実戦では、叩く、蹴る、捌く、掴む、崩す、投げる、極める、武器使用・・・・・・等の攻防に成ります。理想は、叩かれない、蹴られない、捕まれない、投げられないで、此方から一方的に攻撃して相手を征すのです。然し、実際には理想通りには成らない。稽古を積み重ねて先の先を読む事、如何に速度を速くして破壊力の大きな攻撃を電光石火の様に繰り出す事。そして、理想としては相手の攻撃の前に攻撃出来る事。又は、相手の攻撃に対して完全に捌き崩し極める事。そして、交差法を使用出来、瞬発力を発揮出来る事。其の瞬発力とは、無駄が無い加速された力で有り、我々は直力と呼びます。
手の攻撃をする場合、其の手と同側の足は手の攻撃方向に同調していないと手首に揺らぎが起き同測同調には成りません。順突き逆突き共に同じです。
相手の攻撃とは必ず膝から動き、次に肩が動きます。然し、其の前に攻撃しようと思う気が動きます。其の気を察知する事が出来れば相手の身体が動く前に攻撃を仕掛ける事が出来ます。攻撃しようとする気は幽体なのですが、其の幽体を見る心の目が必要です。
武道は心を育てる事を生涯追求しますが、其の心の行が幽体を見る(気)事が出来る目を備えます。
中心軸を正した構えをすると中心力を増し、調律の取れた自然体に成ります。何時でも瞬時に(一挙動で)瞬発力を発揮する事が出来ます。行動に対して中心から直力で大きな力が広がって行き歪みが少ない。中心軸が狂った構えは捻れて居り、捻れは調律を崩し、歪み易く壊れ易い。中心軸を正し、中心力を高め集中力を備えた構えをし、攻撃は中心力を瞬間に高め瞬発力を発揮し、捌き、崩し、極める。
聖士會館空手道(武道)は、打撃は捻らない(直力:同側同調)を追求します。一撃必倒を狙います。静の構えをし、気を発しない。何時も実戦を想定した稽古を行い、齢を重ねると共に体力は落ちるが心と技は向上し生涯に於いて空手の道を追求する事が出来ます。スポーツ空手は、勝敗を競う事を目標として練習しますから、体力勝負と成り若い内しか其の目的を遂げる事が出来ない。其れ以後も続けるとしたら健康維持の為の身体を動かす事を目的とした踊りを演じる事に成ります。体力重視は力重視の為に打撃は捻り(遠心力)を追求します。そうすると中心軸を崩す為に其れを修正する動き(捻り)を加え中心軸を正そうとします。然し、捻ると言う動作は半分力を解放します。相手に伝達する力は1/3以下に低下しますから手数・足数を必要とします。そして、中心軸の崩れを補う為に動の構えをします。
空手の試割りとか破壊力測定をする時に、スポーツ空手の動作を見て居ると、何度も軌道を倣い、理想の放物線が狂わ無い様に最大の努力をして遠心力を高めて破壊力を高め様とします。聖士會館空手道は、中心軸を正し、中心力を増し、集中力を高め瞬発力を発揮するので軌道を倣う事は余り必要とはしません。直力(同側同調)は100%の力を伝達する事が出来ます。
中心軸を正す為には骨盤正常位(仙腸関節)で有る事が望ましい。其れが直力の原動力だから。そして、膝と肘が正常位で有る事が望ましい。其れが捌き崩しの原動力だから。基本を理解して常に研究する事が望ましい。其れが技の原動力だから。正しい食事をして健康で有る事が望ましい。礼節を辨え心が平安で有る事が望ましい。其れが心を作る基本だから。其れ等が、一体のものと成った時に、体力を遙かに超えた力が湧き出て来る。武道とは【心と身体と技】の一体化を追求するもので有る。
武道を追求すると色々なものが見えて来る。そして、ものを深く観察する事を覚える。子犬と遊んで居る時に、子犬がじゃれて甘咬み来る時、手足を出す瞬間に甘咬みされる。犬は気を察知して先に行動に出るのだが、加えて、動体視力も運動神経も人間因り遙かに優れて居る。然し、誘いを掛けるといとも簡単に犬に触る事が出来ます。此は速度を速めたのでは無い、技で有る。加えて、気を殺して手を出すと更に簡単に触る事が出来ます。加えて、中心軸を正すと更にゆっくり手を出しても触る事が出来ます。こうした観察や工夫が、心や技、身体を育てて行きます。生活全てが武道と密接な関係に有ります。