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 空手道の呼び名は、時代と共に「手→組合術→拳法→唐手→空手→空手道」と変化して来た。此処で言う「手」とは、聖士會館では「遣り方、方法、腕前、力量、技術、手振り、向き、方向」等の事を言う。

 空手を習得して行く上で、先ず始めに心の基本と技術の基本を作って行き、其れから能力に沿って心と技術を習得して行く。道場だけの稽古を全てだと決め付けるのでは無く、生活全てが稽古だと言う一体の生活を送ると、逆境にも負け無い手立てや運命を見出す事が自然に出来る様に成る。

 例えば、実戦に於いて考えれば、相手が階段の上に居り、自分が階段の途中に位置して対峙して居る場合、普通に考えれば上に位置して居る方が引力の法則上に於いても力は下位に居る者因りも勝る。手立てが無く、力任せの戦いを行うのなら上位に位置して居る者が優位で有る。然し、上位に居る者は上半身は使用出来ずに、下半身を使用するだろう。下位に居る者は上半身を主に使用するだろう。何方が動きが良いかと言えば、当然下半身(足)因りも上半身(手)の方が器用で有る。下半身は足を掬われれば簡単に崩れる。
 複数の者と対峙すると言う場合を考えれば、自分の背後を壁にして、後方からの攻撃を無くして仕舞えば、同時に戦う相手が少無く成るし、背後から不意を衝かれると言う事が無く成る。
 武器を持った者と対峙すると言う場合を考えれば、本来は逃げるが勝ちなのだが、時と場合に因っては戦うと言う場合が発生する。其の場合、武器を持った相手は素手の人間因りも自由を失って居る訳だから、武器の特性を知って居れば、其の動きと破壊力を止めるべき手と反撃の手を考える。
 道場で、同門と自由組み手を行う場合、同じ攻撃、同じ速度、同じ位置への攻撃を単純に繰り返して居れば当然相手に攻撃方法を読まれて仕舞い防御されて仕舞います。だから、毎回違う攻撃、違う速度、違う位置への攻撃を行い、加えて時の見計らいを行うからこそ相手に攻撃方法を読まれ難く、防御され難いから効果が有る。瞬間の見立てと見切りは大切な受即攻撃に繋がります。
 人間の動きは、膝の動きに秘密が有ります。膝の動きを熟知する事が勝利への近道です。膝の動きに連動して肩が動きます。此を見切り、心を揺らし、身体を揺らし、中心軸を狂わし、中心力を失わせると相手は無力に成ります。そして、其の技術を体術へと繋げて行きます。

 一寸横道に逸れるが、手と言うのは動き速度を左右します。
 突きを出す場合、力一杯拳を握って居る時因りも、軽く握って居る時の方が拳を出す速度は速く成ります。聖士會館空手道の正拳は掌の横筋に指先を合わせ、掌で指を包み込む様にして握ります。汗を掻いても指は滑らないし、拳の怪我をし難く、拳を出す速度は速く、相手に当たりも良いので、破壊力の損失が少ない。聖士會館空手道の正拳突き等を行う時に当てる拳頭は、示指の近位指節間関節だけを当てる様に突きます。
 蹴りを出す場合、手を拳にして居る因りも、開手にして、蹴る足と同側の手の掌は前方方向に反らし、肘は少し曲げて居る時の方が蹴りの速度は速く成ります。

 心の基本と技術の基本をしっかり身に付けて於くと、万別の方法を手に入れ、其れを実行する事が出来る。勿論、頭脳を生かさなければ駄目で有る。頭脳を使用せずに、力任せの自由組み手を行えば、力が有る方が必ず勝つ。武道とは心を磨くもので有り、其れに伴って、気を使い(頭を使い)、技を向上させ、時を見計らい、無駄な戦いは止める様に成る。しっかりと基本を身に付けた者には必ず道は開ける。

 手とは森羅万象で有り、其れ故、全ては関連して居り、其の仕組みを知れば自然に溶け込む事が出来る。此の宇宙の中に存在する自分の役を見出す方法でも有る。そして、食生活全てを自然にすると素晴らしい人生への手招きに成る。

 私が生涯を武道としての空手の道に身を置いて生活を送るのは、平和と健康を願い明るい生活を目指しているからだ。

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