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 我々は社会の中で生活して居る以上、社会の決まりに従って生きて居る。此の決まりとは法律と道徳で有る。此と同じ様に空手道というを選択した以上、此の道に従わなければ成ら無い。此の道は人の道(道徳)で有る。技を修得して行く過程で先人の切り開いた道を歩んで行く。指導者は心と技を通じて稽古生に間違った道を歩ま無い様に指導し、稽古生は師を通じて修業の結果正しい道を歩む。

 現代社会には、礼節が無くなって来た。此の礼節こそが平和を齎します。「お願いします。」、「有り難う御座います。」、「お早う御座います。」、「今日は。」、「今晩は。」、「お休みなさい。」・・・・・・此だけでもみんなの心が明るく成ります。礼節とは人を敬う心と我慢(辛抱)する心です。礼節無くして平和は有り得ない。そして、社会と言う共存生活での真の平和とは助け合う心です。

 空手の道に於いて、人として正しい道を歩むには、先ず、礼儀を正しくする事で有る。特に「武の道」に於いて「戈を正して、戈を止むる」の精神から礼儀を重んじ、「礼に始まって礼に終わる」と言う空手の精神なので有る。此は、師に対してだけで無く、先輩、同輩、後輩、自分に関係する全ての人に対し、武を学ぶ者の心の姿勢で無ければ成ら無い。

 現代社会に於いて、多くの人は子育ての中で躾がなされて無いので、心を失って居ます。赤ちゃんには母乳を与えず、牛乳で育て、食事は肉食中心と成り、其の結果、神が与えた生涯の記録装置のDNAを破壊され動物的頭脳を持った人間が多く成り、自分中心に物事を考え、自分の利益に成る事しか考えません。其の結果、些細な事で直ぐ争い事をします。其の状態を現代語では「切れる」と言う表現をします。其れは、見境も無く簡単に人を殺めて仕舞います。日本の法律では鉄砲の所持は禁止されて居るにも拘わらず鉄砲を使って殺める事件が多いし、一般にはナイフで斬り付けたり、バットや鉄パイプで殴ったりと段々と凶悪犯罪が増えて来て居ます。そんな中、全く逃げる事も抵抗する事も出来ずに見す見すと殺されるのは、人生に於いて最大の不覚です。自分の身体は自分で守る!と言う術を持って居れば多くの場合は防げるのでは無いかと思います。

 武術としての空手道は、最強の護身術でも有ります。元々の空手の意味は、「手に何も持た無い事。素手。」です。素手で最高の格闘術を展開出来ます。又、聖士會館の空手道は総合格闘技ですから、叩く、蹴る、捌き、抜き、掛け、崩し、投げ、逆、固め、極め、武器と有らゆる格闘術を身に付けます。ですから武道空手は暴力に屈せ無い武術です。

 人間には秘められた不思議な力が有り、武道を追求して行くとそう言う力が蘇って来ます。それは人其其違う形で現れるのは、磨かれた心と身体の想いが術と成って現れるからです。逆境にも負け無い凄い力です。夢と希望を持った想いの生活を送ると更に加速します。

 空手道の精神は生涯を掛けて修業するもので有り、自分に課した修行が厳しければ厳しい程得る物と者は大きい。人格とはそう言う修行の結果、尊いものを得る事が出来る。

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