

 第26回聖士會館研究発表会を受講させて戴きました。会場は前回迄とは違って駅からは遠く成りましたが、地区市民館の分館で、発表される先生方と受講者との距離が近く講義内容が良く伝わって来ましたし、会場全体が一体と成り良い波動を感じました。始めは佐藤支部の田中宏尚先生の研究発表でした。早期接触を確認する事の大切さ、一見低い位置に有ると思われる歯でも其れは弛んで居るだけの可能性も有り、弛みを正せば本当は一番高い位置で有るかも知れない。見極めが大切で有るにも拘わらず、其処まで確認する歯医者が少無く、即、詰め物をしたり削る等して症状を固定させて仕舞う為に自力で歪みを修正する力を奪う結果と成り、口腔内の数ミクロンの歪みが仙腸関節の肉眼で分かる程の歪みと成って現れ身体全体の歪みを固定させて仕舞う現状で有るとの事でした。出来るだけ患者の自然治癒力を以て治そうとして居られる田中先生の姿勢には何時も感銘を受けます。歯科医のみならず世の中に此の様に患者の本来の力を信じて治療に携わって居る医療関係者はどの位居るのだろうかと考えて仕舞います。患者を想っての姿勢は聖士會館ならではだと思います。次に石田英湾先生の「生命力と死命力」と題しての研究発表でした。全ての存在が無から生じ活動期を経て再び無へと還って行くと言う法則をスパイラルにて分かり易く説明をして頂きました。陰の世界から陰極まって陽(赤)と成った瞬間に誕生と成り活動を経て死ぬ時は再び陰(紫)で有る。赤ちゃんは本来赤色で生まれて陽其の物の存在で有る筈なのに、最近誕生する赤ちゃんは白色や青色で有るとの事です。陽性で有る筈の赤ちゃんが誕生時に陰の状態の色をして居ると言う事は其の後の生命エネルギーを思えば恐ろしい現状だと思います。親の食生活は非常に大切です。万物は陰陽より成り、此の世の者(物)は全員が光を祖先として居るとの御言葉が印象に残りました。午前中のお二人の先生の講義だけでも中身が濃く大変勉強に成ると共に実際の世の中の現状を思うと考えさせられました。石田英湾先生も仰って居られましたが宇宙の長い歴史に比べれば人類の歴史は浅く科学も最近の学問です。科学の誕生以前より宇宙の法則は存在して居るので有り、無双原理の重要性を多くの人に気付いて欲しいと思いました。午前の研究発表が終わり、玄米弁当を囲んで全員で楽しい昼食の一時を過ごしました。

 9月4日(月)

 塩胡椒

 調理の時の味の決め手は塩加減だと思うのですが、主人の場合洋食が多く胡椒も頻繁に使用しますので、我が家には主人用の塩胡椒が有ります。塩と胡椒がブレンドされた市販の調味料ですが、原材料を見ると食塩、胡椒、アミノ酸と書かれて居ますので、自然海塩では無い精製塩と胡椒と他の薬品とを混ぜ合わせた合成調味料です。主人は此の調味料がお気に入りで、私が料理を作って居る時も、彼は台所へやって来て此の合成調味料を使って自ら味付けをします。可成りの量を振り入れますので、何時も見て居て気が気では有りません。此位辛くし無いと美味しいと感じず、又、自然海塩と純粋な胡椒での味付けだけでは味が無いと言います。私の味付けでは物足りないので、お肉を焼く音が聞こえると台所へやって来て自分で味付けをします。主人が来る前に私が既に味付けを終えて居ても、更に其の合成調味料を振り入れます。お肉が好きなので、塩の量を減らして代わりに香辛料で旨味を感じて貰おうと思って居ますが、矢張り香辛料を数種類使っても唐辛子が入って居ても此の合成調味料が入って居なければ「辛く無い=美味しく無い」と言います。塩辛い物で無ければ美味しく感じず、だから非常に喉が乾く様で、何時も冷たいジュースを飲みながらの食事と成って居ます。不自然ながらもバランスを摂ろうとして居る様ですが、其の様な食事は身体に負担を掛けるので主人は食後は大抵1時間以上うたた寝して居ます。本人は眠く成る理由が分からない様ですが、美味しい物を食べたいが為とは言え、非常に勿体無い時間の使い方だと思います。

 9月3日(日)

 餃子 其の五

 以前、其の中華料理店で春巻きを注文しようとした時に、「此の春巻きにお肉は入って居ますか」と訊ねた事が有ります。答えは「お肉の様な物は入って居ます」との事でした。其れ以上は深く訊ねませんでしたが、其の変な答えで十分で、注文するのは止めました。後で分かった事ですが、肉は肉でも脂身の部分を多く使って居るとの事でした。正食をして居る者はお肉の様な物として麩や大豆製品等の植物性蛋白質を使用しますが、矢張り其のお店ではそう言う意味では有りませんでした。料理を戴くと言う事は其処に込められた波動を吸収すると言う事なので、低レベルの波動値の物を摂り入れると自分の肉体や精神が其のレベルに落ちて仕舞います。然し、其の低レベルの物を摂取するに至ると言う事は、其の時点で既に自分の心が其のレベルに同調して居り、其の結果食べて仕舞うと言う現実を引き寄せて居るのだと思います。詰まり、原因と結果が同時の様な気がします。夕食の支度をする時間に成っても作る気力が無くだらだらと時間を無駄にして居る時に限って、不思議と主人から「今日は外に食べに行こう」と言う電話が入ります。私が夕食を作って居ない事を透視されて居るかの様で、ほぼ100%に近い割合で其の様な偶然が起こります。其の結果、嫌だと思って居る筈の其の中華料理店や他のレストランへ食事に出る羽目に成ります。結局、自分の怠惰な行いが引き起こした現実で有り、全ては自分の低レベルの心が蒔いた種です。最近は毎日台所に立って居ますので、主人からの外食の誘いは減りました。矢張り、きちんとした生活を続ける為には私は絶対に毎日台所に立た無くては行けないと思って居ます。

 9月2日(土)

 餃子 其の四

 其の中華料理店の出来上がり品は油が浮いて居り、他の料理でも失敗品ではないかと疑う位に焦げて居る時も偶に有り、そんな料理を出すなんて失礼だし、出来た料理に生気が感じられ無いから嫌だと言う事を主人に話すと「あんな安いお店で其処まで高度な要求をするのは無理だ」と言われます。我が家で焦げた料理を出すと食べてはくれませんが・・・。其れでも主人は其処の餃子やチャーハンが大変気に入って居り、一週間の内二日は買って帰ります。私が偶に百貨店等で行列が出来て居り美味しいと評判のお店の餃子を彼の為に買って帰っても、矢張り其のお店の味の方が好きだと言います。あらゆる外食先でも餃子を注文しますが、例のお店の餃子が一番好きだと言って居ます。「此が一番食べ慣れて居る味だから」と言う理由だからだそうです。其の様な理由で有れば、お袋の味と同様、何回私が作っても敵わ無いのかも知れません。主人には、好物な食材であるにも拘わらず味付けが違うと全く受け付け無い料理が幾つか有ります。例えばコロッケも好物の一つですが、義母が作る味で無いと美味しく思わ無いので、たとえ美味しいと評判のお店のコロッケでも不味いと言いますし、期待通りの物に出会わ無いのでレストランでコロッケを注文する事は有りません。一般のコロッケは爪哇薯の配分が多く甘くて食べられ無いとの事です。彼は爪哇薯の味が全面に出ると苦手なのです。其れではコロッケの意味が無いと思うのですが・・・。以前は私が作るコロッケも食べてくれませんでしたが、お肉の分量を増やし勇気を出して味付けを思い切り辛くする事に因って、私の手製の物も美味しいと言って食べてくれる様に成りました。餃子も次回は此の方法で作ってみようかと思います。

 9月1日(金)

 餃子 其の三

 主人と味の件で話しをすると、何時も最後は「味覚が違い過ぎる」との結論に至ります。嘗ては私も主人と同じ物を食べて同じ味の物を美味しいと思って居たのですが、健康に気を付ける様に成り、初めは化学調味料を止めて後に食材も大きく変えた現在、二人は食事に関しては全く別の次元に居ます。今では私の方は動物性食品は勿論ですが、食品添加物が入った料理を食べると眠く成ったり気分が悪く成ります。詰まり主人の好む化学調味料での味付けも加工食品や動物性食品も、私の身体に入ってくれば拒否反応を起こしたり体調を崩し、此等の物が人間に悪影響を及ぼす事が判るので、料理の時に彼好みの味に仕上がらないのだと思います。嘗ては私も其処の餃子を食べて居ましたので、主人が其の中華料理店の餃子の味が好きだと言う理由も判ります。然し今其処の餃子を観察すると、油がぎとぎとの所為なのか水を注ぎ入れる量が多い所為なのか判りませんが、閉じた皮が剥がれて居る時も有り、ベトッとして居ますので彼が嫌いな水餃子っぽく見えます。主人は皮が剥がれて居ようと、ねちゃっとして居ようとも、具の味に惹かれて居ますので「焼き餃子は皮がパリッとして居る物が美味しい」と言う多くの人の意見も関係無いのかも知れません。然し、見た目も悪く、不快感を抱かせる料理を出す店主の作る(?)若しくは温めるだけの餃子より、主人の事を想って作る私の餃子の方が「不味い」と言われるのは何とも悔しくて、何時か必ず美味しいと思って貰える物を完成させようと思います。

 8月31日(木)

 餃子 其の二

 主人がお気に入りの近所の中華料理店は、私も嘗ては頻繁に出入りして居ましたので、其のお店の味は今でも覚えて居ますが、特に感激する程美味しい物では有りません。非常に油っぽく、味もきついので酷く喉が乾くのですが、安いお店なので「安いから大雑把な味でも仕方が無い」と承知した上で昔は出入りして居ました。然し、私が其のお店に行く事を止めたのは、出されるお料理が乱雑な盛り付けで清潔感が無く、作った人の誠意を感じ無く成ったので、其の様なお料理にお金を払うのが嫌に成ったからでした。其のお店は有名な大手外食産業のチェーン店ですが、料理を作って居るのは其の道で修行したタイプの人では無く、時には主婦の様な女の人やアルバイトらしき学生風の若い男性が交代して作って居る事も有ります。チェーン店なので、其処の店主自ら献立を考えて料理して居るのでは無く、何処か大きな工場で大量に作られた半製品を其処の小さな厨房で再加熱して居るのでは無いかと思います。お店の片隅にはチェーン店のロゴ入りの段ボール箱が積まれて有り、時折其の中から成形された生の餃子を取り出して厨房に持って行く姿を目撃する事も有ります。其れは其れでビジネスなので構わ無いのですが、完成品がお客の前に出された時に作り手の意気込みを感じさせてくれる料理に全く仕上がって居無い事が残念に思います。厨房に居る人は其の料理を作りたくて作って居るのでは無く、給料を貰えるのなら他の仕事でも良さそうだと思えて仕舞います。主婦が家族の為に料理を作る時は、美味しく感じて貰いたいと言う気持ちが籠もります。其れが最終的に食べる人の好みの味に仕上がらない点に付いては、我が家でも経験が有り嗜好の問題等難しいと思いますが、商売にして居る以上、見た目が如何にも不潔なのは、きつい表現をすれば「売る気が有るのかしら?」と思って仕舞います。

 8月30日(水)

 餃子 其の一

 主人は餃子が好物で、特に我が家の近所の中華料理店の物がお気に入りで帰宅途中に屡々買って帰ります。彼の好物なので私も家で餃子を作るのですが、私の手製の物は口に合わ無いらしく、何時も一口しか食べてくれません。百歩譲って、ちゃんと豚肉を入れて居り味も中華料理用の調味料を使用したり、料理本等のレシピを参考にして工夫をして居る積もりなのですが「旨味が無い」との事です。確かに旨味調味料と称する化学調味料は使用して居ませんが、其れにしても「此の味だと誰も食べ無い」と迄言うので、私も飲み込まずに舌先で味見をするのですが、私は美味しく優しい味に感じます。確かにお店の様な強烈な味は有りませんが、家庭で作る物は此の様な味だろうと思って居ます。色々なレシピを参考にして調味料の分量も其の通りに作りますので、恐らく多くの家庭でも作って居るであろう餃子の味も私の作る物と大差は無いと思います。主人は餃子の垂れも私が用意する物は美味しく無いと言います。垂れは醤油、玄米黒酢、ラー油の調合で、此もお店の物と何処の家庭でも用意する物との間に大差が有るとは考えられず「誰も食べない」と言う程、酷い味とは思わないのですが、大変好物で在るが故に拘って居る味が有り、其れ以外の物は受け入れ無いのかも知れません。昨夜も2個しか食べてくれませんでした。もう何十回も此の繰り返しで、今迄「美味しい」と言ってくれた事も、3個以上食べてくれた事も有りません。家で作る皮は市販の物よりも弾力性も味も有り美味しいと思いますし、今回は具の味にも少々自信が有ったのですが、主人には今一つインパクトが足り無かったのかも知れません。何時も「もう作るのは止めようかな」と思うのですが、矢張り美味しい物を食べて貰いたいので、又、挑戦しようと思って居ます。

 8月29日(火)

 太った原因 其の六

 贅沢な食事は慣れて来れば当たり前に成ります。給料を得る様に成って外食が増えたのですが、レストランでは当然自分の好みの料理を選択する事に成ります。私の母の手料理は煮物が中心の田舎料理でしたので、出入りして居た洋食店自体が実家とは全く違う世界でした。私も洋食を好み、特に流行の兆しを見せて居たイタリア料理店には頻繁に行って居ました。私は高校を卒業する迄喫茶店へ入った事が無く、其れ迄ケーキを食べる事は余り無かったのですが、其の後、友達と喫茶店やレストランに出入りする内にケーキも頻繁に食べる様に成り、益々洋食とケーキの虜に成りました。美味しい物を食べたいと言う気持ちも有りましたが、其の様な時間を過ごして居る事自体に青春の一時を楽しんで居ると言う喜びを感じて居ました。此の様に数年間は可成り羽目を外しましたが、其の内、遊ぶ事に飽きて来て、実家で家族と一緒に夕食を摂る方がほっとすると思える様に成りました。其の時に初めて母の作る田舎料理は凭れず御腹に優しい事に気付き、美味しく感じ、遅ればせながら家庭料理の良さを発見出来ました。残念ながら結婚後、私は益々肉食に走り母とは全く違う料理、詰まり御馳走を家庭で作る様に成ったのですが、贅沢な食事は嘗ては繊細だった私の精神を鈍くさせ健康も損なって初めて肉食の悪影響に気付きました。母の作る物は一品料理で簡素な粗食でした。だから一時期レストランの食事に惹かれたのかも知れませんが、今振り返ると粗食で育って良かったと思います。私が子供の頃はお肉が食卓に上る事が少ない時代で、ケーキ等も特別な日に限られて居ました。今の時代は食材や情報が氾濫し、お店の味を覚えた主婦達は家庭の食卓で其れを再現しようとしますので、現在の家庭料理は洋食が主体で大変豪華な物に成って居ます。今の子供達は生まれた時から御馳走に囲まれた環境に有り、レストランと家庭の食事との大差が無く成って来て居り、毎日動物性蛋白質を摂取して居ると言う恐ろしい現状です。主婦の役割は大変重要で、御馳走が心身を狂わせ、病気を増やして居る事に気付いて欲しい物です。

 8月28日(月)

 太った原因 其の五

 誕生日やイベントの時等は、家で御馳走を作りワインで乾杯をする様子を頻繁にカメラに収めて居ました。当時の写真には、ナイフとフォークでステーキ肉を切り分けながらカメラに向かってポーズを摂って居る姿が写って居り、微笑んで居るのですが、恐い表情をして居り、非常におぞましく見えます。其の時は気付きませんでしたが、御馳走、特にお肉やお魚を食べて喜んで居る瞬間は、今見ると、欲深く情けない姿に見えます。当時は顔が浮腫み身体も太って居り、表情に覇気が無くどんよりと瞼が垂れた重い目をして居ました。傲慢な表情です。体重は兎も角、年々暗く嫌な顔に成って来た事は自分でも気が付いて居り、治したいと思って居たのですが、体重と同じで中中性格は改善されませんでした。好き放題で欲が露わに成り、ドンドン我が儘に成って行き、其の上、感覚が麻痺して何事に付けて図々しく気が利か無く成りました。自分も「オバサンに成り鈍く成った物だ」と少々物悲しく思って居たのですが、単に我が儘に成っただけで有り、其れは年齢の所為では無く、性格の変貌は贅沢で怠惰な生活に在ったと思います。親の目が光って居た事も有りますが、昔の方が思慮深い人間でした。本来なら、人間性は益々磨かれて行かねば成らない筈ですが、頭の回転、心配りや思い遣り等の配慮も年齢と共に劣って行きました。改善したいと思って居ましたが、神経が鈍く欲深い性格の原因が食生活だとは全く考えて居ませんでした。自分は本来醜い面を持って居るのだと思いますが、動物性食品の摂取や大食と共に其れが顕著に成ります。表面に現れる姿は自分の心其の物で、内面を美しくしたいと言う気持ちを強く持って居たとしても、贅沢に飛び付き御馳走をガツガツと食べる瞬間は欲望が露わに成って居る姿で有り、其の様な行為を続けて居る間は、希望とは裏腹に精神が磨かれて行く事は無いと思います。正食の重要性に気付くのはもう少し後に成ってからですが、自分は醜い嫌な人間だと感じる事が出来て良かったと思います。

 8月26日(土)

 太った原因 其の四

 主人の両親は非常にグルメで、頭の中は常に食べる事で占められて居ます。結婚した頃、一緒に旅行やドライブに頻繁に行って居ましたが、レストランでは何時も高いコース料理を注文し、お肉は必ず上等な柔らかいステーキで、料理全般の批評は勿論ですが特にお肉の味には厳しかったです。其れまで薄給の私が其の様な高いコース料理を戴くのは、会社の経費接待時等に限られて居り、自分の懐事情では其の様な贅沢は中中出来ませんでした。主人の両親の選択する御料理に不味い物は無く「若いOL達以上にグルメ嗜好で美味しい情報を良く知って居る物だ」と感心して、其れ等の高級な御料理を食べられる事を私も楽しみにして居ました。又、二人共年齢の割には可成りの大食です。主人の実家に行くと、夕食には例のサーロインステーキと一匹物の秋刀魚の塩焼きが一人前として同時に出て来ます。其れを見ただけで御腹が一杯に成るのですが、食後にもデザートと、其れが終わると御菓子を食べる事を強要されます。望んで居無いのに御飯茶碗には御代りの白米が山盛りに装われ「食べなアカン」と言うのが彼らの常日頃の口癖と言うより独り言として常時発せられる言葉であり、一日滞在して居る間中食べ物がドンドン出て来ます。当時は私も舌が肥えて来て、其の様な御馳走に満足して居ましたが、ドンドン身体が重く成り、聡明感の欠片も無い顔に変化して行きましたので、心の何処かではこんな怠惰な生活をして居てはいけないと思って居ました。

 8月25日(金)

 太った原因 其の三

 結婚すると、色々な料理の本やテレビ等の情報を参考にして料理を作る様に成りました。其れ等の献立には必ず動物性蛋白質が含まれて居ます。サラダや煮物にも、ベーコンや鶏肉等が使われて居たりしますので、野菜のみの料理は見掛ける事は無く、私も動物性蛋白質を使う事を当然の様に思って居ました。主人はお魚が嫌いなので、お肉がメインの献立に成りました。彼は味にうるさいので「美味しい」と言って貰える様に、御馳走を作る事を常に考えて居り、私の母の手料理とは全く違って、品数も多く豪華な食卓でした。又、主人の両親が週に一回訪ねて来て、冷蔵庫が一杯に成る程の食料品を届けてくれました。毎回必ず柔らかい霜降りのお肉を戴き、私達の懐具合では手が出無い様なサーロインステーキも頻繁に持って来てくれました。始めの頃、私は牛肉の味の違いが判りませんでした。近くのスーパーで購入したお肉を主人は「固い。筋が有る」と言って屡々顔をしかめて居ましたが、私の実家ではお肉を食べる事が少なかった上、噛み応えの有るお肉しか食べた事が無く、其れが普通だと思って居り、其れ以外の味が判りませんでした。始めは、脂の部分を気持ち悪く思って居ましたので、霜降りのお肉が美味しいと言う事も知りませんでした。しかし、主人の両親が毎週届けてくれる牛肉はとても柔らかい霜降りで、其れを食べると段々スーパーのお肉は不味く思う様に成りました。サーロインステーキは150gを超える大きな物で、結婚披露宴等で戴くコース料理の中でも其の様に大きなお肉は見た事が無く食べた事も有りませんでした。毎週、食物を届けてくれる事を喜んで居た訳では有りませんが、サーロインステーキの味には大変満足で、以後、高級な牛肉の虜に成りました。

 8月24日(木)

 太った原因 其の二

 私は子供の頃から牛肉、豚肉が大嫌いでした。獣臭が鼻に付き、食べられませんでした。昔の野菜の方が生命力が有り馨が強かった様に、お肉も当時の物は今よりも獣臭がきつかったのかも知れません。カレーの時でも、たとえお肉が皿に盛られて居無くても、ルウに染み付いた獣臭で気分が悪く、カレーも食べられませんでした。私の母は山奥で育った昔の人間なので料理も和食が中心で、当時は香辛料や調味料も限られて居り、肉料理の時に臭味を消す等の工夫をして居無かったので、敏感な子供にはきつく感じたのかも知れません。成長するに連れて、匂いを消す様な料理法だと牛肉は食べられる様に成りましたが、大人に成っても豚肉は全くダメでした。主人と知り合った頃、彼はお肉が好きで、お店で二人で食事をして居る時は何時もお肉料理で、特に豚カツを好んで食べて居ました。主人の実家では豚肉は経済的なので、豚カツは頻繁に作って居たそうです。私の母は、豚カツなどは作った事が無く、私の実家で其れが食卓に上った事は有りませんでした。主人が、美味しそうに食べるので、私も食べた所、非常に美味しく感じ、私も豚カツが好物に成り、其れ以降豚肉が食べられる様に成りました。恐らく其の前から、他の様々なお料理も沢山体験して、舌が母の味とは違う贅沢な食事や西洋料理に慣れて来たので、昔は嫌いだった豚肉も受け入れる様に成ったのだと思います。ドンドン「美味しい物」を覚えて行き、当時は非常に特をした気分でした。其れからはお肉の美味しさが判る様に成り、見るのも嫌だった脂身の部分が特に味が有ると思う迄に成りました。人間の嗜好は時に大きく変化をする物です。肉食が増えた頃から急激に体重も増えて行きました。

 8月23日(水)

 太った原因 其の一

 其の後、成長するに連れて食べる事への恐怖感は無く成って行きましたが、相変わらず身体は細く、自分は太る事が出来無い体質だと思い続けて居ました。然し、社会人に成ると少しずつ太って行きました。年々体重が増えて行き、スリムな状態に戻る事は二度と無く、嘗ては痩せて居る事がコンプレックスでしたが、今度は此以上太ら無い事を願う様に成りました。渦中に居る時は、年齢を重ねるに連れて太って行くのだろうと思って居たのですが、今振り返りますと、学生の間は殆ど母の手料理を食べて居たのですが、就職を機に外食が増えて行った事が主な原因だと思います。職場が大都会の真ん中に在りましたので、就業後は仕事上のお付き合いや友達との会食等を頻繁に行って居ました。繁華街に近かった事とバブル景気に湧いて居た時代背景も有り、遊ぶ事を謳歌して居ました。其れ迄きらびやかな世界とは無縁だった人間が、遊ぶ楽しさを知ってからはドンドン甘美な世界に填って仕舞ったと言う所でしょうか。お酒も飲む様に成り、お店では其れ迄食べた事の無いお料理を数多く味わい、益々グルメ志向に成って行きました。子供の頃は、食物を飲み込むのがやっとだと言う位に小食だったのですが、グルメと贅沢を覚えてからは、今度は「小さな身体に似合わず大食だ」と言われる位に、胃が底無し状態に成りました。食欲と言う物は人間の基本的な欲望の一つで有り、欲張りな生活を続ける事に因って際限が無く成って仕舞う様です。

 8月22日(火)

 小食 

 私は子供の頃は非常に小食でした。ほんの少し食べただけで満腹に成り、其れ以上は全く受け付けませんでした。親は少量しか食べない私を心配し「沢山食べなさい」と言ってドンドンご飯を装うので、私も「もっと食べなきゃいけない」と思うのですが、其の様に思えば思う程萎縮して仕舞い、益々食事を受け付けませんでした。学校給食も残す事が殆どで、特に小学校2年生の時は残す事を禁じられて居ましたので、給食の時間が非常に恐怖でした。班全員の食事が終了しないと、片付けをした後、外へ遊びに出てはいけない事に成って居ました。残しては駄目だったので、昼食時間を目一杯使って頑張って食べるのですが、食べきれない事が多く、私と同じ班の人達は遊びに行く事が出来ないので大変申し訳無く思って居ました。恐らく、神経質に成り過ぎて食事を受け付け無かったのだと思いますが、食べられ無い事がコンプレックスで、当時の食事については「美味しい」「楽しい」と言う記憶が薄く、義務感で無理矢理口に運んで居ました。「どの様にしたら食事を美味しく感じられ、沢山食べる事が出来る様に成るのだろう」と悩んで居り、何の屈託も無く食物をドンドン口へ運んで行く人達の姿に憧れて居ました。沢山食べられない→痩せて居ると言う事に成り、自分が痩せて居る事もコンプレックスでした。

 8月21日(月)

 体重の減少 

 6月に砂糖、お肉と乳製品を止めてから、少しずつ体重が減って行きました。其の直前は、身長146、5pで体重が50sを超えて居り、太って居ましたが、食生活を切り替えてた直後から体重が落ちて行きました。一ヶ月も経たない内に3s減った時点で、其れが菜食に切り替えた為ではないかと気付いた時は、大変嬉しかったです。私は、子供の頃から痩せて居たのですが、社会人に成った頃から年々体重が増える一方で、特に結婚を機に短期間で著しく増加して容貌も変わり、減る気配が全く無いので「年齢の為」と少々諦めて居た所でした。食生活を切り替えたのは、体重を落とそうと思って居たからでは無く、純粋に心も身体も健康に成りたいと言う理由だったのですが、付随して体重も落ちて行きました。甘い物とお肉、乳製品を止める事に因ってこんなに短期間で顕著に体重が減少する事は、予想して居ませんでした。8月の時点で43sまで落ち、其の様な体重は数年ぶりの事で、身体が非常に軽く大変嬉しかったです。9月に玄米を主食に変えてからは更に体重が落ちて行き、翌年の春を迎える頃には37sに成り、其処で減少は止まり現在も其の体重です。37sと言うのは社会人に成る前の体重で、結局、学生の頃の体型、体重に戻った事に成ります。

 8月20日(日)

 初めての味

 白米を主食とした半菜食生活を3ヶ月程経た9月、新米が出回る頃に成って、やっと玄米を購入する事が出来ました。当時は圧力鍋を持って居ませんでしたので、早速、鍋で炊きました。鍋で炊く場合は、圧力鍋の時より水を多く必要としますが、そんな事も知らずに炊き上がった玄米御飯は、固くてパサパサして居り、鍋底に焦げ付いて居ました。パリパリと固くて歯にくっ付きながらも、初めて食べた玄米は「味が有り、美味しい」と思いました。私は子供の頃から固い物、歯応えが有る物を好んで食べて居た事が幸いしました。それからは、白米を主食にするのは止めました。お魚も食べるのを止めました。やっと、玄米菜食の生活が始まりました。6年前の9月の事でした。

 8月19日(土)

 カボス 其の二

 其の実家のお父様は、大変な凝り性で、何でも自分で作って仕舞うとの事です。梅干しや味噌は勿論ですが、嘗ては醤油や塩も手製だったそうで、海水を組んで来て、薪を燃やして煮詰めて塩を作って居たそうです。大変な重労働にも係わらず少量しか取れないので、家族は呆れて居たそうですが、御本人は真剣だったそうです。最近は高齢の為、塩や醤油は市販品を使用して居る様ですが、味噌、梅干しは手製だそうです。妹の旦那様は、味噌と梅干しはお父様が作られた物が一番美味しいと言って、九州から送って貰った物を食して居るそうです。妹が言うには「凄く辛い」との事です。保存を重視した昔ながらの製法だと塩辛く成るのかもしれません。今時、市販されて居る物では、塩辛い物は珍しいです。我が家の梅干しは、潮が噴いて居り、酸っぱいと言うよりは塩辛さの方が強いのですが、流通されて居る物は、塩分濃度を低く抑えて居り、中には蜂蜜入り等と言う甘酸っぱい物も出回って居ます。大正生まれのお父様の作られた物は、恐らく伝統的な製法で御家族の為に心が込められて居り、大変力に成る物だろうと想像出来、是非味わって見たいと思って居ます。

 8月18日(金)

 カボス 其の一

 私の妹の旦那様の実家は、九州でカボス農園を営んで居り、我が家にも時々カボスを送って下さいます。最近も、箱で戴きました。此迄、カボスと言うと天麩羅やフライ等の揚げ物や焼き魚に掛ける物と言う印象が有り、其のどちらも家で作る事が余り無いので、使い切れず、干からびさせたりお風呂に浮かべたりして居ましたが、最近は、色々活用して摂取して居ます。檸檬より酸味が少なく、マイルドで上品な味わいです。暑い時期ですので、酸っぱい物が美味しく感じられて、絞って100%の物を其の儘飲んだり、水や他の飲料で割って飲んでも美味しいです。朝の果物・野菜ジュースに加えたり、紅茶に入れたり、お料理にも頻繁に使用する様に成りました。つい、カボスを使用出来る様なお料理を考えて仕舞います。味噌汁に垂らしたり、茹でた麺類に掛けたり、炒め物にも使用したり、今まで気が付か無かっただけで色々な献立に合う事が分かりました。中中、購入して迄使う事の無い食材ですが、御陰で色々試す事が出来て、お料理の幅が広がりました。

 8月17日(木)

 終戦弁当 其の三

 昨日、偶々テレビを見て居ると、此の終戦弁当の事が報道番組で取り上げられて居り、映像で御弁当を拝見しました。年輩の方が仰るには、実際には此の中の1〜2品しか食べる事が出来なかったとの事で、矢張り、伝え聞いて居た通りに食糧難だった様です。試食をした若い男性は「味が無い」と言って居ました。又、其の御弁当作りを手がけられた管理栄養士の方は「昔と同じ材料は手に入り難いし、調理法も分からない。当時は砂糖や醤油等の調味料も少なく、決して美味しい物とは言えなかったでしょう。」と述べて居られました。此を聞いて、美味しい味って一体何だろうと考えて仕舞いました。現在は調味料の種類が豊富で、ハーブや香辛料を始め、其れ迄日本に存在しなかった外国の調味料も一般的に成って来ました。和食のみならず、外国製の調味料を使った無国籍な味が楽しめますし、其れは其れで良い事だと思います。然し、豊かな土壌で育った元気な野菜ならば、自然海塩や日本の純正古式調味料で味付けをするだけで、美味しく戴けます。正食料理では、御菓子もそうですが、副食の調理に砂糖は用いません。普段、使用する調味料は自然海塩、純正古式生醤油と伝統的な製法で造られた味噌のみで、一食に付き沢山使用する物ではありません。伝統的な本物の調味料は、味も香りも深みが有りますので、私の普段の副食もそうですが、御野菜や穀物を、ほんの少量の自然海塩のみで調理するだけでも野菜の香りが際立ち、砂糖を使用しなくても甘味が感じられます。私の主人は、其の野菜の香りが苦手で、様々な調味料を使って、態と野菜臭を消す様に料理をするので、素材を味わうと言うよりは、調味料を食して居る感じです。野菜本来の味を本物の調味料で堪能出来ないのは、残念な事です。

 8月16日(水)

 終戦弁当 其の二

 此の御弁当を試食された方は「実際はもっと塩辛かった様に思う」と意見を述べられて居ました。多分、其の通りだと思います。動物性蛋白質の消費量が現代より遙かに少なく、副食も野菜を中心に占められて居た当時は、身体を中庸から陽性に保持する為にも、塩気の強い味付けだったと思われます。摂取した植物性の食材を体内で活性化させるには陽性の塩が必要不可欠で、生命維持の為に其の働きは欠かせません。塩は最も大切な調味料で有り、料理の味付けの基本で有るばかりでは無く、人間の体液を構成する重要な物質で、人間の身体に無くては成らない物です。然し、最近は、塩と言うと悪いイメージを持たれて、塩分を極力減らそうと言う風調に成って居ます。確かに、塩分の過剰摂取は高血圧等の陽性な病気を招きますが、副食を野菜中心の生活を送って居れば、野菜のカリウムと塩のナトリウムが中和されて中庸に成りますので、極端な過剰摂取には至りません。動物性蛋白質と言う陽性の食材を摂取し続ける事に因って陽性な病気が引き起こされるので在り、其の様な不自然な食物の摂取を止めれば、生活習慣病等の様々な病気には成りません。塩が犯人の様に思われて居るのは大変な誤解で有り、残念です。動物性蛋白質を摂取すると、瞬間、身体が燃焼して陽性に成り、陰性の物を欲して塩が入らなく成ると言う点からも、現代の多くの人達が薄味志向に成ったのは、動物性蛋白質の過剰摂取の結果だと思われます。精製塩では無く、自然海塩で調味された正食料理は、穀物や野菜の味が上手く引き出されて大変美味です。今よりも野菜に生命力が在り、塩に因って最大限に旨味が引き出されて居たであろう当時のお料理は、貧窮ながらも、大変美味だったのではないかと思います。此の様な本物の美味しさを思い出す人が増えた時、病気が減って現代の社会全体も健康に成って行く様な気がします。

 8月15日(火)

 終戦弁当 其の一

 本日は終戦記念日です。戦後の高度経済成長期以降に生まれた私は、戦争の状況は伝えられた物からでしか伺えませんが、7月12日(水)付の朝日新聞の夕刊に「終戦弁当」と題して、戦争当時の食事内容が再現された御弁当の事が書かれて居ました。記事を引用しますと「終戦弁当の献立は、主食が薩摩芋と米を一緒に炊いた芋飯と、爪哇薯を蒸して小麦粉を混ぜ、平たい団子にして焼いた爪哇薯のお焼き。御数には小松菜の御浸し、大根の味噌煮、大豆と昆布の煮物、こうなごの佃煮、芋の蔓の佃煮で一食分のエネルギーは493キロカロリー、蛋白質が15、3グラムの計算に成る」と書かれて居ました。戦時中の食糧事情はもっと品薄で、殆ど食べる物が無い状態を想像して居ましたが、実際に再現された御弁当の掲載写真を見る限り、品数も大変多く、私には、可成り豪華で美味しく見えました。主食が「お米」としか書かれて居らず、白米なら御数が此だけ増えるのも仕方無いのかも知れませんが、正食の観点から見れば、量的にも一食分にしては多く思えます。実際、私の日々の献立より主食、副食共に量が多いです。戦時中と言っても、其の日の状況、又、地域や各家庭により、可成り差が有り、此程の食事を望め無かった家庭も多かったかも知れません。此の献立は、当時としては恵まれた食事内容だと思いますが、今の時代に比べるとヘルシーで有る事は間違い有りません。動物性蛋白質や乳製品は人間の身体に不必要な物で有るにも係わらず、其れ等を常食するのが当たり前に成って居る現代の多くの人達には、此の献立を見習って欲しい物です。又、其の時代を良く御存じの方達には、是非、当時の状況や御意見を伺ってみたいと思います。

 8月14日(月)

 わんこ闘病記 其の四

 空腹時に痛く成ると言う症状から、始め、胃が悪いのだろうと思って居ました。実際にビームライト検索をした所、「膵炎」と共に「胃痛」「胃潰瘍」にも反応しましたので、胃も悪かった様です。只、主人はお肉料理、又、油で炒めた料理が好きなので身体の深部が非常に陽性に成って居り、加えて野菜が嫌いで、運動不足なので中心部に籠もった熱が逃げにくく成って居るのだと思います。膵臓は身体の中心部の深部に有る臓器なので、主人の様な食生活だと炎症を起こして仕舞うのかもしれません。又、油の摂り過ぎが膵臓に良く無いと言う事は、聖士會館瓦町支部のhpにも記されて居ますが、主人も、天麩羅饂飩を食べた瞬間に痛みが出ましたので、本当に其の通りだと思いました。私も未だ、正食をする前に、レストランで油がギトギトのハンバーグを食べた翌日、胃から背中に掛けて痛く成り、会社を休んだ事が有りました。当時は「胃凭れ」だと思って居ましたが、今思えば、同時に膵臓に負担を掛けたのだろうと思います。肉食や其れを油で炒めた料理が多い現在の世間一般の食生活だと、膵臓を痛める人が増えて来るのではないでしょうか。料理番組を見て居ても、動物性の食材を油炒めする調理法が頻繁に紹介されて居ます。無国籍な料理の普及と共に油の消費はドンドン増えて居る様です。膵臓癌は早期発見が困難だと言われて居ますが、此の様な食生活だと、今後、膵臓癌が益々増えて行くのではないかと思います。

 8月13日(日)

 わんこ闘病記 其の三

 病人は我が儘です。主人も「○○の治療法はダメ、○○の治療法は嫌」と注文を付けるので治療法が限られて仕舞います。具合が悪い時だけでも、身体に負担を掛けない食事を摂取してくれれば加速して良く成るのですが、食養も守ってくれませんので少々呆れて居ます。真ともな食事をしないにも係わらず、それで回復が遅れたとしても「治療の仕方が悪い」と言う事に成ります。幸い、最近はビームライトバーコードを併用したビームライト治療で殆ど良く成りますので、何時もビームライト治療を施す事に成って居ますが、身体に余り触れない、目に見えない治療法なので治っても有り難みが薄い様です。余りに簡単に愁訴が無く成るので、本当に良く成ったのかどうか信じられず、偶々、ラッキーで治ったと考えて居る様です。此が、医者が治療したのなら信じるのでしょうか・・・。過去にも、主人は不調の場合、何度も病院に行っても的確な原因、治療法を説明を受けた験しが無く、何時もうやむやで、ストレスが原因だろうと自分に言い聞かせて居ます。私も付き添って病院に行きますが、医者の診断の甘さ、不甲斐無さと、其れを甘んじて受け入れる患者にイライラします。此が無双原理だと、原因も治療法も見えて来るのですが、主人は聞く耳を持って居ません。風邪の場合でも病院の薬では治らず「治らない」と屡々文句を言って居ます。一つには、人に頼る心が問題ではないかと思います。病気とは自分自身の歪んだ心と生活の結果だと言う事を自覚し、自らの意志で治そうと言う気持ちがもう少し強ければ、回復の仕方が違って来ると思います。

 8月12日(土)

 わんこ闘病記 其の二

 ビームライト治療を施しただけで、特に手当法は行いませんでした。只、膵臓が炎症して居るので、一度、膵臓を囲む様に腹部と背部にキャベツを巻きましたが、検索で胃が桃色で反応した事を思えば、此は施さない方が良かった様です。後に一条 光先生より「膵炎は力の固まりだから、野菜を食べて冷やす、運動をして冷やすと効果が有ります。胎児運動、犬歩き、風呂で運動をする、ランニングをすると効果が高く、お風呂上がりに直ぐ膵臓の裏(=背部)から里芋パスタをすると良いです」と教わりました。又、幾重にも皮が巻いて居る辣韮や玉葱が深部に有る膵臓に良いと教わりましたので、其の後、辣韮の酢漬けを作り、玉葱やキャベツも生で食べて貰う様にして居ます。基本の全身骨格調整は主人も楽に成ると言って喜びますし、其の後の治療の効果も高く成りますので施す様にして居ますが、下手なので是非上手く施したいと思います。手当法も併用すると効果は高いのですが、主人は手当法を好まないので、結局、ビームライト治療の中でも余り身体に触れない波動治療を施す事に成り、主人が全く信用して居無い、目に見えない治療法にて治ると言う皮肉な結果と成って居ます。

 8月11日(金)

 わんこ闘病記 其の一

 今年の2月、主人が「ハラが痛い」と言い出しました。屡々有る事なので便秘か下痢だろうと思って居ましたが、痛みは治まらず仕事も休みがちで熱も有り、特に空腹時に「ハラが酷く痛く成る」との事でしたので、胃が悪いのだろうと思って居ました。胃だと爪哇薯料理、と言う事で調理して食べて貰っても相変わらず不調なので病院に行きたがり、比較的大きな病院で診て貰いました。診察した医師は「担当じゃ無いのでよく解りません。暫く様子を見ましょう。」との事で、診断をして貰えませんでした。左上腹部痛を頻りに訴え、夜も眠れ無いと言うので、私がビームライトで検索した所「胃潰瘍」と共に「膵炎」に強く反応しました。俯せに寝て貰うと左足が短く成って居り左腎付近が腫れて居ましたので、先ず全身骨格調整(の内のほんの一部)とスライブで弛める操作を行った所、両足の長さが揃いました。患部と反射区に圧縮ビームライトアキュームレーターシールを貼り、赤、青のビームライトを照射した所、患部が柔らかく成りました。主人はシールを貼ると「痒く成る」と嫌がるので、他のビームライト治療を施した所、左肩の凝りも解れました。ビームライトバーコードは「胃潰瘍」を含む「胃」系と「膵炎」「膵臓」「βエンドルフィン」「中脳皮質ドーパミン」「Po左」「Pi」「No右」「Ni左」「加速」等を一群で作製した上で、「胃潰瘍」に該当した「桃色」のビームライトバーコード、「膵炎」に該当した「灰色」のビームライトバーコードを付け其其のカラーチップを貼り透明のビームライトを照射した所、99%痛みは消滅しました。翌日は左手の胃の反射区に圧縮ビームライトアキュームレーターシールを貼り人工臓器を描き、ビームライト治療を施し、ポイントに赤、青のビームライトを照射して一条の光を成立させた所、完全に痛みは消滅し、以後復活しませんでした。顔色も良く成り、元気に成りました。主人が私のPACOの一太郎の画面に「有り難う」とメッセージを書いてくれました。其れをフロッピーに落とした日から現在まで『わんこ闘病記』の記録は続いて居ます。

 8月10日(木)

 正食日記 其の二

 主人は食生活を変えませんでしたが、『正食日記』には主人の分も同様に記して行きました。主人は御弁当なので、食事内容は全て把握して居り、毎日、帰宅後に「今日のウンコ、どんなんやった?何時にした?」「オシッコは?」と状況を聞いて、ノートに付けて行きました。現在は、私の食生活は記して居ません。主人は、私の食事は玄米御飯、味噌汁、野菜の煮物が毎日だから書く必要が無いと言います。玄米御飯でも、毎回豆、雑穀等一緒に炊く物を変えて居り、味噌汁の具も変えており、副食も煮物に限らず、和え物、お浸しの事も有りますし、食材は毎回変えて居ますので菜食と言っても幅広いですが、日記を続けるのは止めました。日記に頼らなくても、何を食べれば良いのか身体で解る様に成って来ましたので、主人の分だけ、現在はノートでは無く、フロッピーに毎日入力して居ます。フロッピーのタイトルは『わんこ闘病記』です。「ボク、病気とちゃう!」と本人は、此のネーミングがお気に召さない様で「『わんこメニュー』にして!」とリクエストしますが、其れだと本当に犬の餌みたいなので相変わらず『わんこ闘病記』にして居ます。『わんこ闘病記』のフロッピーは、今年の2月にスタートしました

 8月9日(水)

 正食日記 其の一

 食生活を菜食に切り替えた私は、『正食日記』を付け始めました。と言っても、始めは、未だ白米を主食にして居り、正食と呼べる物では有りませんでしたが、玄米正食への意志は強く、やがて玄米が手に入り、本当の正食をする日が来る事を待ち望んで居ました。『正食日記』には其の日、食した物を全て、食材、調味料、調理方法、間食等も時間と共に記し、排泄物や其の日の体調も記して行きました。其の日の出来事や感じた事等も書かれて有り、食生活をメインにした日記帳でした。毎日ノートに記して行く其の姿は、家族には不気味に映った様です。「何で、そんなに食事に拘るの?」「宗教じゃないの?」と良く言われました。「人間は食べた物其の物で有り、食べた物に依って心体が作られて行く」「身体が浄化されて行くと言う事は精神も浄化されて行くと言う事で有り、此が本来の食生活だ」と信じて居た私は、厳格に菜食を実行し、年月は掛かるかも知れないけど、其の事を自分の身体で証明しようと思って居ました。手探りの状態でのスタートの為、其れまでの食生活を止めて、動物性蛋白質、砂糖、乳製品を自らの意志でストップするには、記録する物が必要で、1人で実践して行くには、ノートに記す事で励みに成りました。当時のノートを捲って見ますと、動物性の物は、目刺しが時々登場する程度で、案外キチンと実行して居た様で、決心が固かった事が思い出されます。生姜湿布、梅醤番茶、蓮根湯等で風邪の手当をして居た事も書いて有りました。途中、記さなかった時期も有りましたし、廃棄したノートも有りますが、現在、10冊近く残って居り、押入に保管して居ます。記すのは真剣でしたが、過去の物を省みる事は殆ど無く、「捨てようかな」と何度も思いましたが、思い出も有り、なかなか捨てられない物です。

 8月8日(火)

 

 鄙びた温泉に行って来ました。家を出る迄は天気が良かったのですが、山に入り目的地に近付くに連れて、雷が鳴り、酷い雨が降って来ました。山道は嵐だと危ないので、義母も引き返そうと言い出しました。私は今迄天候操作を試みた事は無かったのですが、車の中で試みました。「今直ぐ、雨が止み、家に帰る迄降りません様に・・・」でも、雨は止まず、直ぐ、目的地に到着しました。「あ〜やっぱり、ダメだった!」其の温泉は我が家から1時間程なのですが、山の中に有る為空気が全然違います。自然に囲まれ、観光地化されて居らず、静かで飾り気の無い雰囲気がお気に入りなので、しばしば日帰りの入浴に利用して居ます。今回は雨が降って居た為でしょうか・・・客人は私と義母の他は誰も居らず、2人だけの貸し切り状態で、静かな山の中での入浴を楽しみました。男風呂でも同様で、客人は誰も居らず、主人1人で男湯を占領して居たそうです。十分満喫した後、帰ろうとすると、隣のキャンプ場に来ていた小学生の団体がドヤドヤと賑やかに入浴をしに入って来ました。外に出ると、雨は止んで居ました。雨が止んだので、お客さんがやって来たのかも知れません。私達はラッキーでした。此迄も私達は3人で出掛ける時や買い物をする時等、しばしばラッキーな思いをし、時には間一髪の危険を回避した事も有ります。そんな時、「守って貰って居る」と感じます。雨が止むと気温が可成り下がり、涼しく成りました。昨夜は虫の鳴き声も良く聞こえました。昨日は立秋でした。今度、其の温泉に行く時は、益々秋の気配がして居るのだろうと思います。

 8月7日(月)

 夏 其の四

 主人は暑さに弱いです。お肉が好きな主人の血液は脂が多く、不純物の処理に内臓が働き続けるべくエネルギーを多く必要とする為、身体が燃焼して暑がるのだと思います。しかし、何時もなら、夏に成ると休日は一日中クーラーを付けて居たのですが、今年の夏はそうでも無く、最近は特に日中は暑いにも係わらず、自ら、クーラーを切る事も有ります。例年より過ごし易そうにして居るのは、青色のビームライトバーコードを付けて居る御陰だと思います。主人の朝食には果物、野菜ジュースを飲んで貰い、御弁当にも野菜を沢山入れて居ます。流石に暑い日が続くと、夕食にも「お肉が欲しい」と言わなく成りました。時々、玄米スープも飲んで貰って居り、お肉が最近減って居るから体力の消耗も少ないのかも知れません。本来、人間の身体はお肉を必要としない筈で、其れを要求するのは身体が正常で無い状態で有る事と、習慣付いた欲望からです。血液が綺麗に成り、身体からの本当のサインに気付けば正常な物を求めるのですが、其のサインを聞こえなくして居るのは、無知と欲望です。私に出来る事は、正しい食事を提供して、無知と欲望にも勝るサインを起こさせる事、湧き起こったサインに出来るだけ従って貰う様に心配りする事で、私自身が正食を本当に理解し、心の管理をして居無ければ、家族の健康も損なって仕舞います。現実の生活で得る物は多く、自分に与えられた役割を遂行する事が、実は私自身が本物に近付く道で有ると思って居ます。

 8月6日(日)

 夏 其の三

 「暑いから、陰性な物を摂っても大丈夫」と言う気持ちが拍車を掛け、果物にも手が伸び、今年の夏は西瓜を結構食べて居ます。喉が潤い、甘いので、ついどんどん手が出て仕舞います。甘い物は誘惑の象徴で、一度口に入れると判断を鈍らせ、手を止めるタイミングを逃して仕舞う事が多いです。結果、過食して胃が張り、下垂し、身体が陰性に傾き重く成ります。西瓜に限らず夏は野菜も水分が多く、身体を冷やすウリ科、ナス科の物が旬で、多く出回って居ます。軽く口当たりが良いので、御数の量が増えると矢張り陰性に傾きます。夏は余り梅醤番茶は飲まないのですが、こんな時に飲むと美味しく感じます。此の様に身体のバランスを崩しがちな時は、副食の陰陽を考えるより、基本に戻って御飯を食べる様にして居ます。玄米御飯を一口60回以上噛み、3口運んだ所で副食を食べる様にします。そうすると、副食を食べ過ぎる事は無く、中庸を保つ事が出来、全体的に少食にも成り、身体に力が湧いて来ます。身体が快調な時は、誘惑にも目が行かなく成りますので生活にも規律が出来て、心体も最高な状態に向かいます。玄米御飯を食べなく成る、他の物を主食として連食して仕舞う、又は玄米御飯であっても食べる配分が少なく、主食と副食のバランスが悪い・・・と些細な食事のバランスが変わる事で身体のバランスが崩れて行く事が多いです。不調の原因は玄米(を食べなくなる)、回復するのも玄米、と玄米は矢張り食生活の中枢で有る様です。

 8月5日(土)

 夏 其の二

 お魚を私は食べませんし、主人も嫌いなので、我が家では今年も土用の丑の日の鰻とは無縁でしたが、世間の人達は矢張り、鰻を食したのでしょうか。夏は野菜も水分が多い陰性な物が多く、食欲が無い折りに、つい口当たりの良い生野菜や果物や水分を過剰摂取して、身体も陰性に傾きがちで、結果、バテ易く成ります。そんな時、極陽性の鰻を食べると身体がシャンとすると言う事で、此の時期に食べられる様に成ったのかも知れません。食欲旺盛な私でも夏は自然に食欲が落ちます。其れは、「しんどくて食べられない」のでは無く、少量食べても満腹感を覚えます。まるで、体内環境を整える為、身体が食物を一時的にストップしようとしているかの様です。其の様な時は、身体からのサインに従って、食べない方が心地良く、内臓にも負担を掛けなくて快適に過ごせます。此を自然な摂理だと受け止めて、少食で過ごし腸を休ませ、又、運動に因って汗を掻き排毒を促進させて身体の大掃除をする為には、夏は絶好の季節だと思います。正に、太陽からの熱エネルギーの恩恵を多大に受ける事が出来るからで有り、此の季節に大いに身体の浄化を計りたい物です。食欲が落ちた事を心配する必要は有りませんし、「栄養の在る物(=動物性蛋白質)」を食べて体力を回復させようとするのは自然に反する行為で有り、身体が燃焼して疲れる結果と成ります。身体からの自然な声に従って季節を上手く過ごすのは、大自然と調和した生き方で有り、是非、此の季節ならではの恩恵を受けて、身体の浄化を加速させたいと思います。

 8月4日(金)

 夏 其の一

 それまで、夏は苦手でした。昔から体力が無く、夏は特に息切れがし、炎天下だと吐きそうに成る位で、外に出るのは嫌でした。夏はレジャー、遊びと、若者は兎角活動的に成るのが一般的でしたが、私には全く当てはまりませんでした。それが、食生活の中から、お肉、乳製品、砂糖を止めて一ヶ月経った頃、夏の盛りでも体力が衰えず、炎天下に居ても暑さが応えなく成りました。職場に着くと、同僚達が「暑いね〜。通勤するだけでも体力消耗する」と言って、汗を拭きながら暫くはボウ〜ッとした顔をして居ましたが、私は余り汗を繋く事も無く、体力の消耗も有りませんでした。都会のコンクリートに囲まれたオフィス街の真ん中でしたので、太陽のぎらぎらした暑さと車の排気ガスやアスファルトの熱がコンクリートのビルに籠もる熱気は感じて居ましたが、身体がシャンとして居り、昼休み中に外出するのも平気でした。此の時、矢張り人間は動物性の物を食べると血液が酸毒化し、穀菜食する事に因って血液が綺麗に成って行くのだと実感しました。動く物(人間や動物)が動かない物(植物)を食べるのは理に適って居り、その法則を破ると身体を壊して行くのだと言う事が解りました。見よう見真似で始めた菜食生活でしたが、本で得た知識を身体で納得しました。以後、私は夏が大好きに成りました。暑さは全然応えません。炎天下で出掛けても、灰色のTシャツを着て居れば身体も軽やかで涼しく感じるので、昼間、1時間程歩いて居ます。家でも昼間はクーラーを付けて居ません。我が家でクーラーを付けるのは、主人の起床時、帰宅時とお風呂上がりだけです。矢張り、お肉が好きな主人は暑さに弱いです。かといって寒さにも弱いです。お肉が好きな人は体温の調節が苦手の様です。

 8月3日(木)

 初めての夏

 私が食生活を菜食に変えた年は、日本中が米不足で、私が購入している自然食品店でも玄米どころか白米も手に入らない状況でした。「本当の健康の為には玄米菜食しかない」と思い、実行しようとしましたが、玄米が手に入らないので、身内が都合してくれた白米の主食を続けながら、砂糖、動物性蛋白質を止めて行く食生活をしばらく続けました。厳格と言う訳では無く、時々、お魚を調理して食べて居ましたが、砂糖、お肉、乳製品は止めました。6月から食事を変えたのですが、迎えた7月、8月は暑さが全く気に成りませんでした。其れまで私は夏に大変弱く、暑いとクラクラして気分が悪く成り、早く夏が終わる事ばかり願って居ましたが、其の年は暑さが応えず身体がシャンとして居り、オヤッと思いました。其の年は5月から猛暑が続き、雨不足の年で、大変暑い夏でした。記録的には今年よりはるかに暑く、気温が体温に並ぶ日が続き、体温以上に成った日も有りましたが、私は身体が非常に軽く快適に過ごしました。むしろ、夏より5月の暑さの方が記憶に残って居ます。動物性蛋白質の摂取を止めて一ヶ月経つと、こんなにも身体が爽快なのか・・・と、動物性蛋白質が不要な物で有る事を、自分の身体で実感しました。

 8月2日(水)

 インスタントラーメン 其の三

 然し、インスタントラーメン(焼きそば、カップ饂飩を含む)がこれ程一般的に成ったのは、刺激的な味と手軽に出来ると言う事と、インスタントを歓迎する社会環境に後押しされて後ろめたさが無く購入出来る様に成った背景が有ると思います。「みんなで食べれば恐くない」と言った所でしょうか。以前勤めていた職場では、パートの主婦の人達も昼食に度々カップラーメンを持って来て食べて居ました。其の中の一人は、料理が大変得意で、調理師を目指して勉強をして居り、確かに豆に、見た目も鮮やかなお料理を作って居ましたが、彼女が金平牛蒡を「○○饂飩スープの素」で味付けをして居るのを聞いた時はビックリしました。でも、其の時同席して居た他の主婦の人達も「○○饂飩スープの素」を様々な料理に活用して居るとの事で、彼女達にとっては、本物の調味料だけのお料理では、もはや舌が満足しないのだと思いました。本物の調味料を使ったお料理は、じんわりと味が身体中に染み渡って行き、胃が凭れず、御腹の底から安心感が湧くお料理です。正食料理を普段味わって居ると、インスタント食品の味は舌に突き刺ささる程刺激的で、喉が渇くので全部食べる事が出来ません。其の強い刺激を旨味と勘違いし、更に刺激がエスカレートしてどんどん味覚が異常に成って居る様です。主婦の人達がインスタントラーメンに馴染む事は、社会的にも恐い事だと思います。

 8月1日(火)

 インスタントラーメン 其の二

 私が子供の頃のインスタントラーメンは、もっと味が濃かった様な気がします。酷く喉が渇き、母から「そんな物ばっかり食べて居ると腎臓病に成る!」と注意されて居ました。近年、塩分の過剰摂取に国民は敏感で、薄味志向に成って居り、インスタントラーメンも、同じ商品ながら塩辛さが和らぎ、味が若干マイルドに変化して居る様な気がします。しかし、袋の原材料名を見ると、10種類を越す食品添加物が列挙されて居り、塩辛さを和らげた分、つまり塩化ナトリウムの量を減らした分、”旨味”(と感じさせる)を別の化学調味料で補って居る訳で、依然と不自然極まりない食品で有る事は間違い有りません。「インスタントラーメンを、より美味しく食べる方法」「より、ヘルシーに食べる方法」「インスタントラーメンを上手く活用して、料理の幅を広げよう」とテレビ番組で紹介されたり、非常時の緊急食料として奨励されて居るのを見ると、偽りの食生活の象徴とも言える物に、何故市民権を持たせるのかと重い溜息が出ます。

 7月31日(月)

 インスタントラーメン 其の一

 主人はインスタントラーメン(焼きそば、カップ饂飩を含む)が大好きで、一週間の内、半日は食べて居ます。朝から食べたり、夕食に食べたり、間食や夜食に食べたりして居ます。一緒に買い物に行くと、必ず3〜4個買って居ます。昨日も一昨日も其の前の日も食べて居ました。現在、主人に限らず、インスタントラーメンが好きな人は多く、昔に比べて種類も豊富で、もはや国民食として此等の物を食べる人は大変多い様です。私が勤めて居た頃も、昼食時には女性でも必ず何人かは、カップラーメン、カップ饂飩、カップ焼きそばを食べて居ました。其れは、主人の職場でも同様で、お昼時には、カップラーメンの匂いが充満して居るとの事です。其の様な人は其れを食する頻度が高く、昼食にはカップラーメンと言うパターンが出来上がって居ます。つまり、インスタントな物を食べると、リピーターに成って行く様です。インスタントな味は化学調味料、つまり薬物で出来て居り、舌が馴染んで仕舞うと、麻薬みたいに中中止められません。せめて、主人が食べる時には葉類、茸類、生大蒜や葱等の匂い物や香辛料を入れる様にして居ますが、主人は其れを嫌がります。「具を入れると、インスタントラーメンの味では無く成って仕舞う」と言うのです。インスタントを好む人は正常な味覚、感覚からも遠く離れて居る様です。

 7月30日(日)

 カレーのルウ

 昨夜の我が家の献立です。私は小豆玄米御飯、味噌汁、大根と白菜と人参と薄揚げの炊いた物、昆布と干し椎茸の佃煮です。主人はカツカレー、味噌汁、モロヘイヤの御浸し、南瓜の塩蒸し、辣韮、林檎、桃でした。カレーの時は、多くの野菜と共に、玄米、豆、雑穀御飯も加え、ミキサーに掛けて姿を解らない様にしてルウの中に入れて居ます。此の方法だと、野菜や穀物が苦手な主人も、気が付かないで「美味しい」と言って食べてくれます。昨夜、カレーの味見をすると、下腹部がキューっと締まって痛く成りました。私は動物性の物が入ると、下腹部が締まって痛く成ります。直ぐ、パイナップルジュースを飲んだ所、痛みは緩んで無く成りました。普段なら、パイナップルジュースを飲むと極陰に傾いて、クラ〜ッとして眠く成るのですが、其の様に成らなかったのは、動物性蛋白質と中和されたからだと思います。今回も、お肉はほんの少量にして、沢山の野菜をミキサーに掛けて加えたのですが、カレールウは市販の物を使用して居ました。其のパッケージには、原材料名として、ラードや牛脂等の動物性油脂、ビーフエキス、ブイヨン、グレービーソース等が書かれて居り、香辛料も入って居るのですが、動物性エキスの方が勝っているのではないかと思いました。カレー=香辛料と思いがちで、香辛料を上手く使うと、お肉の害を少なくする事が出来るのですが、市販のカレールウの場合は、動物性エキスの他に、不自然な化学調味料も含まれて居り、余り、スパイスの効果を期待しない方が良さそうです。矢張り、主人の身体の事を考えたら、カレーを作る時は、市販の物を使用せずに、スパイスを調合して自らルウを仕上げて行った方が良いと改めて思いました。

 7月29日(土)

 胃痛 其の二

 胃の不調は無くなりました。聖士會館シップを両足と胃に貼って寝たのですが、朝、起きると快調でした。胃の不快感は無く、良く成って居ました。昼食は、残り物の大豆玄米御飯を食べ様と思いましたが、冷えて固く成って居ましたので、チャーハンの様に油炒めする事にしました。私は偶に、冷や御飯を油炒めする事が有ります。塩胡椒と醤油味にする事が多いのですが、今回はカレー味にしました。本当は、油を使いたく無かったのですが、カレー味にし、卸し生姜を振り掛け、大根卸しやジャスミンテイーも摂ったので、凭れる事は有りませんでした。西瓜は未だ、止めておこうと思って居ましたが、食べて仕舞いました。西瓜は甘く、口当たりが良いので、ついドンドン手が伸びて、胃凭れして仕舞います。夕食は何時もの半量にしました。本当は、此の様な時は、御飯も御数も極力食べない方が良いのですが、主人の残した物を食べたりして居ると、御数を食べ過ぎて仕舞いました。御数の量が多いと、身体が不安定になります。

 7月28日(金)

 胃痛 其の一

 昨日は、胃痛でした。間食を沢山したのが原因だと思います。手製の御菓子でも、食べ過ぎは禁物です。又、油を使用して居る為か、顔がベタベタして居り、暑く感じましたし、胃が重く、身体がだれ〜っとして居ました。左手の反射区を見ても、胃は腫れて居ましたので、胃の反射区に12角の圧縮ビームライトアキュームレーターシールを貼り、百会の反射区で一条の光を成立させた所、胃が軽く成りました。又、玄米スープを飲んだ所、力が湧いて来ました。結局、昨日は、手製の御菓子と残り物の御数を食べただけで、玄米御飯は食べられませんでしたが、玄米スープを再三飲み、身体がシャンとして来ましたし、千振茶も飲み、胃もマシに成ってきました。「食べる」が不摂生に成ると「動く」も不摂生に成り、どんどん体調を悪くして行きがちなのですが、胎児運動、犬歩きを行い、温めのお風呂にゆったりと入り、運動、呼吸法も行い、生き返った様にさっぱりとしました。気持ちが引き締まりましたので、此以上、胃も悪化する事は無いと思います。湯船に使って居ると、胃がスースーと修復されて行く感覚が有りました。入浴後は胃と足裏に聖士會館湿布を行った所、胃が温かく、身体も軽く成りました。少し、絶食すればもっと回復する事だと思います。

 7月27日(木)

 玄米との出会い 其の三

 玄米が白米より重い物なので、動物性蛋白質は副食として合わず、自然に、副食には御野菜を選ぶ様に成ります。だから、グルメ嗜好の人、つまり、動物性蛋白質を好む人は、玄米は口に合わないのかも知れません。動物性蛋白質を過剰摂取して居る人は、中心が特に極陽性に傾いて居ますので、反対の陰性な物を好んで摂取しようとします。玄米より白米の方が陰性なので、お肉が好きな人は、自然と口当たりの軽い白米を選ぶのだと思います。其の様な人は副食が中心で、食に関して、とやかくうるさいです。食べるのが楽しみと言うタイプの人に多い様な気がします。グルメ情報に敏感で、常に美味しい物を求めて居る様です。其の様な人は「○○は身体に良い」と聞くと、其れを摂取しようとしますが、其れが其の人にとって可能なのは、お肉を食べる食生活自体を変えなくても出来る”健康法”だからだと思います。お肉を食べる事に因って健康を損なって行くならば、摂取を止めれば良いと言う簡単な法則なのですが、摂取を続けたいので、自分にとって都合が良い、あらゆる健康法にすがろうとする・・・。根本的な物の見方が間違って居るから、其の人は根本からは健康に成れないと思います。継ぎ接ぎだらけの健康で、何時か崩壊して行くのですが、崩壊しても(病気に成っても)本人は、其の原因が解らない様です。

 7月26日(水)

 玄米との出会い 其の二

 初めて玄米を食べた時「美味しい」と言う人と「不味い」と言う人が居ます。私が見てきた所では、陰性タイプの女性は美味しく感じる人が多い様です。ずっと前の職場の同僚の女性ですが、色白、冷え性で典型的な陰性タイプでしたが、性格も素直な彼女は「美味しい」と言ってくれました。彼女は、私がビームライト端末機で出力するビームライト波動も、私以上に敏感に感じて居り、患部が「温かい」「電気が走ったみたい」「痛みが取れた」と其の場で、よく言ってくれました。自分で出来るビームライト治療法を教えた所「海外旅行先で気分が悪く成った時に実践して直ぐに回復し、助かった」と言う報告も有りました。彼女は自宅で玄米を炊いて食べる様に成りました。陰性タイプの人は、力の湧く物を本能的に求めるので、玄米を身体から美味しく感じるのだと思います。逆に「不味い」と言う人は、自己主張が強い陽性タイプの人、女性で有っても頑固で人の話を聞かず会話が成立しない人、グルメ嗜好でお肉が好きな人に多い様です。頭が固く、玄米には拒絶反応を示します。巷で「○○は身体に良い」と言う情報が流れると、直ぐに摂り入れ毎日でも摂取しようとしますが、玄米だけは食べようとしません。それだけ、「主食」を変えると言うのは生活の根底を変える事なのかも知れません。「毎日で無くても良いから、時々でも食べれば健康に成るのに」と思うのですが、病気に成っても食べようとはしません。たとえ初めの一口が不味いと感じたとしても、意識の変換、健康に成ろうとする意志の力で、食わず嫌いを変える事は出来ると思います。ほんの一寸した勇気を持って、出来るだけ多くの人に玄米を味わって戴きたいと思います。

 7月25日(火)

 玄米との出会い 其の一

 私も以前は、可成り乱れた食生活をして居ました。高度経済成長以降に生まれ、御菓子とインスタントラーメンを好み、社会人に成ってからもグルメに走り、暴飲暴食の日々でした。数年前、職場の年輩の方が癌の手術を受けました。其の方とは面識は有りませんでしたが、父に面影が似て居ましたので気に掛かり、私は、毎日遠くから其の方の姿を見つめて居ました。「病院での治療だと危ない」と感じた私は、本屋で健康に関する本を探し、目に付いたのが玄米食と菜食を勧めて居る本でした。非常に感じる物が有りましたので、熟読し、其の方に本を差し上げ、玄米菜食の実行を勧めました。其の方は、私の事を宗教の勧誘だと思ったそうです。其れまでお話をした事の無かった間柄でしたので仕方有りません。人に奨励する難しさを感じます。そして、私も食生活を玄米と菜食にして行きました。未だ聖士會館と出会う前の事で、見よう見真似でした。初めて食べた玄米を私は美味しく感じ、菜食にも満足して居ましたが、相変わらず其の方は、昼食は毎日外食をして居り、休憩時間には何時もヨーグルトを食べて居ましたので、私は非常に心配でした。其の方に様子を伺った所「ワシの家内は玄米を美味いと言って食べているが、ワシはアレはよう食わん。アレを食べるんやったら死んだ方がましや」との事でした。私は玄米を美味しく感じて居り、身体も快調に変化して行って居ましたので、其のコメントは不思議でした。「病気が治り、健康に成れるのだから、絶対誰実行する!」と思って居たのは間違いでした。其の方は残念ながら3年後に亡くなられました。胸に風穴が開いた様でした。其の方と出会って居無かったとしても、何かの切っ掛けで私は玄米食を始めて居たかも知れませんが、私と玄米との縁を結んでくれた方として其の方の事は忘れられません

 7月24日(月)

 我が家の食卓

 昨夜の我が家の食卓です。私は小豆玄米御飯、味噌汁、大根と薄揚げと白菜のたいたものでした。主人は白米、牛肉と大蒜の炒め物、生野菜(レタス、玉葱)、青梗菜と玉葱の炒め物、味噌汁、林檎、檸檬、辣韮、果物ジュース、コーヒーです。食事は全体でバランスが取れる様に作りますので、副食にお肉が来ると付け合わせは生野菜に成り、辣韮や果物も主人には摂ってもらう様にして居ます。私は、野菜は火を通すか漬け物の形で摂る事が多いです。味噌汁は今夜は味噌の中でも軽い方の麦味噌でしたので、二人共通でしたが、主人は豆味噌や八丁味噌の様な陽性の物は全くダメなので、味噌汁も別々の時が有ります。と、此の様な違う献立を数年続けて居ます。主人や家族の者にとって、私は「変わって居る」と言う事に成って居ます。世の中の多くの人達は、医療も栄養学も「発達」した現代の方が病んで居ると言う事実から目を反らして居る様です。連日シャワーの様に浴びせられる情報の方を信じ、昔より可成り増えたグルメ番組の映像で骨抜きに成って、流されて居る様です。何かの切っ掛けで気付いたとしても、実行するかどうかは、全く個人の選択の問題です。でも、せめて「食事を改善したら身体が楽になるよ」「病気も自分で治せるんだよ」「人間って本当は凄いんだよ」と、多くの人に知って欲しい、其の為に出来る事をしたいと思って居ます。

 7月23日(日)

 外食

 昨日、主人が「夜は外で食べよう」と言い出しました。主人は隙有らば、外食したがります。主人が行きたがって居るのは行きつけの中華料理店でした。私は油が苦手の上、其の中華料理店は砂糖や化学調味料を使用して居る為か、後口が悪く、擬似的に力が出ますが失速も大きく、次ぎの欲に走って仕舞いがちで、気が向きませんでした。外食と言っても、満腹に成る迄食べなければ問題は有りませんし、其の後、直ぐ自分を取り戻せば良い訳ですが、食後に、コーヒーや甘い物や不自然食が欲しく成り、どんどん本来の道から外れて行って仕舞いそうで自信が有りませんでした。そこで、非常手段に出ました。主人が出掛ける支度をして居る間に一人で玄米御飯、昆布と干し椎茸の佃煮、味噌汁と言う夕食を済ませ、御腹を満たしてから出掛けました。其の中華料理店では、杏仁豆腐を食べようと思いましたが、牛乳を使用して居たので止めました。其処では本物の杏の仁を使って居ない様です。「せめて豆乳にしてくれたら・・・」と思いました。主人はチャーハンと焼きそばを注文し、私は其の焼きそばを小皿に2回分けて貰い、ビールと一緒に食べました。ビールと良く合い美味しかったです。最後に烏龍茶を飲んでさっぱりし、次ぎの欲に走る事は有りませんでした。家路まで数qの道を歩いて帰り、夜の散歩を満喫しました。偶には二人で外食するのも楽しい一時です。出掛けて良かったと思いました。

 7月22日(土)

 玄米

 二日間、玄米を食べませんでした。私は昼食が一日の食事の始まりなのですが、昨日お昼前に、お中元で戴いたおかきをポリポリと食べた所、玄米が欲しく無くなり、お昼も可成り過ぎた時刻に成って、少量の麺類で済ませました。おかきが塩味の為喉も乾き、御茶や西瓜や果物ジュース等も普段以上に摂取して眠くなりました。夜を玄米食に戻せば良かったのですが、いつも金曜日の夜は、主人の食事が要らないので、私も調理しないで適当に有る物を食べる場合が多いのです。昨夜も枝豆、麺類、そして、又おかきをを食べて済ませました。今朝起きると、何時もより身体がフニャ〜として居り目がトロンとして、肝臓も重かったです。玄米を二日間食べて居ないので中心が不安定な上、陰性な物の過剰摂取で身体が緩み、塩味のおかきを沢山食べた為、肝臓に負担を掛けたのだと思いました。肝臓、右腎に24角の圧縮ビームライトアキュームレーターシールを貼り、波動値を出力した所、身体がシャンとし活力が湧いて来ました。肝臓も軽く成りました。一昨夜から水に浸して居た玄米は、パンの様な発酵の香りを放って居り、芽が出て居ました。今日のお昼に炊いて食べると、軟らかく、甘味が有り大変美味でした。

 7月21日(金)

 知人の急病

 数日前、主人の職場の同期の方が蜘蛛膜下出血で倒れ、搬送先の病院で緊急手術を受けましたが、現在も昏睡状態が続いて居るそうで、主人は大変ショックを受けて居ます。其の方は同期の中では一番の出世をして居り、成績優秀の御褒美で何度も海外旅行の経験が有るそうで、主人も「あいつは仕事が出来る」と以前から言って居ましたが、反面、主人と同じ年齢にも係わらず頭は黒髪が殆ど無い程白髪に覆われて居るとの事です。主人はお肉や加工食品が好物と言う不健康な食生活を送っては居ますが、不思議と白髪は有りません。

 「僕もそんな年齢に成ったのかなぁ」と主人は落ち込んで居ます。確かに時の経過と共に老化して行くのは事実ですが、多くの方が身体の不調の殆どを「歳の所為」と即決し、真の原因を探って居無いのは残念です。其の方は、能力が有るが故に、走り続けなければ成らなかったプレッシャーも要因だったと思われますが、戦士と言われる位に元気な人程、案外、不調のサインに目を向けず、健康の基本で有る「食べる」「動く」「寝る」の三原則が大きく歪んで居る様です。私は其の方の写真を見せて貰いましたが、がっしりとした体格で、年齢よりも貫禄が有り、如何にも超陽性タイプに見えました。其の方は血尿も有ったと言う事ですから、腎、膀胱系も炎症して居り、動物性蛋白質の摂取過多、酸化した油(脂)に因る血液の汚れ、粘稠化で脳内出血に至ったのだと思われます。

 自らの病気が切っ掛けと成って、玄米菜食を実施する様に成った人は多く、癌の様な大病も正食で克服された人も居ます。今回も、是非、其の方には回復され、元気に成られる事をお祈りして居ます。そして、今度は新たな視点で健康を見つめ直して行かれる事を希望して居ます。

 7月20日(木)

 はじめに

 私の主人はお肉、ファーストフードのハンバーガー、コーヒー、カップラーメン、御菓子、マヨネーズが大好きな現代っ子です。(私も主人より若い現代っ子なのですが・・・)此の様な食生活ですから正食や見えない世界の事を信じて居ません。

 私は玄米正食、主人は白米にお肉中心の副食・・・と、全く別の食事内容で生活を共にして居ます。「全然好みが違うのに、よく仲良く出来るね」と言われる時も有りますが、不思議と私が厳格な正食をして居る時の方が家庭が平和なのです。外食が多く成ると、心体が不調に成り、家庭にも重い空気が流れるからかも知れません。

 主人には、正食は難しくても出来るだけ穀物菜食に近づいて欲しいし、せめてもう少し健康に気を付けた食事をして欲しいと思って居ますが、長年の嗜好を変える事は中中出来ない様です。

 私は正食を実践して身体の変化を眺めて来て、玄米正食は心体にとって最高の食事だと実感して居ます。此処では食生活や見えない世界等について感じたことや日常の小さなエピソード等を皆様と分かち合いたいと思います。

 
 
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最終更新日: 2006/12/29 金曜日