何故病気に成るのか、何故自分が此処に存在して居るのか、健康とは、食生活とは等に答える講座です。

 無双原理とは「比べる物が無い程素晴らしい理論」と言う事です。要するに宇宙の秩序を勉強する講座です。良く考えると、成る程・・・・・・なのです。後で此が本当の常識で有ると気付きます。

 健康で平和な心豊かな楽しい生活を営む為に、此の常識を勉強する事は人生に於いて大切な勉強時間で有ると思います。今の世の中は此の儘では子供達に未来は無く成って仕舞います。今、真剣に考え無くては未来は有りません。

 何故此処に私達は存在して居るのだろうか?又、存在するべき宇宙(大きな家)が与えられて居るのだろうか?どの様にして生きて行けば良いのだろうか?を研究して行く講座です。

 wpe1.jpg (774 バイト)無双原理

 宇宙の中に生きる私等に歯止めとは、心の内にしか無い。結果及び価値感も自分で評価するもの。無双原理とは追求して居る時に価値を見い出すもので有り、其うで無い時には無効で有ると思います。

 人体の神秘と同じ様に、生涯に於いて追求するもので有り、答えは追って知るもの。だから、先(光)が見え無いから追って見たく成る。判断を間違えると何も残ら無い摩訶不思議だから、追求する。後で思う事。

 結果は、「普通・常識・自然」なんだなと・・・・・・。でも、自分で得た結果だから非常に嬉しいし、満足とは心の潤いなんだなと思う。「規制・監視・評価」は結局欲を持って判断を迷って居る者に、一時の安堵を与えるもので有ると思う。

 wpe2.jpg (774 バイト)魔法の眼鏡

 此の三次元の世界は「縦・横・高さ」が時間の中に存在して居る。三つの次元はスパイラルして移動(時間)している。安定していれば波風は立た無い。点を基点として外に向かう力と、内に引き寄せられる力が同等で有れば、安定した距離で円の軌跡を描く。此が多分一番安定した状態で有ろう。

 大きな世界で有る、宇宙全体を考えると測定出来無い程昔から存在し、今も全体から見れば極微な変化は有れど、全体的には余り変わら無いし、全体的に影響する様な爆発はし無い。古代ギリシャ時代の星座が今も変わら無い。安定して居ると考えて良いのだろう。本来自然界を見ても「変化はすれど進化はし無い。」此が一番安定している。しかし、進化が認められる場合も有る。外的な力が加わり突然変異を起こした場合で有る。此も全体から見れば些細な事件なんだろう。宇宙は此の様な事が起動力に成って居るとは思え無いが動いて居る。

 「縦・横・高さ」の方向にスパイラルして物は存在して居るが故に物体として認識出来るので有ろうが、必ず物事には始めと終りが有る。物体が確認出来る成らば、必ず中心が有る。と言う事から考えれば、宇宙にも中心が存在すると考え、又、終り(成れの果て)が有ると考える。でも其れは見え無い。

 だから、小宇宙人体で其の秘密を解く。人体の発生は頭から足に向かって伸びて行くと言う変化を子宮内で終えて、ほぼ外観は孫宇宙と言う型で外界に出て来る。其処からも子宮内と同じ様に頭から足に向かって成長して行く。其の頭の内部の秘密の97%〜99%は未だ解から無い。又、一人一人の人間の外観も内部も皆違う。しかし、一つ言える事は、頭部が身体の中心で有ると言う事。其して思う事、各人に見える宇宙と言うのは、一人一人達うのではないのだろうか?宇宙の中心を見た人も、成れの果ての壁を見た人も居無い。増してや、大きさを見比べた人も居無い。

 其れを見るのは生活の周りの自然を見れば良い。其の中に溶け込めば空の彼方の星空に溶け込む術を得る。結果「宇宙の仕組」は、口でしゃべれ無くても心に感じていれば、総てが自然に成ると思う。空の彼方の或星にたどり着けば、其処で結果を知ると言う事は無く。全体を知って其処を知ると言う事に成るなら、周りの自然を知り大宇宙を知る事も有り得る。真実は自分の体と、自分の体を養う物総てが語る世界で有ろう。

 考えて見れば、直ぐ其処に「一物全体(完全体は大宇宙も同じ)」はゴロゴロ転がって居る。其の物と其の周りの物を同時に見る事が出来れば「宇宙の仕組」は其処に有る。魔法の眼鏡は、混じり気の無い透明で無ければ真実(中心)を写さ無い。写真と言う字は真(マコト)を写すと書くが、此の眼鏡も同じで有ろう。「神の世界」も見えるかも知れ無い。

 wpe1.jpg (832 バイト)真実を手に入れる方法

 何れが本物で何れが偽物で有るのか?さっぱり解ら無い。本物因りも偽物の方が本物に見える何て事も有る。勿論、此の時点で判断力に欠けて居る訳だが、確かに本物の影が薄く成って来た。紛い物(擬い者)が世に蔓延るのは、無秩序世界で有り、無法地帯で有る。何故此の様に成るのか?成人する迄の成長時に於いて、

 @人体を形成する食事が正常では無い。

  @母乳が与えられ無く動物の乳で育った。

  A栄養のバランスが悪かった。

  B動物性蛋白質摂取過多。

  C加工食品摂取過多。

  D化学調味料摂取過多。

 A両親の愛情不足。

 B我が侭に育てられた。

 C周りの環境が悪い。

等が考えられる。要するに欠陥で有る。其の様な偏った人等が多くを占める社会と成った結果で有る。だから、少数の真実(嘘偽りが無い事。本当に。全く。)は目立た無いから中中見付ける事が難しい。又、異端視される場合が往往として有る。

 完全体成る人は多分居無い。だが、近付く事は出来るし、最高の判断力を身に付ける事も出来る。其したら簡単に真実を手に入れる事が出来るし惑わされ無い。其の方法は、

 @宇宙と調和する食事を摂る。

  @完全穀菜食。

  A主食(玄米)が全食の51%以上で有る事。

  B副食は豆類、海藻類、黒胡麻を中心に組み立てる。

  C旬の食物を摂る。

 A心身が充実する様な運動をする。

 B心身に力が充足する様な休息をする。

 C教養を身に付ける。

 wpe1.jpg (832 バイト)心の隙

  生涯に於いて岐路に立つ場合が幾度と有る。其の時の心境は人其其だが、過去を回想し悔い改め、心身を奇麗にして理想を求める道を選ぶか、現実を写した侭其の現実主義を貫く道を選ぶかに分かれる。後戻りの出来無い人生に於いて重大な事なのだが、決定に於いて機敏に対応出来るか、出来無いかは事の重大さとか其の人の裁量にも因るので有ろう。社会の中で後に非理を処断される事が有るかも知れ無い等の事を心の片隅に思って道を進んでしまうのは、心に隙が有るからだ。欲を満たされて無いので欲を追求するが故の結果で有り、大欲、小欲で有っても自分の頭と肉体にのみ総て求めて居るので心に空が出来て仕舞う。其れを埋めるのは温かみだと気付か無い程頭と肉体は冷え切って居る。

 wpe1.jpg (832 バイト)結果と原因

 患部(現在)と其の原因(過去)と崩壊(未来)は見え無い糸(レール)で結ばれて居る。現在しか見え無い生き方をして居る者には、此のレールの上を終点に向かって何も気付かずに、唯ひたすら走って行くのみで有る。もしも、行き先が違って居ると気付けば一度止まるはずで有る。其処からどの様にするか?此が各個人に与えられた役で有る。

 急行列車は、唯ひたすら終着駅を目指して行くが、普通列車は各駅に止まり其の度に乗客の出入りの比率が大きい。此の様に度々に止まり、尚且つ運行速度も急行列車に比べ遅い。でも、終着駅が一緒ならば・・・・・・と考えると、考えてゆっくり周りを見渡せる時間の有る人生と、一つの物しか見えず、又、周りも気にせずに先を急ぐ人生。其の選択も、人其其。得る者と物に気付き、役に立つ。過去が有るから現在が有り、現在の結果は未来で有る。ならば、今が間違いならば過去に原因が有り、未来の間違いは現在に原因が有る。間違いを正すだけでは罪は消え無い。此は結果で有る病気も同じ事で有る。原因は他に有る。原因を正せば結果は良しと成る。

 過去を清算すれば未来に向かって加速する事が出来る。

 wpe1.jpg (832 バイト)食生活

 食生活とは、「食べる、寝る、動く」と言う事で有る。生命活動の基本で有り、此の基本が崩れても心体に歪みを生じる、食べる事には、自然と調和する基本が有り、寝る事に因って、食物を消化、分解、吸収、蓄え等を行い、動く事に因って腸を動かし心体を活性化し生命維持を行う。

 心体が正常に働いて居れば、物(者)の見方、考え方が正常に行えるのだが、心身に歪みが生じて居ると、此も歪んでしまう。正常な判断が出来無い為に、誤作動を起こしてしまう、此が多ければ多い程「運が悪い」とか言うが、心体が正常に働いて居れば、全てが正常に判断出来全てを満たす事に成る。身体が正常ならば、心も正常で有り、常に前向きに時間と空間を越えた未来を見続けて、其の後を肉体が追従して来る。第六感の感覚で行動して居る為に五感を越えた所で全てを判断して居る。神域で有る。神は最高の判断力を持ち合わせて居るから。そんな最高の状態を維持するには凡夫では中中出来る事では無いが、目指す事は少無く共出来る筈だ。其の人の努力は努力しただけの事が有る筈で有るが、心が悪い人には効果が無い。当然で有る。其の様な人には真理は解ら無い。永遠に疑い、不平、不満の人生を送る。表面と見え無い内の部分が一体と成って一つの物で有る。

 食生活は基本で有る。だから、もっともっと内迄追求する事に得る物と者は大きい。

 wpe1.jpg (832 バイト)けちと利己主義、始末と利他主義

 けちとは、金品を必要以上に惜しむ事。しみったれな事。又、其の人。見窄らしい様。(心が狭く)下ら無い様。

 利己主義とは、自己の利害だけを行為の規準とし、社会一般の利害を念頭に置かない考え方。主我主義。自己主義。人間の利己心から出発して道徳の原理や観念を説明しようとする倫理学の立場。他人の迷惑を顧みず、我が儘勝手に行動する事。身勝手。自分勝手。

 始末とは、決まりを付ける事。整理をする事。締め括り。処理。浪費せず、慎ましい事。倹約。

 利他主義とは、他人の福祉の増益を行為の目的とする考え方。隣人愛。

 けちは利己主義で有り、自分を中心に物事を組み立てるから、非常に心が狭く、周りに馴染め無いし嫌われる。物事を直ぐに損得勘定を定規に掛けて判断するので、自分に利の無い事には手を貸さ無い。他人の御金を使う時には浪費家に成り、自分の御金を使う時には倹約家に成る。真に我が儘の極みで有る。宇宙から見れば点にも成ら無い程小さな存在で有るが、利に成る事に於いて大きく出る。然し、心が狭いから大きく出ても直ぐに中身を見破られる。又、必ず食い意地を張って居る。自己欲に目が眩んだ、自己愛の情愛に埋もれた人で有る。肉食動物其の物で有り、人間的には下等な存在で在る。偏った心と頭と体を持って居るので有る。

 始末は利他主義的な要素を持って居る場合が多い。無駄の無い食生活を送り、宇宙的な存在で在る。自分に厳しく無ければ倹約と言う事は出来無い。其れ故に、他人の苦しみも知る事が出来る。其の時の其の場所の状況だけでは無く、過去、現在、未来、そして、宇宙的な判断でさえ成し得て仕舞う。周りに与える影響は大きい。本来の自然の在るべき姿で在り、宇宙の秩序で有ろう。相手の気持ちを思い遣ると言う事は相手に同調し無いと出来得無い事で有る。無駄が無いとは、人体に当て填めても、正常に機能して居ると言う事で有り、宇宙と同調して居る事を考えるならば、此が宇宙と調和して一体と成る事で有る。全体的に機能して居る事と成る。何時も安定した身体は心も頭も体も正常で有る。最高の判断力とは心も頭も体も正常に機能して居る時に出来る事で有り、偏りでは駄目だ。「健全成る精神には、健全成る肉体が宿る。」其の者だ。

 wpe1.jpg (832 バイト)一条光の無双原理「四面性理論」

 四面性理論 其の一
 宇宙は一体と成りと言うのが、自然で有る。相似理論では、「同じ形をした物同士は同調する」と言う様に、姿から判断して身体に同調させると言う事が大切で有る。地面、海面は横隔膜を現し、空は胸腔。地中、海中は腹腔を現す。又、海は、血液・リンパ・水分・神経を現し、其処に居る、海藻や、魚や、貝は、血液・リンパ・水分・神経の流れの中に在る物質に成り得る。伸びる方向、形状は、臓器や器官(例えば、芋等は臓器、葱等は太い血管や気管や脊髄、葉脈は毛細血管や末端神経、とまとは心臓、豆は腎臓等)を現す。常に、動いて居る(時間の経過)と言う事は摂取しても死んだ様に寝て居ては、宇宙と調和し無い。身体は全体に運動して居無ければ成ら無い。然し、動物と植物、そして、夜と昼、動く物と動か無い物が有る様に、摂取する物に因って働きが違う。動か無い物は目に見え難い所を支配すると言う事は身体を造る物で有る。髪の毛の伸び速度や、肝臓の動きは見え無い。ましてや、「自分の身体の中は見え無い」と言う事を考えれば、身体は中心(内部=見え無い)から外界に向かって、全体として運動(姿と言う事に因って)して居るので有って、単体で身体の部分が勝手に外界に向かって離れて行く事は無い。大地の力を受けて、其れ同等の力を大地に反発して生活して居る。だから、大地に根を生やして居る植物は大地其の物で有り、大地の力で有る。と言う事を見れば、其の植物を摂取する事が大地の力を受けると言う事に成る。動物(2本足、4本足)は大地では無く、大地の上に動いて居る物で有る。原則として母体で有る大地から間接的に力を受けて居る人間と同じで有り、其の動物の摂取では大地の力を受ける事が出来無い。だから、母体で有る大地から直接力を受けて我々の身体が成り立って居ると言う事を見れば、動物性蛋白質の摂取は原則として身体は成り立た無い。
 食物を大別すると、植物と動物に分けられる。植物は陰性(静)、動物は陽性(動)に分ける。調理(物事を整え納める〈物事を落ち着けるべき所に落ち着ける〉事)と言う技術に因って、身体に馴染むと言う操作を行う。其れは、肉には砂糖とか香辛料を使い、消臭作用や陰性に移行させる作用を促し、其れは塩を使う事に因って、中へ浸透させる、防腐作用を行う事に因って動か無い物に近付ける(元の形は殆ど無い)。其の点、小さ目の魚は植物の様に全体食をする為に外観を残して居る。加工の少無い物で有る。極力本来の姿を留める事に因って、相似では全体に馴染むので有る。植物は、塩を使う事に因って身体の中心に(腸)持って行き、其処から草木が伸びる様に身体に馴染ませる。然し、此は種と言う元が入ら無いと馴染み難い(中心〈元〉は種だからだ)。要するに動か無い分だけ、種から伸びて行く植物の一生を動くと言う力を取り入れる為だ。
 面性移動とは、要するに、「其の生涯を現す」と言う事で有り、其の力に因って身体の力を生む事に成る。料理(宇宙を納め調べる)は「静」調理は「動」に因って、全て、宇宙の成り立ちが営まれるので有る。此は、「宇宙の秩序」と言う事に成るが、食物と、身体の関係は、勿論、偏りに因っては、生食と言う事を一時的に取ったり、野菜ジュースの様に圧縮と言う方法や、薬効成分を主体にする等と言う事を行う。
 全ての物には、色が有る。其の色とは、生きて居るが故に内出て居る存在なので有るが、身体に入った時には、其の色(働き)に因っても同調結果が違う。例えば、赤色をした物は、血の素に成り、緑色をした物は中庸に成り、又、太陽から受ける力に因って光合成を起こし、身体の中で、全ての物を浄化し、又、原子転換を促す。大別すると、青色系は浄化、赤色系は循環と言う働きをする。

 四面性理論 其の二
 梅干の様に、「便秘に良い。」又、其の逆の「下痢にも良い。」此の2面性を「梅干しの可逆性」と言うが、薬効にも面性と言う物が存在する。三次元とは「縦、横、高さ」に時間が加わった物だが、面性と言う理論も、次元を越えた所に存在する物迄見え無くては行け無い。此は、心で有る。
 見える物の存在が多くの惑わしを生んで仕舞う。経験と言う大きな宝。其れは、先人達が残した、伝統と言う物の中に多く含まれて居る。「気に発し感に敏成る事」とは其の様な事が解って居て始めて言える事で有り、一日にして神の世界は見え無い。
 心が曇った時、落ち込んだ時に料理をすると、矢張り面性移動は少無い。「死んで居る」と「生きて居る」とは全然違う世界だからだ。見える物と見え無い物其の存在は其其面にくっ付いて居る世界だが、良く見ると共存して居る。死んで居るとは見える世界で動か無く成って消滅して行く事を言って居るに過ぎ無い。然し、見え無い物の事を見て居無い。
 死んだ魚、死んだ肉、を食べて居る人間は、矢張り死に急ぎを遣って居る。生きた野菜を食べて始めて生きる物に同調する。生きて居るが故に実証の面性を移動すると言う事を忘れては成ら無い。初めが有れば終わりが有る。死とは終わりの事で有るが、種を残すと言う事は、心は残ると言う事で有る。
 人間とて、種から生まれ、種を作って死ぬ。一番力が有るのは凝縮された種で有る。其の反対は枯れる(死ぬ)。種から全天球の方向に成長して行く。面性移動の方向付けは矢張り球で無ければ成ら無い。四面性とは球を4分割した物で有り、球は安定して居り、どの方向にも転がる(時間の経過)。中には空気と水と大地と其処の生物と動物が居り、真ん中に太陽が有る。自然界では(人間を除いて)成る様に成る。此が自然で有る。と言う「秩序」が有る物だ。

 四面性理論 其の三
 動物は、卵→動物(激しく動く)→死。植物は、種→植物(時間を掛けて少し動く)→枯れる。激しく動く時には動物を食物にする方が動力は同調する。然し、亀の様にゆっくり生活して居る物は寿命は長いが、多くの肉食獣は寿命が短い。此等の働きを見ても、動きが見え無い程ゆっくり動くと言う物の方が、動力を長く保つ作用が有る。肉食を行うと体臭が酷く成ると言う事は身体の中で腐敗すると言う事で有る。要するに同調し無い。植物は短い時間で枯れる物も有るが、其れは必ず種を多く残し同じ地に、又、時期が来れば同じか、其れ以上の数に成って再生する。又、地下茎や球根と言う形で季節を越えて生命維持をして居る。大きい木に成れば成長しながら、数百年と言う寿命に成る。動け無い分だけ、胞子と言う形で空中を飛んだり、種と言う形で、他の物(鳥等)に因って遠方に移動する。形態を見ると、中心から周りに伸びて行く。若しくは、種と言う形で遠方に移動する。距離的に動物と比べても特に変わら無い。動きは肉眼では多くは見え無い。要するに見え無い動きの部分(極微)に同調すると言う事で有る。
 生きて居る物全てに生活が有り、思いも有る訳だが、殺されると言う事に同調する物は居無い。食物と言う事で摂取すると言う事は、自分の身体には異物で有り、其れを消化するには必ず自分の身体にも犠牲を受ける。要するに動く物は動きが激しいだけ、身体も其れだけ同調して犠牲を作る。そして、修復作業を行う事に成る。此処に身体の生命維持の為には無駄が発生する。動か無い物程犠牲は少無い。
 動物を料理するには、腐敗臭等を取り除く為の調味料を入れて、無毒化する。熱を加えると言う事は、短時間に酸化を促進させて、異物に変える操作をして居る訳で有る。生で食べると其れを身体で行う為に身体内部の犠牲が大きい訳で有る。植物を調理するには、柔らかくする為に熱を加える。又、圧縮された灰汁と言う力を、引き出す為の操作でも有る。灰汁は空気中では毒として働く場合が有るが、熱を加える事に因って、無毒化して力に変わる。又、身体に非活性の儘摂ると身体の熱に因って活性され、有る程度は無毒化出来、力に変える事が出来るが、高圧縮された灰汁は無毒化出来無い場合も有る。熱に因って多く無毒化される灰汁は、動物を調理する時に活用すると動物の毒を無毒化する作用が有る。動く物と動か無い物の調和で有る。
 然し、此の調和と言う事を考えると、人間とて動物で有ると考えると、動か無い物と動く物で、無毒化され調和すると言う事に成る。調和とは「上手く釣り合い、全体が整って居る事。幾つかの物が矛盾無く互いに程良く和合する事。」動物は動く事に因って、「炭酸ガスと老廃物を出す」が、植物は、其の「老廃物を力に変え、炭酸ガスを酸素に変える」と言う事で生命維持をして居る。此の生命維持を見ても、動物で有る人間は植物を摂る事に因って調和すると言う事に成る。中心を左右上下に全てに調和すると言う事は自然の秩序に調和すると言う事で有る。

 四面性理論 其の四
 ピーマンは陰性だが、油炒めをすると100度以上に成ります。そうすると面性移動を起こし陽性に成ります。水の沸点の100度と言っても陽性ですが、其の100度を越えて仕舞うと言う事は油の中で焦げる要素を持って居ます。此は燃えると言う事です。結果焦げて仕舞います。漬け物は塩気を加えて時間が加わるので面性移動を起こし陽性に成ります。此は野菜の中に塩気が移って行く為に起きた現象です。生きた野菜が外界から養分や力を吸収する自然の法則で有り、其処に在る塩を吸収すると言う自然の理です。番茶を圧力釜で煮出すと陽性な番茶に成ります。其の様な物を摂ると身体が温かく成ります。其の反対に、魚が古く成ると陰性に成りますが、其れを食べると下痢や嘔吐をして身体が冷えます。此の様に調理に因っても時間の経過に因ってもどんどん変化して行きます。身体に於いても、赤ちゃんの時からどんどん年(時間)を取るに連れて変化して行きます。常に全ての物は変化して居ます。熱が隠って居る物を摂ると、矢張り其の熱が身体に移り温かく成り、冷えた(死んで居る)物を摂ると身体は冷えて行きます。
 病気にしても身体の中で変化して行きます。身体の抵抗力が強ければ病気が負けて消滅して仕舞うと言う事に成るが、病気の方が強ければ身体が負けて仕舞います。病気と言う物は身体が老化して居る場合は余り急性と言う病気に成りません。例えば、老人は肺炎に成っても熱が出無い事も有りますが、身体の中で進行して気が付いた時には手遅れだったなんて事も有ります。病気は身体に取っては酸化、又は、腐敗なので有る。どの部分が酸化、又は、腐敗したのかを知り、其の部分の相似する物を摂る。其の相似した物は、命有る物で無ければ成ら無い。化学合成した物は命を生ま無い。
 身体には共働と言う仕組みが有り、其れが故に全体的に機能して居る。要するに力が足り無い部分には手を添えて遣って共に働くと言う事で有る。全体に繁栄する物を食べる(全てを移す)一物全体と言う食べ方は全体的に機能するが、部分食べを行うと其の食物と相似する部分にのみ力が移り、他には移ら無い。部分で機能して仕舞う事に成る。要するに部分部分で勝手に働き共に働く事が無い訳で有るから、身体が姿を留めて置く事が出来無く成る。言い換えれば働く部分と働か無い部分が身体の中に出来る訳で、調子が悪く成るのは当たり前で有る。病気とはそんな事が原因で有る。
 現世と言う写し世界は何時も何かに写し出されて居るので有るが、健康で有れ、病気で有れ、其れは写し出された世界の結果で有る。未来と過去の世界の接点に居る現世は瞬間で有り、過去も現在も常に心にも体にも影響されて生きて居る。其の影響と言う力はまるでメビウスの球の様で有る。

 四面性理論 其の五
 葉は流れと表面を現し、果物や種は臓器を現し、枝は手を現し、芽は成長を現し、茎は管や中心を現し、根は足を現し、芋は臓器や腹部を現す。
 種は全てを中心から身体全体を作るが、芋は腸の中を移動する時には繊維質が腸を掃除する。根は下向きの力の移行を促進するが、大地の力を上向きに移行する。茎は上向きの力の移行を促進するが、葉から受けた宇宙の力下向きに移行する。
 固い物、特に繊維質は腸の中を移動する時には腸を掃除する。
 果物や瓜類の水気の多い物は、身体に水を潤すが、其れが故に身体を冷やす。葉は、水気の流れを促進するが、肺と皮膚の空気と二酸化炭素の交換、水分の体外排出を促進する。油は神経を司る。灰汁は老廃産物を中和する。
 種や豆は全体を現すが、固い(圧縮)ので身体に力を与える。皮は皮膚や臓器等の表皮を現すが、保水を司る。
 赤色は血を作り、緑色は浄化を司り、黄色は代謝を司り、紫は排出を司り、黒色は色素を作り、白色は解毒を行う。
 柔らかい物は水気を溜めて身体を冷やすが、固い物は組織を作り身体に力を溜め温める。
 空中に在る物は横隔膜上を現し、又、中心因り外に向かって力を移行する。地中や海中に有る物は横隔膜下を現し、又、外因り中心に向かって力を移行する。
 葉や海苔は、外界(特に太陽)の力を受けて身体に取り込んだ力を活性するが、根は地球の力を受けて外界からの刺激(害)を中和する。
 太陽の光を浴びて居無い物は、体内に取り込んだ後、太陽の光を浴びると活性し身体を作る素を作る。

 四面性理論 其の六
 面性移動(壁を越える)と言う物質の変化は、「非活性→活性」、又は、「活性→非活性」と言う変化で有る。
 「非活性→活性」とは、身体の中で効率良く同調させる為に行う操作で有る。「活性→非活性」とは、身体の中で毒性を発揮し無い為に動か無くする操作で有る。言い換えれば、身体に取って本来の基本と成るべく植物を効率良く活性させる操作が「非活性→活性」操作で有り、身体に取って害を抑えるべく動物性蛋白質を非活性させる操作が「活性→非活性」操作で有る。
 「非活性→活性」操作には調味料に時間を加えた結果が大きな力を生み、「活性→非活性」操作には香辛料を加えて大きな害を抑える。
 然し、元々動きが目に見える動物性蛋白質の摂取は、譬え、死んだ物とは言え「動いて居る」と言う力の残存が残って居る為に、身体に摂り入れた時には直ぐに同調して其の力は直ぐに身体に繁栄するが、矢張り、どんどん消滅して行く(腐って行く)と言う力も多く繁栄して仕舞う。動きが見え無い植物性蛋白質(豆類)は、多くは、自分で乾燥して時間を超えると言う操作を持って居り、固く(力を圧縮して持って居る。水を加えと言う操作をすると膨らむ。)成って居る。多くの植物も種と言う物を作る。勿論動物の多くも卵と言う形を残すが、然し、卵と言う形で何年も何十年も其の力を保存する事が出来無い。短時間に活性し其の後消滅すると言うプログラムが動物性蛋白質の中に組み込まれて居る為で有る。動物性蛋白質の習性として一気に力を発揮し、直ぐに萎える。植物性蛋白質の習性は、徐々に力を発揮するので大きな力を瞬間に発揮はし無いが、安定して時間を掛けて発揮する。動物と植物の動き其の物で有る。
 動いて居る物は次は休む(消滅)、と言うのが自然の秩序で有るが、何処迄其の力が持続するかが問題で有る。急激に動いて直ぐに休むのか、ゆっくり動いて長い間動き続けるのかの選択で有る。3ヶ月の命の植物に比べたら、20年生きる動物と言う事を考えれば、動物の方が長生きでは無いかと言う事に成るが、全体に見れば何百年も生き続ける木も有ると言う事を忘れては成ら無い。寿命と言う物は其の生物の特性で有る。特に、其れを摂取する私達の身体にどの様な結果を齎すかが一番の問題で有り、どの様に身体の中で同調するかが問題で有る。小さな(動か無い)力を一寸ずつ溜めて身体の隅々迄満たすのか、大きな力を一気に入れて身体を満たすのかでは結果が変わって来る。小さな力とは小さい物から生まれ大きい物とは大きい物から生まれ、其の結果は外観の評価で有り、細胞単位で考えれば、小さい力を長く持続した方が、結果の仕事量が多く成る場合が考えられる。其れは休まず物を動かす仕事を行えば、慣性と言う力が加わるが、動かしては休むと言う事を繰り返す度に大きな力が必要に成り無駄が生じるからだ。身体の中でも此の様な結果を生む傾向に有るが、然し、其れを摂り入れた場合に、身体では其の儘の力が同調して働くとは必ずしも言え無い。
 どんな物でも外観を小さく小さくすれば身体には馴染み易いが、其の特性と言う事を考慮し無くては成ら無い。

 四面性理論 其の七
 自然を破壊し、1=1と言う自然の調和が崩されて来て居る。=(和)と言うのは「穏やかな事。和やかな事。長閑な事。仲良くする事。合わせる事。揃える事。」と言う様に調和が取れて平安で安定して居る事で有る。
 「思いと想い」、そして、「健康と平和」「体気と大気」此の関係も乱れて来る。全ては小さい物も大きい物も同調して居る。小さい物は大きい物を操り、大きい物は小さい物を含む。何時も仲良く共存して居ると言う事で有る。
 例えば、大根は、畑で抜き取ったら直ぐに葉を切るのは、葉を通じて水を大気に放出して仕舞うので、根の部分が萎びて仕舞うし、薹が立つ為で有る。そして、食卓には其の葉は来無い。大根の根は、根で薬効が有り、葉は、葉で薬効が有る。
 長所
 @根は、卸し、煮物、漬け物、乾物等と、利用範囲が非常に広い。其の味は辛味・甘味と独特の風味を持ち、舌触りも加わって食欲をそそる。
 A根・葉と共に、色々な酵素が含まれて居り、卸しや青汁は消化不良の解消に良い。此は、唾液や膵液に含まれて居るアミラーゼ(澱粉分解酵素、アスターゼで、唾液ではプチアリン。膵液ではアミロプシンと言う。)消化不良の他、胸焼け・二日酔い・食中毒・口内炎・歯痛・歯肉炎(歯周炎)・熱性疾患にも効果が有る。口内炎や歯肉炎には卸しを塗っても良い。
 B卸しは、喉が腫れて声が出無い時、悪酔い(アルコール中毒)、食べ過ぎにも良い。悪阻・喘息の去痰・麻疹の発疹・火傷等にも良い。
 C卸しに蜂蜜を加えて飲めば、咳・嗄声・喉の痛みに効く。風邪や凍傷に掛かり易い人は、大根を風呂吹きにして葱味噌を添えて食べると良い。
 D食物繊維が多く、ジアスターゼとの相乗効果に因り、他の野菜以上に便秘の解消に良い。大根に豊富に含まれるビタミンCに加担してくれる。便秘は万病の元。大腸癌や直腸癌の誘因に成る。其の他、リグニンと言う制癌性を持つ食物繊維も有る。卸しや千切りにするとリグニンが増える。
 E卸しや青汁には、焼き魚の焦げ部分に存在する発癌物質(トリプ−P)を中和する力も有る。此もジアスターゼの作用で有る。勿論煮たり炊いたりすると、酵素の作用は無く成るので、生の儘用いる。然も、其の効果を期待したい時は、空気に触れさせれば触れさせる程リグニンは増えるので、卸したり青汁にしたりすると良い。其の他、イソチオシアネート・インドール・硫化物質(メチルメルカプタン)やセレンと言う分子や元素が含まれて居り、癌予防効果が期待される。
 F葉には、カロチン(プロビタミンA)が多い。又、ミネラル特に鉄分も多い。
 G切り干し大根は貯蔵が効き、殆どの栄養素は大幅に増加する。糖質は17倍に、鉄分は約4倍に増加し甘さも増す。此の様な事から、切り干し大根は、ミネラルやビタミン類を補給する為の優秀な保存食で有る。
 H消渇して口渇く者は大根の絞り汁を一合飲むと良い。鼻血が止まら無い者には大根の絞り汁コップ半杯に酒を少々入れて温め服用すると良い。鼻の中に注ぎ込んでも良い。嗄声は大根の絞り汁に生姜の絞り汁を入れ服用する。
 短所
 @根には、ビタミンCを除いては、ビタミン類は殆ど無いし、ミネラルも少無い。
 A卸しにすると、ビタミンCは2時間で20〜90%酸化し効力を失う。特に鉄や銅等の金属に因り酸化が進められるので金属製の卸し金を使用しては成ら無い。人参にはビタミンC酸化酵素(アスコルビナーゼ)が多い為に、大根と人参の混合卸しを作っては行け無い。此の酵素は酸性にすると活性を失うので、酢の料理にすれば良い。
 B辛味はイソチオシアネートと言う成分で、尻尾へ行く程含有量が増え、卸し金の目が細かい程、強く擦る程辛く成る。此は細胞が壊れ、其の成分が余計に出るからで有る。
 根も葉も全部を食べると、加えて身体を掃除して、温め、水の動きを調整すると言う様に部分で食べる因りも新たな効果が出て来る。此の様な事を考えても、部分を知る因りも全部を知る。食生活は、全てが自然で有り、部分は歪みを生むと言う事に成る。「思いと想い」、そして、「健康と平和」「体気と大気」と言う1個の人間と言う物も、社会と言う物に共存し無ければ、和には成ら無いし、周りの環境共共存し無ければ健康で平和な暮らしが出来無い。どの様に転がっても形が変わら無い球の様に安定して居る事が一番角が立た無い。料理とは、複数の食材を使って此の様に安定した物を使い、調理して、安定した物を身体に移す事で有る。又、大根に思いを込めて育てる事は大きな得る物が有る。自分で育てて其れを戴くと言う事は、心の歓びと満足感は一層身体効果率を高める事と成る。大根の根の部分が土の中で1度脱皮すると言う事を知る人は少無いだろうが、大根の気持ちを含んだ肉体は本物の大根を映す事が出来るのかも知れ無い。其処迄物の存在を観る機会が有れば、農薬や温室栽培等と大根の嫌う事は考え無いと思うのだが?大根に嫌われると言う事は、身体効果率も落ちて仕舞うし、身体には毒と成るだろう。
 温室で、虚像の農作物を作る事は、季節を感じ自分の出番の時に生命の芽吹きを行うと言う神から与えられたプログラムを変更して仕舞う事に成るし、又、太陽の恵みも偽りの光に成って仕舞う。又、神に偽って成長する為のプログラムを変更すると、収穫高も容姿も変わって仕舞う。全てが自然では無い虚像で有る。其の様な物を摂取すると言う事は、身体も其れに同調して虚像に成って仕舞う。透き通った(虚像)心身は太陽の恵みも、周りと手を繋いで共存する事も出来無い物と成って仕舞う。其れが証拠に、虚像の食物を摂ると全ての面で心身のバランスが取れ無く成って仕舞い、満足に立って居られ無く成って仕舞うので有る。

 四面性理論 其の八
 球は安定して居る。面上を転がすと、誰しも天空の方に近い面を上と言い。面上の接地面を下と言う。此は安定した球を観て何処から観ても同じ形をして居る為に、宇宙に同調させて(外界を照らし合わせて)判断する為に此の様な言い方に成る訳で有る。要するに球は完全体なので有る。
 例えば、完全体成る玄米は、完全体成るが故に、身体の愁訴の在る患部に玄米を貼ると愁訴が消滅する。貼る方向性を示さ無いと言う事を観ても完全体で有り、玄米から発するエネルギー(存在)は球体で有ると言える。完全体成る物の中に完全体成る物を摂り入れると中心が重成り、そして、エネルギー(存在)は同調(膨らみ同じ質量に成る)する。完全体を観て宇宙の存在を定規にする(感じる)のも同じ事で有る。
 球体の真の姿は極微の球体の集合で有るが、其の球体の1つ1つが独自に回転しながら中心から表面迄隈無く移動して居る。そして、又、全体としての球も宇宙の中で回転して移動して居る。
 其の内の1つが反発すると、完全成る回転、及び、全体としての球体を構成出来無い。此の反発とは異物で有る。要するに、人工の物、不完全体の物、毒物とか言う物で有る。此を食事と言う事で考えると、身体に摂り入れた物質は、極微の物質単位で、身体の極微の物質に1つ1つ上書きされて行く。不完全な物(部分食、人工の物、添加物を含んだ毒物)を摂り入れた場合、完全体成る球を構成出来ず、満たされ無い部分が生ずる。其の部分は共働と言うエネルギーで満たされ疑似の球体を構成はするが、実質上に置いては楕円(歪み)に成る。楕円と言う物は面上を滑らかに転がら無い。加速して転がる時と、ゆっくり転がる時と出来るし片寄る。又、止まる位置も片寄る。加速して転がり、衝撃を受ける部位は壊れ易い。此をDNAと言う物に当て填めて考えると、DNA操作と言う物は、完全体成る物(神が造った)を外界から球の部分を入れ替えると言う事と同じ事で有り、一度割った硝子の球を接着剤でくっ付けても、見た目は球で有っても、罅が入って居り、元には絶対に戻ら無い。矢張り、何時か、又、其処から割れて仕舞う物だ。完全体と言う姿をして居るが、共働と言う力が働き擬似的に球を成すだけで有る。又、其の硝子の球を機械的に綺麗に部分だけ加工して別の物の球体の部品と入れ替えて、くっ付けても同じ事が言える。何時か、又、其処から割れて仕舞う。そうすると元の球体には中心が残って居り、核が有るが、欠けて居る部位が有り、上手く転がら無い。後から、足した部位には中心の核が無く、もっと転がり難い。何故ならば、神が造った物と同じ物は作り出せ無いからで、核を作る事が出来無い。其れ故、部分を操作する事に成る。そう言う物で、全体(球)が構成されて仕舞った身体は、潤滑に機能する事は無いので有る。外観は形を成して居ても、中身が(核=中心)無いので有る。だから、種は出来無い物が多い。
 完全体成る物に完全体成る物を摂り入れた時には、中心の核同士が一体に成り、其の持つ力が同調する結果全体にも同調し(摂り入れた小さい球は膨らむ)、完全体成る球を維持し続けるので有る。1つ1つの物が持って居る意志も部分として存在はするが全体として機能すると言う事に成る。然し、同じ形をした物は、同じ形を描くが、異型の物を摂り入れた場合は中心に入ってから同調する様に膨らんでも、同調し切れ無い部位が存在して仕舞う。其の部分は矢張り力量不足と成る。そして、異型1つ1つの物が持つ意志(球体の形成も回転速度も異成る)は同じもの同士は同調するが、異型の物は同調し無い。身体の中に摂り入れた場合、摂り入れた物が身勝手(全体的に機能し無い)に行動する物を持ち独自に意志を持つとしたら必ず破綻して仕舞う物で有る。

 四面性理論 其の九
 部分を入れ替えた球は、何時か剥がれる。其の剥がれた部分も物質で有る以上完全体成る球を仮に形成する。然し、中心は無い。部分を失った球も、物質で有る以上完全体成る球を仮に形成する。要するに細胞分裂を不自然な形で起こして仕舞ったと言う結果に成る。身体の100兆と言う細胞が此の様に成って仕舞ったら、半分は中心の無い細胞に成り、半分は部分が欠損した細胞に成る。全て異常で有る。中心の無い物は理性の欠損した、唯、姿をして居ると言うだけで中身の無い物で有る。
 身体に物を摂り入れると、細胞は其の物質波動を1つ1つ上描きして行く。中心の無い物を摂り入れると、当然、中心の無い物で上描きされて仕舞う。実質上、本物の細胞も中心の無い物と同じ波動を出力する事に成る。不完全な物に変わって仕舞う訳で有る。又、其の集合で、全体と言う球を成して居る物の部分と言う摂り入れ方をすると、部分は完全体で有っても全体としての球に歪みが生じて仕舞い、楕円に成って仕舞う。完全成る球では無く成って仕舞う。完全成る球と楕円を重ね合わせると其処に生ずる体積の差分が有るが、楕円の場合完全体成る物から観れば欠損して居る。若しくは、部分方向に異常に膨らんで居ると言う事で有る。
 部分が欠損した細胞(例えば、DNAを操作した物)、中心の欠損した細胞(例えば、DNAを操作した物の副産物)に全体の細胞が全て変換された場合、身体は全体的に中心を中心として球(存在)と言う形成を維持する事が出来無く崩壊して仕舞う。要するに時間が経つに連れ生命維持が出来無く成って行く。其の部分が欠損した細胞の集合した物は中心を中心にして回転する時に揺らぎが生じ、疑似的に球に見えるが、良く見ると球が二重に見える筈で有る。此の球の中心は引き裂かれる。若しくは、外側に向かって崩壊して行く。有っては成ら無い姿で有る。

 四面性理論 其の十
 核(種)を中心にして、4面を満たし、球を成す。自然法則に因って「回転し移動する」。自然の成長と終息、季節の移行。全ての自然と同調し共鳴する。自然には自然な揺らぎが有る。例えば、日照時間が一番長いのは6月だが、一番暑いのは梅雨が明け7月の中旬から8月の中旬で有る。此の様に、自然には自然な揺らぎが有り、其の中で身体も自然に共鳴して居る。
 不自然な共鳴の乱れは、全ての細胞の「回転し移動する」と言う宇宙の秩序に乱れを生じさせて仕舞う物で有る。
 肉体と言う物は、本能と言う中心(幽体=心体)が有り、其処が周りの環境と共鳴して居る。肉体は其の性質上「成長と終息」と言う1つの決まった過程が有る。其れは、中心の共鳴に因って生じた振動を肉体が共鳴振動して生命活動を維持して生活を送って居る。中心から肉体への振動、そして、肉体内で其の振動が共働して全体的に機能するのに時間的経過が生じて仕舞うので有る。然し、此は矢張り自然と同じで有る筈で有る。見え無い物の共鳴が環境に敏感に対応して季節を生きる。其の共鳴は宇宙の中心から来て居る共鳴で有る。然し、小さな環境の中で、小さな頭脳が共鳴を狂わして仕舞えば、全ての物が崩壊に向かって行くので有る。此の環境破壊は大きな単位で全ての物を失う物で有る。
 四面性理論で言う1つの宇宙とは、飽く迄も完全成る球で有るが、多くの不自然を生んだ物を摂り入れると、身体も1つ1つが上描きされ不自然に成って来る。正常な細胞数因りも異常な細胞数が上回ると一気に秩序は乱れて行く物で有る。異常が主を取って仕舞う為に、秩序を失い、全体的に機能して組織が共働すると言う締まりが無く成って仕舞うので有る。偏芯した球や、角を持った塊は、宇宙には原則として塵でしか無い。
 外観は同じだが、不自然な物を摂り入れると身体はバランスを失って仕舞う。例えば、不自然な物(DNA操作した物等)を身体に持ち、片足立ちをして少し移動した後に目を瞑って静止すると、身体はバランスを失って立って居れ無く成って仕舞う。本能は、神の分身で有り、其れは凡夫が改造や改悪をした物は受け付け無い物で有る。
 四面性理論とは、宇宙の秩序其の物で有り、自然で有る。

 四面性理論 其の十一
 球では力の移動は中心も外側も隈無く移動し回転して居る。そして、共働して居る。部分として存在は有るが、全体的に機能して居る。要するに「部分は全体を現して居る」共言える。又、外側の一点は、全体でも有ると言う事が出来る。此は「一物全体」と言う事で有る。全てを満たせば、全体的に機能して居るが故に部分にも全体が現れる。
 脳には、1%の顕在意識帯と1〜2%の潜在意識帯と97〜98%の神在意識帯が有る。普段の生活の中では、1%の顕在意識帯に記憶と言う潜在意識帯が共働して稼働して居る。霊感(閃き)と言うのは神在意識帯で有り、本能で有る。此の本能は、四面性では、種を中心として広がる環境(自然的環境と社会的環境とが有る)の種の部分で有る。又、天才とは「天の才能」の事で有るが、此は神在意識帯の中に在る。潜在意識帯、顕在意識帯は神在意識帯の現象として相関的に肉体を現すので有るが、此の肉体が病気に成った場合、神在意識帯が球の外側迄膨らめば、偏芯して居る球も完全成る球に成る。此は、種を中心に(主食を中心に)四面(副食)を埋めて完全成る球に成れば良いと言う事で有る。
 其の球が自然に転がるには、季節の物を摂って行くと自然に転がるので有る。摂り入れると言う事で其れが自然に調和して力に成る。又、其の力の素は、ビタミンB・ビタミンD・E、カルシウム、燐、亜鉛(肝臓が貯蔵して居るビタミンAを取り出す時に必要とするミネラル)と一緒の時に最高の働きをする。と言う様に、此も又、自然界では共働して居る。人工ビタミンAだけを摂ると、他の物と共働し無いからビタミンAの働きが有っても其れは小さい力で有り、身体に入っても大きな結果は産め無い。又、他の、ミネラルと同調し無いので大きな力は生め無い。理由は、人工的な物には共働と言う物が同梱されて居無い為で有る。だから、自然の物の方が力を持って居る。

 四面性理論 其の十二
 完全成る球が回転して移動すると、安定して居るが故に一定した運動をして居る。勿論全てには始めと終わりが有るが、此処で言うのは急激な変化は現れ無いと言う事で有る。安定して居るが故に、縦・横・高さに時間が加わり、回転して移動して居るが故に物質の発する物質エネルギーは残像として過去に少しの時間残る。此が動物や植物で言う、香り、雰囲気と言う物で有る。此は完全体成る物から出る物で有る。不完全体成る物から出る物は、異臭や匂いは有っても、香りが殆どし無い。
 気が向けば(行動を起こす前に)肉体が後から追従して来る。通り過ぎれば、風が起こり、香りが残る。此は、肉体と気の部分の移動上の位置のずれ、質量の違いで有る。命が有るが故に発する気の部分で有るが、偏芯した球では其の気のエネルギーの強い所と、弱い所が発生し、安定して居無い。又、物質自体が完全成る球では無い為に完全成る圧縮が成されて居無い為に、発する気のエネルギーも全体的に弱いし、外力からの力に対しても抵抗力が弱い。
 然し、自分だけが動いて居る訳では無い。周りの物全てが宇宙と言う中で動いて居るので有る。其れは、共存し合い共働して居る。其れが故に、1つ1つに自然な揺らぎと言う力が発生する。其の中で、動きの早い物、遅い物が有り、其れは宇宙の中で、有る様にして在る物で有る。だから、自然に生まれ、自然に育ち、自然に種を残し、自然に死ぬと言う様に成る。

 四面性理論 其の十三
 私達は、大地(地球)の上に立って居る。だから、地球の中心から力を受けて居る。其の力は大地(土)の上に裸足で立って居るのが一番自然で有り、自然の姿で有る。然し、現代は、アスファルト、コンクリートの上に靴を履いて立って居る。大地とは直接繋がって居無いので有る。要するに同調して居無いと言う事に成る。だから、特に力(食べ物、空気、水等)を効率良く、自然に同調する事が大切で有る。空気は大気(地球気)で有り、水(大地の中から湧き出て来る)は地球の血液で有り、植物は地球の一部分(大地の中から生えて居る)で有る。此等と同調する事に因って、地球と人間と地球は二物体間に働く引力が各各の質量(重力質量)の積に比例し、両質量は同等に成る。
 天空から、色々な、放射線や宇宙線等(宇宙気)が降り注ぐが、本来は其れ共同調するので有る。地球は太陽系の中で、太陽を中心として回って居る惑星で有る。地球と同調して居れば、太陽系と同調して居ると言う事に成り、銀河系と同調して居る事に成り、大宇宙と同調して居る事に成る。要するに宇宙の中心と同調して居るので有る。其れが自然で有る。然し、病気に成ると言う事は、大宇宙に同調せずに小宇宙人体の質量が少無いと言う事に成る。
 不自然な物と同調すると言う事は、譬え此の大宇宙の中で作られた物と言えども、其れは大宇宙の歪みとしての存在で有る。そして、歪みと言う物は、変化が急速で短時間で消滅して仕舞う物で有る。

 四面性理論 其の十四
 どんどん陽性に成って行くと中心は陽性に成って行くが、其の結果、周りは陰性に成り冷たく成る。其の程度が進むと、どんどん陽性の中心部分が圧縮され、其の周りの陰性の区域は増加し、外側に向かう程、極陰性に成って行き、全体に冷たく成り動け無く成る。此の反対にどんどん陰性に成って行くと、全体的に冷たく成り動け無く成る。本能とは、陽性に成ると陰性の物を好み、中和する様に作用する。此の反対に陰性に成ると陽性の物を好み、中和する様に作用する。気温が高いと薄着に成り、寒いと厚着をする。又、寒い時は動けば温かく成るが、動か無い儘で居ると、鳥肌が立ち、歯がガチガチと音を立てて運動し、腸を温め様とする。心臓の拍動は早まる。暑い時は汗が出て、体中が弛み、鼻の穴や汗腺が大きく成り、身体の熱を逃がす。心臓の拍動は遅く成る。此の体質と言う物は、入力する力とか、運動とかに因って改善出来得る物で有る。中心に集まって中心が極陽に成り、其の周りは陰性、外側は極陰と言う体質は、運動する事に因って、中心の陽性を外側に移動させて遣れば良い訳で有る。力の入力を考えれば、中心の極陽と言う物は種で有り、種から力が外に向かって出て居無いと言う事は、出す条件を与えて遣れば良いだけで有る。四面性図の中心の種から何方に芽が伸びて行ったのかを見て、足り無い面を特に埋めると言う環境を作る。例えば、塩気の多い漬け物等は最後は水の中に止まる位置に有り、陽性が中心に集まり易く、身体は冷えると言う性質を持つ。根菜類は熱を加える(運動)事に因って身体を運動させる(腸を温める)等で有る。此の様な中心に陽性が圧縮されて居る場合には、海の上の部分の海苔を食べて太陽の光と熱を吸収し、全ての面を埋めれば良い。
 全ての物は最後は動か無く成る。どんな病気でも最後は動か無く成り、死と言う結果と成る。結局最後は同じ所に行き着く。世界は球を成して居る訳で有る。陸上を真っ直ぐ歩いて居ると何時か湖や海に出るが、其の湖や海の底を歩いて行くと、又、陸に上がり、最後には出発点に戻る。此は身体の中では循環とか生涯と言う働きで有る。
 身体を大地で有る地球に置き換えて考えて見ると、自転は身体の自律神経的な器官組織の運動の事を指し、生命有るが故の生体律動として考え、公転は運動の事を指し、細胞が活発に動いて居る時の自然の姿(若い)で有る。其れ等も宇宙全体の中では、見え無い程の極微の動きで有り、存在で有るが、宇宙の中では1つの部品で有る。必要が故に存在して居ると考える。
 植物も動物も死ねば土の上に横たわり(土竜や蚯蚓等は地中)、やがて、土に成る。植物とて速度は遅いが動く物で有る。必ず命有る物は最後は土に帰るので有る。此は、土から生まれて土に帰ると言う事で有る。此が自然で有る。此は、体内でも同じ事が言える。不自然な物の摂取は、身体の中では自然では無い。身体の中では毒として残り障害を残すか、加速して身体も地中の中に入った状態に近付き、腐ると言う事に成る。

 四面性理論 其の十五
 種はどの方向に転がせても芽が出る。完全体(球)で有る。然し、其れは発芽する条件が揃っての事で有る。例えば、氷の中では発芽し無い。其の物が育った所では必ず芽が出る物で有る。距離を移動すると気候等が合わ無くて、発芽し無いのは、在る様にして在る物だから。其れが、神が造った自然の摂理で有ろう。
 人間も神が造った物ならば、種と同じ様に自然の摂理で無ければ成ら無い。秩序を乱すと結局は自分の住む所を失って仕舞う物だ。此は、身体其の物に於いても言える事で、季節に同調し、周りの自然に同じ様に同調して行くのが自然で有る。身体も自然を映さ無くては成ら無い訳で有る。壊して作り替えた物は自然では無い。完全成る物を其の儘摂る事に因って自然を映す物で有る。病気に成った時に、種(穀類)を中心に海の物(海藻)と陸の物(野菜と木の実)を摂り、自然を映し回復する。
 種は発芽して芽と根を出し(上下に伸び)茎を伸ばし、枝を出し葉を出し(横に伸び)花を咲かせ種を付ける。一生が其処に在る。種は全ての一生の圧縮で有り、中心で有る。中心から有らゆる方向に伸びて行く。此は、流れでも有る。生きる事に、種(魂)の無い物は存在し無い。

 四面性理論 其の十六
 爪哇薯は丸い。丸い物は曲がりくねった所や狭まった所に行くと其の所で止まる。口から入って胃の幽門前庭部で止まる。だからか胃には特効が有る。
 薩摩芋は形状が円柱で有り、両端は円錐を成して居る。だからか曲がりくねった腸にも狭まった場所にも回旋しながら通り抜けて行く。
 固い地面、痩せた土地と言う所に育ち地面の中にドンドンドンドン下向きに根を伸ばして行く自然薯や山牛蒡は暖下作用が強い。
 蒟蒻は地上に唯1枚の葉を出すのみで、茎は地中に在って球形にマンナンを溜めつつ肥大し、年々更新して大きく成る。そして、3〜5年すると芽に開花結実して枯れる。根の部分に時間を掛けて力を溜めて居る。そう言う動か無い物が腸(動く物)の中に入るとエネルギーの交換を活発に行う。其のエネルギーの交換とは、マンナンとグルコマンナンと其の活性剤で有る小量のミネラルが腸の老廃産物とくっ付いて(中和)別物(無毒化された物)に成る。胃では殆ど消化され無い。歯で噛み砕かれた侭の状能で通過し、小腸から大腸へ運ばれながら細菌に因って分解され、様様な不用異物を吸着しながら排泄される。
 玉葱は芯を包み重ねる様に、何層にも層を成して居り瑞々しいし匂い物(精油成分)で有る。身体を中心から包み重ねる様に何層にも層を成して身体を浄化して行く。又、玉葱や大蒜等は皮が被さって居る状態では、色々な成分が外界には放出され無いので匂わ無い。調理は成分が外界に放出され無い様に、方法とか時間とかを考える。
 此は食物の身に成って観察するのだが、其の性質とは食物エネルギーの流れの事を言う。此のエネルギーとは其の植物が種から芽が出て根を出し、やがて大きく成り花を咲かせ、最後に種を付ける。又、始めから生涯が始まる。輪廻転生を行う訳だが、もう一つ土台で有る地球に適応するエネルギーも備わって居る。其の適応するエネルギーとは調和とか同調するエネルギーの事で有り、其れを戴く私達も地球(自然)に調和とか同調するエネルギーを持た無ければ成ら無い。

 四面性理論 其の十七
 相似とは「互いに似て居る事。異種の生物の器官で、発生的に其の起源を異にするが、機能を等しくする為形状が類似する現象。例えば鳥類の翼と昆虫の翅。」で有るが、同じ家に住み、同じ物を食べる家畜は人間と同じ性格・病気に成る。「宇宙と調和し一体と成る(相同)」ので有る。良く観察すると其の摂取する食物や環境に因り何時も微妙に変化して居る。相同と言う事を考えれば、自分を第三者から見詰め直す事が出来る訳で有る。普段は他人からの警告も、自分で先に気付く。言い換えれば、自分で有りながら他人にも成れると言う事で有る。
 不幸な結果とは其処に至る迄に多くの歪みが発生し、自分でも、他人からでも感じて居た筈で有るが、結果は感じ無かったので有る。歪みとは偏り・片寄りで有る。傾いて居る家を直すには、完全に立て直すのが最適で有る。始めは基礎から固めて行く訳だが、心身とて此と同じで有る。物の中心は核(さね)と言う「根本の物。実体。実(種)。真実。真に。本当に。」が、身体とて立て直すには、核(さね)を摂取し中心を作る事から始め、次に周りを固めて行く。物の見方、考え方も同じで有る。

 wpe1.jpg (832 バイト)心の歪み

 極限に思い詰めると一夜にして白髪に成る事が有る。其れ程に思(想)いと言うものは生体機能を変化させて仕舞うものだ。目に見え無いが故に自分の心の変化には中中気付か無い。要するに自分の事が解って居無いと言う事だが、「顔は心を映す。」と言う様に、穏やかな顔、緊張した顔、疲れた顔・・・・・・。と言う様に色々な顔が有る。其の人の人生其のものだ。

 自分を守る事。其して出来るだけ備蓄を増やす事。当然其れを他人に取られ無い様に、もっともっと増やそう、此が宝なんだ。彼の人の持って居る物も欲しく成った。何とかして手に入れたい。盗んででも欲しい・・・・・・。 思いは段々増幅して行く。もう秩序なんて物は有った物では無い。一つの物しか見え無い。当然顔付きにも身体にも行動にも変化が現れて来る。周りと調和して居無いから、変化は部分から全体へと増幅して行く。此の様な人を見ると何か病気の過程の様に思えますが、本当に其の通りです。不治の病気で有る癌等に於いては、究極に我侭で有る。治り難い病程其の傾向に有る。当然顔にも現われて居るが、其の人等は考える範囲が非常に狭い。又、其の他の事は受け入られ無いし、しよう共し無い。外の事を何も知ら無いし、見よう共し無い。何てつまら無い人生なんだろう。楽しみも、喜びも外から得るもので有り、結果幸福を掴んだと言う事に成るのに。つまら無い人生を送る人等に「一条の光」は現れ無い。自律神経失調症だから自分の事も解ら無いが、他人の事も解ら無い。

 以上の様な事を見て居ても、病気と言うのは「心の歪み」で有り、不自然で有り自然では無い。

 自然に帰ら無ければ、調和し無い。自然を戴き、自然と共に生活し無ければ、全部を知ら無ければ、一体と成り調和出来無い。其したら「欲なんて些細なものなんだ。」「愛こそ全てなんだs」と気付くで有ろう。

 地面の上に落ちた一つの種が芽を出し、花を咲かせ、実を結ぶ。其の中には始めの一つの種から比べれば、何十倍何百倍にも種が有る。大自然の営み、其れは現代不自然社会には無い。感動と喜びの壮大な物語の世界で有る。

 wpe1.jpg (832 バイト)秩序

 食生活を正して居ると「為る様にしか成らない」と言う様に、運命は決まってるのかの様に感ずる事が有る。確かに、良く考えてみると「そう為るべきで有る」と言う様に先を見通せて仕舞います。過去を振り返ってみると其の事(成り行き)が良く分かります。
 此の宇宙空間は「為る様に成って居る」訳で有る。此は宇宙の秩序で有り、自然で有る。利己的な考え方や行動と言うのは、此の宇宙の秩序や自然から食み出た状態で有るから、物事の正しい順序・筋道と言う流れの中に居無いので、行く先が見え無い不安定な状態(止まったり、渦を巻いたり、戻ったり、消滅したりする)なので有る。
 宇宙と言う空間の中に存在する地球は、其処に為る様にして存在して居るのだから安定して宇宙空間の中に存在して居る。其れは宇宙の秩序で有り、自然で有る。其の地球上に食生活を営んで居る我々は、秩序と言う流れに沿った自然な営みをしなければ地球とは同調しないし、秩序と言う流れから食み出た状態に成る。食み出るとは「自分だけを満たす(欲)為に連れと違った行動を取る」と言う事で、其れは不安定な存在を意味する。不安定とは心と身体を指す。流れの中に居無いから迷って仕舞う。自然体から見れば不自然体(無駄や無理な身体)で有る。
 秩序とは自然に出来上がって存在して居るものなのだが、其の秩序を崩壊させるのは無秩序な侵入者(利己主義者)で有る。
 安寧秩序とは、全てのものが整った状態で有り、穏やかで平和で有ると言う事。無理無駄無く自然で有る事で有り、全体から見ると1つの部品で有るが全体的に機能して居ると言う事で自然体で有る。だから、未来も其の流れを解析すれば予測は出来るから無理無駄が無く成る。
 秩序と言う川は数限り無い流れが有るが、自分の夢と希望を適える川を見付けるのには、食生活を正し、自然体に成らないと自分に適応する秩序と言う川を見極める事が出来無い。